変格前夜

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 岸本ジュンペイ。今をトキメク、イケメンアイドルグループの花のセンター。以前に漫画原作のドラマにも主演として抜擢されており、その演技力は誰もが認めるものとなった。視聴率も上々で数字としても結果を出した。  話題性もあり、俳優としての原石でもある。彼を起用することは悪手ではないはずだった。  しかし、世間の目は冷たい。 【映画業界は腐っている。名作を作るより、どれだけ稼げるかしか考えていない。脚本家の言葉はただの話題性をあおるだけの虚言だったか】  色とりどりの批判がネットを飾る。  しかし、それを黙らせたのもジュンペイだった。 『役作り、頑張っています。もう少しだけこっちに集中したい。ファンのみんなは不安だと思うけど、応援してくれると嬉しいな』  それは撮影開始一か月前に彼のSNSにて発信された画像と文章。人々は絶叫した。  そこには、醜い男が写っていた。全体的に体はやせ細り、髪は伸び切っている。そして、その瞳。アイドルとしてあんなにも爛々とした瞳には、もはや何も映っていないかのように黒く霞んでいた。  主演への抜擢が決まったのは、世間に公表されるよりもずっと前だ。社会が『デカダンス』に期待を高めている間も、主演が公開され騒がれている間も、彼は崩落していく一人の男の人生について考えては、自分に重ね続けていた。 『アイドルを捨てた男』  そんな風に呼ばれてしまうほどであった。  ゆえに、誰もが彼に期待を寄せていた。 「どうも、向井ヒロトです。今日は足を引っ張らないように頑張ります」  ボソボソとジュンペイはそう名乗った。  シーンッと現場が冷えた。向井ヒロトは、『デカダンス』の主人公の名だ。  一人の女優が冗談かと引きつって笑ったが声は出なかった。ベテランの一人は咳払いをしたのちに襟を正した。  監督の姿勢が前のめりになる。  そうやって異様な空気の中、撮影は始まる。  現場にいた全員が同じことを考えていた。ここにいるのは本当にデカダンスの向井ヒロトなのだと。それと同時に、深い悲しみのような波と共にふと想うのだ。 『じゃあ、岸本ジュンペイどこに行ってしまったのか。この数か月の間、あの写真を公開した後から、この男に何があったのか?』  誰も知る由はない。 ――昨晩まで、彼はまだ『岸本ジュンペイ』だった。
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