変格前夜

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 そこはまるで、未開のジャングルのようであった。自分が進む道に自信が持てない。周囲からの懐疑的な視線、一度でもやらかしたら食って殺してやろうとでも言いたげだ。  怖くて怖くて仕方なく、相談したら。そんなことないとマネージャーのモエは言ってくれた。 「皆さん貴方に期待しているのですよ。そう。あなたのファンだけじゃないんです。共演者の方々は確かにベテラン揃いですが、あなたの役作りの熱心さには舌を丸めていました。そして皆さん『撮影の日が楽しみだ』と口々に仰っていましたよ。皆さん、期待しているのです」  モエのいう通り、この映画『デカダンス』の主演に選ばれた日からジュンペイは人が変わった。  デカダンスとは、長い文学の歴史の中で生まれた一つの思想の名であり、退廃主義ともいわれるものである。  世間では童話など、ファンタジーなロマン派と呼ばれる文学が流行り始めていた時代、一部の創作家たちは逆の道を進んだ。  人間という集団の中で起こりうる醜さ、悪さ、誰にも語りたくない汚点。下水道の水をすすりながら狂ってもなお今日を生きていくような、目を凝らせばそこらへんに転がっている、しかし目をそむけたくなるようなリアリティ。それがデカダンスの美しさだ。  映画『デカダンス』はまさしく退廃主義の現代版。今の鬱屈のした世の中で、誰もが目を背ける汚点に焦点をあて、それを美として昇華した作品となっている。  主人公の男は、立派に教育を受け、大学も卒業し就職をするが、いわゆるブラック企業。退職するが、心的な病を患い、社会から切り離されていく。  人として生きていたはずなのに、次第に人として扱われなくなる苦悩。戻りたいと喚くほど落ちていく人生。  彼の奇行により両親・婚約者・友人も不幸な事件に巻き込まれていき、男は最終的に自らの命を捨てる。  どこか遠い話のようで、誰もが身近に感じている。創作だというのに現実として受け止めてしまうような物語。  脚本家、樋水キョウヤによってより感情的で、ストレートに彩られた今作。自信作と銘打つはおろか、彼はこう言葉を残した。 「社会現象が起こることでしょう。私は時代の分かれ道を作ったのです。『デカダンス』が誕生した世界と、しなかった世界。大きく異なる世界が生まれた。こっちの世界はとっても幸福な世界になりました」  しかし、問題となったのがキャスティングであった。一体どんな名俳優が、歴史に名を残すのか注目が集まる中、選ばれたのはなんと一人のアイドルだった。
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