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オオカミの策略
もう、ここに来るのは何度目だろう。
出してくれたスリッパに足を突っ込めば、すっかり俺の足になじんだものになっていた。
萌黄さんの日常に少しずつ染みこんでいる俺を見つけると、ぞくぞくするほど嬉しい。
「今日のハンバーグ、すげぇおいしかった」
「でしょう?引退したホテルのシェフが開いたお店なんだって。こないだ飲みに連れてってもらったんだけど、エスカルゴとかも本格的な」
「……飲み?先輩と行ったって言ってた、あれ、飲み会だったの?」
先に家に上がった萌黄さんを追って問い詰めると、見るからに「しまった」という顔が俺を振り返った。
「えっと、私はワイン一杯くらい、だったよ?」
「くらい、ね」
萌黄さんの手首を握って、俺はズカズカと部屋に入る。
「部署のみんなと夕飯食べるって話だったのに、飲み会だったとは……。隠したってことは、男もいたから?」
「か、隠してたわけじゃなくってね」
焦っているカワイイ恋人は、俺が何にムカついているのか、よくご存じのようだ。
「だって、あんなに男の人が参加するって、知らなかったし」
「あんなに?」
史上最大級に低くなった俺の声に、萌黄さんがフルリと震える。
……カワイイ。
「先輩と私に相談したいことがあるって、後輩君がね」
「その後輩って、男でしょ」
「……そうね」
「そんで?」
「そしたら、後輩君の同期たちが、なんだかぞろぞろ」
「ぞろぞろっ?!ねえ、萌黄さん」
華奢な手をグイと引っ張ってフローリングに座らせると、ものすごい勢いで泳いでいる目をのぞき込んだ。
「先輩は、既婚者だって言ってたよね」
「うん。去年ご結婚されたの。きれいなウェディングドレスの写真、」
「てことは、ぞろぞろの目的は、わかるよね?」
「羊介くんが思っているようなことは、ないんじゃないかなあ……。私って、そんなにモテたことないし」
「はぁ~」
がっくり。
萌黄さんの肩に額を押しつけて、俺は深い深いため息をつく。
最近は、ちょっとわかるようになってきた。
萌黄さんは鈍い。
それはもう絶対的に、絶望的に。
そして、自己評価が低い。
まるで、これまで鏡を見たことがないのかと思うほど、自分の容姿に無頓着だ。
それから……。
自分についての話はあまりしないということも、最近気がついた。
家族のこととか、思い出話とか。
せいぜい、アイ子さんがらみの話しかしてくれない。
俺が恋人であることを公言したがらないのも、年の差のせいだと思い込んできたけれど。
「あのさ、萌黄さん」
「な、なあに?そんな心配することは、なんにもないのよ?だって、私は羊介くんしか好きじゃないもの」
ぐあぁぁぁ!
まじめな話をしようと思ってるときに限って落とされる、この萌黄爆弾!
この威力に抗えるほど、俺は悟りを開けていない。
煩悩まみれの健全な若者は、当然、本能に素直。
「んっ!……んぅ」
気づけば、萌黄さんの唇をふさいで、その口内を思う存分堪能していた。
もう何回も味わっているのに。
いつだって、その柔らかさと甘さに心臓が破けてしまいそうだ。
「よう、すけ、くん。あした、が、しゅく……」
「うん。こっからなら、集合場所、ちかい、からっ」
深く、深く。
これ以上ないほど強く萌黄さんとつながれば、その指がシーツを握りしめて震えた。
俺じゃないものにすがるのが許せなくて、萌黄さんの指を引きはがして、手の中に閉じ込める。
「もう、寝ないと、だ、だめ、だめってば……」
「ん~?んふふ」
背中に腕を回して萌黄さんを膝に乗せると、その耳たぶにカップリと噛みついた。
「っ……。送って、いけなくなっちゃ」
「もうちょっと、もうちょっとだけ。……十日も会えないんだよ?」
まだ、アレもあるしね。
実はもうひと箱、新品がここのクローゼットに隠してあるって知ったら、萌黄さんは怒るかなあ。
それに……。
「外波山くん、大きくなった?って、もう大学生だから、羊介くんみたいには変わってないか!会うの卒業以来だから、ちょっと楽しみ」
なんて弾んだ声を聞けば、嫉妬するなというほうが無理。
どうせ俺のことをカレシだって、紹介してくれないんだろうし。
「萌黄さん、もっかい」
フニャフニャになってるカワイイ人に覆いかぶさって、返事をもらう前にもう一度牙を立てれば、抵抗もせずに受け入れてくれる。
そうしてその夜、あとで自分でもちょっと反省するくらい、俺は萌黄さんを堪能し尽くした。
明け方。
「……ふ……。くすん」
胸元に吐息を感じて、目が覚めた。
冷たい。
慌ててのぞき込むと、眠っている萌黄さんの目じりから一筋、涙がこぼれている。
「……萌黄さん?……」
耳元で問いかけるけど、帰ってくるのは深い寝息。
悲しい夢でも見てるのだろうか。
それとも、しつこすぎて嫌だった?
焦ってもう一度その顔を見つめると、微かに唇が動く。
「ごめん……なさい……」
誰に謝ってるの?
何がつらくて泣いているの?
今すぐ聞きたいけれど、疲れさせちゃった萌黄さんを起こすのなんて、かわいそうでできない。
目を覚ました萌黄さんをじっと見つめてみたけど、カワイイ恋人はきょとんとするばかりだった。
眠そうな目を擦って、ちょっとかすれた声で「む、りは……、してないよ」なんて言われたら、またちょっと煩悩にまみれそうになるけど、そこは耐えきる。
「萌黄さんを疲れさせて、外波山先輩に会わせない作戦」が成功しただけでも、良しとしよう。
シャワーを借りたあと、いつものように指輪を通したシルバーチェーンをつけながら、まだ俺じゃダメなのかとため息が出る。
それでもいつか。
涙の理由を打ち明けてもらえるくらいの男になろうって、指輪をひとなでして誓ったんだけど。
合宿中に一波乱あるとは、萌黄さんからもらったペアリングを失うことになるとは、そのときの俺は考えもしなかったんだ。
そして、ひとつの試練を乗り越えて、俺たちの絆が深まっていくことも。
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