ジャスミンの花言葉

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「ずっと一緒に居ようね」  僕のプロポーズの言葉だった。付き合って三年になる彼女との結婚式が明日に迫っている。それはもう緊張しか無い時間なのだが、こんな時に僕は彼女と一緒では無い。  単純に男友達から「独身最後の夜は飲み明かそう」と言われて渋々と付き合っているのだが、彼女の方も友達に同じように誘われてしまったらしい。どうやら友人達には共謀者が居たのだろう。  しかし、楽しい時間でも有る。集まった友達の中には懐かしい顔ぶれも有ったりして、学生の時の友達だけでは無いのでさながら自分の人生の同窓会の様だ。こんなのも悪くは無い。  とは言え彼女が居ないと言うのは僕にとってマイナスにしかならない。やはり寂しい。彼女とはこれから本当に出来るだけずっと一緒に居たかったから結婚する事にしたのに、それがこんな具合だから前途多難でも有る。  時折友達が騒いでる合間に僕は彼女へのラインを送る。そこでは彼女も久し振りの友達だけの飲み会をそれなりに楽しんでいる様子。それでも僕と同じ感情は有った様だ。 「君が居ないのは勿体無い気がする」  楽しいからそんな事を言うのだろう。 「こっちだってそうだよ」  僕も今のこの楽しい空間に彼女が居ない事が非常に勿体無くて、楽しいと思える場面には彼女も一緒に笑っていてほしい。そんな想いが彼女の所にも有ったならそれも嬉しい。 「なんだよー。俺達の事を無視すんな! 明日っからは嫁に勝てなくなるんだから、今日だけは忘れとけ」  コソッとラインをしていたのがバレてしまって、存分に酒臭い友達が僕に肩を組んで話して居る。 「ちょっと飲み過ぎじゃねえか?」 「このくらいどうって事ねーよ。主役も飲まないか!」 「俺が弱いの知ってるだろ」  正直僕は酒は乾杯の一杯目で十分だ。とても安上がりでも有る。それでも人がこんなに気分を良くしている場面はキライでは無かった。  皆が存分に楽しんでいる。僕の友達ばかりなんだけど、友達同士は面識もない人間だって居た。学生の頃の友達と働き始めてからの友達が一緒に会う事は無かった。  なのにそんな人間も僕と言う共通の話題が有るので、もう十分に仲良くなっている。しかも彼らは明日の結婚式にだって出席するのだから、まだ仲良くなる場面は有るのだろう。  そしてこんな時に話されるのは僕の事ばかり。過去の失敗談だったり、それこそ恋バナが中心だ。もちろん結婚相手の彼女との話を細かく酒の肴にされていた。  もう随分友達達は酔いつぶれていると言って間違いないだろう。中には居酒屋の座敷と言うのを忘れているのだろうか、眠ってしまっている奴まで居るのだから呆れてしまう。  完全にもうお開きの時間だ。僕の明日の予定は結構早いから、あまり付き合っても居られない。それを解っている常識人な友達も居てくれたおかげで、 「妻帯者は俺とは飲めないってのかー」  なんて呂律が完全に怪しく、外国人の方が流暢な日本語を喋るだろう、日本生まれの異邦人になってしまった友達の事を僕が担ぎながら店を出る。  すっかり冬になってしまった外の空気が鐘の音の様にキーンと冷え込んでいた。ほのかな良いによる暖かさは無くなって、気分の楽しさだけが残る様な寒さだった。  泥酔、軟体動物、クダマキ、になっている友達をタクシーに乗せて三々五々別れてる。 「お前が結婚すると寂しいぞ」  そんな告白をされたって全く嬉しくも無いが、酔っぱらった友達に縋りつかれているのを「解ったから」と送り出す。  なんだか明日の主役だと言うのに貧乏くじなのは、僕が下戸だからなのだろうか。いつも飲み会となるとこうなる。もちろんそれは友人達からは便利だと言われているところも有る。  残ったのは酒に強くてまだ潰れてない友達だが、彼は僕に気を使ってくれた常識人だった。なのでまだ付き合わされる事は無いだろう。 「彼女を放っとくなよ。こんな日でもちゃんと一目だけでも会っとけ」  彼はそんな風に言って颯爽と自分はまだ飲むつもりで僕の返事も聞かずに格好をつけて歩いて行った。思っていた以上に常識人でロマンチストな人間で、それはちゃんと格好良いと思える。  頼れる友達のおかげで僕にも時間が出来たのでまた彼女にラインを送ってみる。 「こっちは終わったけど、そっちは?」  返信は直ぐに有った。 「潰れちゃった人が出たからもう終わり」  どうやら状況は男女の差はそんなに無いらしい。そして彼女も今頃は友達の介護をしている事だろう。もちろん僕も彼女ヘルパーなんかじゃなくて普通の会社員だ。 「ちょっと会いたいんだけど」 「うん。そうだね」  間髪入れない返答は気も合っている。僕達はお互いの場所から近い所で待ち合わせをして、それから向かったのだが、彼女の方が先についていてちょっとだろうけど待たせた様子が有った。 「やっとなの?」  どうやら彼女は僕が先に着いて無かった事がご機嫌斜めの様で、顔まで斜めにしてまで僕の事をちょっと睨んでいる。でも、こんなのは普通の事。彼女はニコニコしているかこんな風に冷たくしている時ばっかりだ。本心はニコニコなんだろうが演じているのは僕が知っている。 「急いだんだけどな」 「楽しかったの?」  僕の言い訳なんて聞かない。それは呆れてる訳じゃなくてそんなに怒っていないから。更に今もブスッとして聞いているが、これも普通の聞き方なのだ。 「そうだね。懐かしかった。そっちは?」 「まあ、普通に」  彼女の普通はかなり楽しかったと言う事だろう。少し口角が上がっているので解る。  それから僕達は今日の事を話しながら近所で話せる店を探した。話して居ると段々と彼女が晴れやかになる。時には真顔でジョークを挟むのが彼女の一面でも有る。  放浪する様に飲み屋街を歩いて、騒がしい店もどうかなと思って普段入り浸っているチェーンの居酒屋を避けて、古いビルに有るバーを見つけた。普段は寄らない様な所だったけれど、今日はなんかそんな雰囲気でも有った。  静かな店内に客は居なくて、僕達だけになって話し易そうだった。彼女は結構強い酒をロックで注文していたので、 「今日も帰るんだから程々にしときなよ」 「別にこのくらい酔ってないから気にしない」  僕とは違って彼女はかなりお酒には強い。そして弱い。弱いと言うのはもちろん好きでしょうがないと言う意味の方だ。散々友達と飲んだだろうにまだ彼女は普通な雰囲気を残している。  それにしてもビールが彼女の好みなので、洋酒なんて飲んでしまったら酔いはドンドンと進んですっかり酔っ払いになってしまった。  こうなってしまうと彼女は豹変する。もうニコニコが止まらない。話し方も明るくなって話題もとても楽しそうになる。 「明日っからはずっと一緒だー」  そしてこれは僕にだけかもしれないのだが、甘えん坊にもなるだが、それは僕が彼女の好きな所でも有ったりもする。  彼女はロックグラスを傾けながら僕の事を見てはニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。 「ずっと一緒に居ようね」  これはもう僕達の合言葉になっていた。僕も彼女もちょっとした時に言葉にしていた。本当にこんな時はバカップルなのだがそれも良しとしておこう。明日は結婚式なのだから僕達はフワフワと綿毛の様に浮かれているのだ。  暫く楽しく飲んで明日の事も有るし帰ろうかと思い始めたので、僕はトイレを済ませてからと思って席を離れる。 「ずっと一緒に居てくれるんじゃないの?」  もちろん断っているのに彼女はこんな事を言うのは甘えているんだろう。 「解ってる。ずっと一緒に居るよ。例え離れろ言われても。だけど今は勘弁して」  甘さから楽しい冗談にして僕は彼女の元を離れた。その時に僕はグラッと地面が揺れた気がしてこんなに酔ってるのかと疑問になりながらも進むと、それは本当に揺れていた。  地震と解った時には酒瓶が棚からガラガラと落ちていて、僕は立ってられなくて彼女の方を見るとカウンターに掴まっている。その瞬間に真っ暗になってしまった。  地下に有った店は停電になると殆ど光が無い。暗くなった世界で瓶の割れる煩い音では無くて、もっと恐ろしい音が聞こえ始め地面が斜めになり始めた。  それは古いこの店のビルが崩れ始めたのだと直ぐに解った。僕は酔っていた筈なのに直ぐに冷静になれた。ポケットにスマホが有るのに気が付いて揺れが収まると直ぐにライトを点灯させた。  そこにはさっきまでの店は無かった。瓦礫が積み重なって荒廃していた。  でも、そんな所で僕はまず彼女の事を探す。 「どこに居るんだ!」  彼女がさっきまで座って居たカウンターの有った方向には梁になっていた鉄筋コンクリートが落ちている。 「こっち!」  声が聞こえてホッとした。まさかこの瓦礫に潰されているのではないかと一瞬思ったからだけれど、その彼女の声は弱っている様子も無い。 「大丈夫ですか? まだ崩れると危険なので逃げてください」  僕のスマホのライトとは別にバーテンダーがライトを持って入口の方を照らしていた。そこには非常口のランプが斜めになってぶら下がっていた。その向こうには街の灯りが見えるので逃げるのは難しくなさそうだった。 「彼女と一緒に逃げるのでお先にどうぞ」  一声かけてから僕は瓦礫を越えて彼女の声のする方に向う。彼女はちゃんと座って居た場所に居た。しかし、普通では無い事が直ぐに解る。彼女は倒れていてその上には立派だったカウンターが乗っている。 「大丈夫? 逃げようか」 「ちょっと脚が挟まれてるかも」  平然としている彼女がそう言っているので、僕は靴なんかが引っかかっているのかくらいの印象だったが、散らばっていた邪魔な椅子なんかをどかして彼女の足元を見た。  その瞬間に言葉を失ってしまった。彼女の足は重そうなカウンターにグシャリと潰されてしまっていた。床はコンクリートで埋もれている筈もないのに、彼女の脚が有る程の隙間なんて無かった。そこには彼女のものだろう血だまりが有るだけだった。 「どこか痛い所は無い?」  僕はどうにか気を落ち着けてから冷静を装って彼女に今の状態を訪ねてみた。でも、ちょっと声は震えている。 「ちょっと背中が痛いくらいかな、それ以外は全然。脚は外れそう?」  痛いなんて状態では無いだろうに彼女は本当にそんな事を気付いてない様な雰囲気しか無い。どこかで痛みの神経が遮断されているのかそんな事は専門家でも無いから解らない。ただ解っている事は彼女は無事では無いかと言う事。 「カウンターが乗っかってるから動かすけど、痛かったら言ってね」  普通に考えたらこのカウンターは人くらいではどうにかなる様なものでは無い。それでもどけないと彼女を救ける事なんて出来ないから、僕はカウンターと床の隙間を探してそこに指を差し込んで持ち上げようとした。  もちろんそんな事は無駄な努力にしかならない。カウンターは全く動く気配も無かった。 「手伝いますよ」  僕達の様子を逃げないで見ていたバーテンダーが僕の横に来て加勢をしてくれたが、二人になった所でどうって事も無くカウンターは悠々として動きそうにも無い。  どうにか出来ないかと僕はスマホのライトで辺りを見渡すとカウンターは天井から落ちた梁も載っているので更に加重が増えているだろう。これでは本当にどうにもならない気がした。 「様子を見ますね」 「待ってください!」  辺りの事を僕が見ていたので、バーテンダーは彼女の挟まっている様子を確認しようとしたので、僕は慌てそれを止めようとしたけれど、その時に「ひゃあ」と言うバーテンダーの悲鳴が聞こえた。 「ねえ、私の脚ってそんなに悪いの? 全然感覚無いんだけど」  さっきまでは呑気にも思えていた彼女の言葉に緊張が混じっていた。明らかな重傷なので僕は彼女に「大丈夫だよ」と一言かけてからバーテンダーの方へ移る。 「貴方は救助を呼んでくれませんか? このカウンターは人じゃ厳しそうですから」  まだ彼女の怪我を目の当たりにしてバーテンダーは顔面蒼白になっていたが、コクコクと頷いて恐れ逃げる様に店から離れてしまった。  一層彼女は不安そうにしているだろうと、僕は落ち着いた演技をして彼女に顔を近付けると、やはり彼女はかなり心配していた。 「私って危ないの?」 「そんな事無いって。直ぐに救けるけどちょっと人数が足りないかなって」  嘘ばっかりを僕は付いている。彼女には嘘を付きたくないけれど、本当の事なんて言えない。 「もし私が救からないとしたら、君は逃げてね」  その時に彼女は自分の心配よりも僕の事を心配していた。もう恐れている顔では無かったから全て飲み込んでしまっているのだろう。 「そんな事無いって、それに約束は破らない」  こんな話をしている間にもバーのどこかでコンクリートが崩れる音がしているので、もうこの場所も時間の問題なのかも知れない。僕達は今とても危険な場所に居る。 「約束って?」 「ずっと一緒に居る」  そっとそんな言葉を置く様に僕は答えたけれど、彼女は納得なんてしなかった。それどころか怒った。 「馬鹿な事を言わないで。生き残れるなら、君だけでも!」  怒り叫びながらも彼女の目には涙が有るのが解った。 「僕は君とずっと一緒に居るよ」  それでも僕は呑気な雰囲気でゆったりと返した。そして彼女が倒れているのでそこにうつ伏せる。まるで一緒にスマホでも見ているみたいに肩を寄せ合って彼女に引っ付いた。 「離れないよ」 「だって、危ない」  泣きながらの彼女の言葉はもう言葉にならないくらいになっていた。  その時にまたコンクリートの崩れるガラガラという音が聞こえて、続いて轟音になった。 「ずっと、ずーっと、死んでも一緒に居るから」  僕は彼女に顔を近付け抱き締めながらただそう語っていた。嘘じゃないその言葉は遠く建物の崩れる音に消えて居たが、彼女には届いていた筈だ。  災害の翌日はとても良い天気になっていた。空の高くには雲が有るけれど、雨の降る様子なんて無くて、ただ青すぎるくらいの空がどこまでも広がっている。  街の郊外の長閑な林が近くなっている教会には誰も居なかった。そんなところに僕と彼女だけが居た。もちろん彼女はウエディングドレスを着て、僕も慣れない白のタキシードを着ている。  これから僕達の結婚式が始まる。神父様も出席者も誰も居ない。本当に誰も居ない。教会にはきっと僕達も居る事は無い。 おわり
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