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最近、唯太のことをひどく羨ましいと思う瞬間がある。
「おい! なにやってんだ、秋吉!」
ダンッ、と床に体を打ちつけた音が、体育館に派手に響いた。
いつものシュート練の最中だった。
ジャンプをする際に足がもつれてゴール下で派手に転んだ俺へ、顧問の怒号が飛んでくる。朝練中の運動部の声でそれなりに騒がしかった体育館内のボリュームがスッと下がった。
男子バスケ部の顧問は基本朝練には顔を出さないのだが、この日はたまたま、だ。運が悪い。
部員たちが各々練習を再開する中、渋い顔をした顧問に手招きされる。俺は数秒、自分の足を見つめて、立ち上がった。
「秋吉、おまえ最近動き鈍いぞ。なんだ、調子悪いのか?」
「……いや、大丈夫っす」
「練習だからってあんまそういうの多いと、本番で他の部員の足引っ張ることになるんだからな。引き締めてけよ、おまえには期待してんだから」
背中を叩かれる。今朝母親に叩かれた、同じ場所を。
ウス、と返事をしたところで、チャイムが鳴った。顧問が「おまえら授業遅れんなよー!」とバスケ部以外の生徒にも届くように声を張り、体育館から出ていった。
散らばったボールは一年生が片付けてくれる。なんとなくその場で屈伸運動をしていたら、視界の端に近づいてくる姿をとらえた。
ふっと影が落ちてきて、目を上げる。
「大丈夫?」
聞きなれた抑揚のない声に、笑って、頷いた。
「あれ? 唯太、なんかでかくなった?」
朝練を終えて、同学年の数人で教室へ向かう途中、一人が唯太を見て口にした。続けざまに、ああーとか、たしかにとか、同意の声が飛び交う。
俺も唯太を見た。唯太のくせ毛の黒髪がほんの少し、見上げる位置にあった。
「唯太、何センチだっけ? 身長」
俺が訊ねると、百七十五、と返ってきたので思わず目を剥く。
「え!? 先月の測定んときそんなあったっけ!?」
「こないだ保健室掃除だったとき、試しに測ったら百七十五だった」
「マジで……小六んときはいっしょだったのに……」
「ぶはっ、小六って、だいぶ昔じゃん!」
「つーか秋吉は俺といっしょぐらいじゃね?」
「えー、千葉っち何センチ?」
「百六十五」
「俺のが高い!」
「マジで? いくつ?」
「百六十六」
「一センチじゃねーかよ!」
笑い合う空気のまま、それぞれの教室に入っていく。
俺の後ろをついてくる唯太に振り向いて、ほんの少し……じゃないなこれ、うん。ふつうに、見上げた。
「唯太の裏切り者……」
「給食の牛乳、俺のあげようか?」
「いらんわ! 唯太のバカ!」
中学生なんて成長期真っ只中だ。昨日同じだった身長も、気がつけばたやすく追い抜かれている。
唯太は、中学に上がってから成長期の恩恵があからさまに施されている。身長はすでに成人の平均を越えているし、声も低いし、筋肉もついている。いつのまにか唯太は俺よりもずっと体格がいい。気がついたら努力だけではどうにもならない差があって、俺は今、唯太を見上げている。
ああ、なんでだろう。
「秋吉?」
「……え、ごめんなに? 聞いてなかった」
「……大丈夫?」
「はは、なにが?」
「ん、いや、大丈夫ならいいんだけど」
ため息が出そうだ。
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