叩かれて、春夏秋冬

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叩かれて、春夏秋冬

いつでもどこでも叩かれる 変な名前と笑われる それなら名前を変えましょか? 改名ラッシュのニュース見て キラキラネームが嫌になる 「法務省が戸籍にふりがなを振ることを検討し始めました。キラキラネームの規制についても審議します」 そんなニュースをネットで見て、しばらくネットで調べものをしてから、さりげなく夫に語りかけた。 「あのさ、菜の字取ろうと思うんだけど?」 スマホのニュース画面を見せる。 「えっ?どういうこと?」 「望菜美でしょ、私。もなみって読みにくい。真ん中の菜の字はない方が呼びやすい。望美でのぞみの方が普通っぽくない?」 「うーん。菜の字があるから望で『も』ってわかるし、俺は『もな』って呼び慣れてるから、のぞみに変えられても困る。のぞみさんって一体誰?ってなるよ」 「そっか。変え過ぎるのもわかりづらいか。でも周りは『もなみ』じゃなくて、『もな』って呼ぶでしょ?じゃあ、『み』は要らないよね。ひらがなで、『もな』とかどう?」 「いやそれはちょっと…」 「ん?何?」 「ひらがなにすると…」 「すると?」 「セクシーな方面の芸能人っぽくなるから、やめた方がいいよ」 「ほぅ、そういうの隠れてコソコソ見てる訳ね、なるほど…」 「違う!ただのグラビアタレント!」 「どれどれ、スマホ見せてごらん」 「い、一般論だって。なんか源氏名みたいだよ、ひらがなに変えると」 「へぇ、スマホはいいから財布を見せて。カラフルな名刺が出てきそう」 「ちーがーうー!コロナ禍で行ってない!」 「ふむふむ、コロナ禍前は行っていたと…」 「先輩に誘われて飲みに行っただけだよ」 「あったね、そんなこと。財布なら見つからないのに、スーツのポケットから無防備にハラリと。確かにひらがなだった、最近のキャバ嬢さん、源氏名は漢字じゃなく、ひらがな。時代を感じたよ」 「そっちこそ、なんでそんなにキャバ嬢の世界に詳しいんだよ、まさか?」 「ハイ?ファッションの系統は違うけど、小悪魔系雑誌を読むのが好きだったし、キャバ嬢がモデルの乙女ゲーが好きだったから詳しいよ」 「だよね、絶対無理そう、そういう世界」 「地味な嫁ですよ、どうせ」 「違うって。お酒もまともに飲めないし、ヤンキーに憧れる中学生みたいな感じでしょ?」 「まあ、そんなとこかも。脱線したけど名前の話がしたいの」 「別にいいじゃん、もなみって響きがいい」 「SNSで医師が読めない名前は迷惑って言ってる…。一人は呟きで、もう一人は論文で主張してその論文についての呟きがバズってる。望菜美で『もなみ』はすぐ読めない」 「気にしすぎじゃない?」 「でも、気になる。昔から名前を呼ばれると周囲に振り向かれる。『もなみ』って言われる度に人がざわつく。読めない望の字を取って野菜の菜に美術の美で『なみ』は?」 「牛丼の並みたいだよ」 「変えられると面倒でケチつけてない?」 「そりゃさ、俺だけじゃなく親父さんとおふくろさんは?名前変えるって言われたら驚くよ」 「それはそうだけど…。あのね、通称の永年使用っていうのがあってさ。菜美という名前で長く暮らせば、改名出来るかもしれない」 「え、もしかして本気なの?」 「本気だよ。菜美で5~10年暮らして、家庭裁判所に申し立てをして、許可して貰えば。許可されるかどうかはわからないけど、やってみたいんだ」 「それ、どうやるの?」 「ますばポイントカードとか変えやすい所から変えていって、次は年賀状とかも変えていく」 「ポイントカードはどうしてもやりたいなら、好きにすればと思うけど、年賀状ってさ。せっかく名前を覚えてくれた人に失礼じゃない?」 「うん、パソコンの登録名を直したり面倒だよね…。ポイントカードだけとりあえずやってみる。年賀状はもう少し慎重に考えるよ」 「一度言い出すと頑固だよね。実務上の処理が意外と大変だと思う。ポイントカードでまずは様子を見たら?」 「ちゃんとした名前の人はいいな」 「ちゃんとした名前っていうけど、裕也だって、ひろや?ゆうや?って聞かれるよ」 「ゆう君か、そっちねで、誰でもすぐに馴染む。私なんて間違えて、もなかって呼ばれる」 「ごめん…俺、それやったよね…」 「でも、もなって呼んでいい?って優しく言ってくれたから」 「あれは焦った…凄く怒ってるのわかったし」 「怒ってごめん。でも、もな呼びを定着させてくれて助かった」 「逆にあの時、名前を間違えてなかったら、仲良くなれなかったかもよ?」 「かもね。もなかと間違えやがった、浅田裕也かって印象に残った。ひろやじゃなくてゆうや。私は絶対間違えないぞって」 「山石望菜美、呼び間違わないように『もな』って必死に覚えた。本当に改名するの?」 「うん、キラキラネーム叩きに疲れた」 「ネットに毒され過ぎだと思うけどな…」 「旦那まで、もなかって間違えた…」 「高校のときの話、20年も昔の恨みかよ」 「恨みじゃないよ、もなかってまた間違えて呼ばれないように、もなってアダ名をつけてくれてありがとう」 「なんで改名は、なみなの?」 「一般的ですぐ読める名前がいいの」 「萌黄色の萌に菜で萌菜は?」 「萌えとは程遠い地味なんで、無理」 「拗らせてるなぁ、もう…」 改名前夜。 高校、大学とずっと一緒の文芸部。裕也は一度大学時代に少年誌、読み切りの漫画の原作でデビューしている。次の話が来なかった一発屋と自嘲気味に笑う。彼の謙遜と自虐を望菜美はフォローしていた。嫉妬心を隠して。 「私はデビューしてないし、凄いじゃん」 裕也のペンネームは『さわたり紲星』。 キラキラネームが欲しくて作家になったのかと思うほど、飾ったペンネーム。 隣の芝生は青い、無い物ねだりの世の中だなと望菜美は思った。そして、私はペンネームでデビュー出来るほどの実力はない。裕也の謙遜や自虐をを聞く度に、名前が二つあって、しかも本名はきちんとした名前、もう片方は飾り立てたペンネームで華々しくデビュー。そんな奴に何がわかるんだよと苛立ち、望菜美はその苛立ちを口にしないように、唇を噛みしめた。 『もな』にはしない、私は『なみ』に改名する。なみに拘るのは、裕也に創作で勝てない望菜美の小さな反抗だった。一度デビューしても、さらっと就活して普通に働く、誇らしいはずの真面目で謙虚で優しい夫。 望菜美は、夫がセクシーな芸能人の姿に鼻の下を伸ばすより、キャバクラに行くより、少しグレーな浮気もどきが発覚するよりずっと嫌な事がある。 それは書き上げた原稿を、どこにも応募せずに望菜美に読ませること。望菜美が絶対書けない、ロボット戦争や格闘バトルが出てくる。宇宙が舞台ならきちんとプロットを練り、色鮮やかな3D映画を見ているような世界に活字だけで、物語の連れて行ってくれる。 「面白いのに、なぜどこにも公開しないの?」 そう聞くと、裕也は決まってこう答える。 「もう、昔みたいなキレがないんだよ」 そんなことないよと言われるのを、待っているのはわかっている。でも、心から思う。私はこの人の文章力には一生掛かっても勝てない。だから、いつも心から言う。 「そんなことないよ、もったいない」 仕事や家事以外の時間、スマホでポチポチ書く私の文章は、なんてちっぽけなんだろう。語彙は貧弱、場景描写は下手くそ。私はもう一つの名前がない。いや、あるけれど、夫と同じレベルでは活躍出来ない。 私はキラキラネームを口実に、名前を弄りたいだけなのかもしれない。文章力で絶対に勝てない夫に対する負の感情。ずるい、悔しい、羨ましい。それを変えたい。四十不惑どころか、惑いっぱなし。 ポイントカードだけでも名前を変えれば何か変わるかもしれない。人生が変わる予感がした。
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