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With or Without You
合同ライブの打ち上げを抜け出した俺たちは、ほとんど言葉を交わすことなく、手をつないで萌黄さんの部屋に向かっていた。
しゃべりたくなかったんじゃなくて、そのときの俺たちに、言葉は必要なかったから。
つないだ手のちょっとした力の入り方とか、合わせた目の温度とか。
微笑み合うのもほぼ同時で、俺たちは何が欲しいのか、何を伝えたいのかが通じ合っていたと思う。
そして、それはふたりっきりの場所でしか叶えられないということも、互いにわかっていた。
玄関ドアを閉めたとたん、靴も脱がないまま、萌黄さんが俺の胸に頬を寄せてくる。
「私がコーチにお願いした手紙って、今も持ってるの?」
「持ってるよ」
腕の中に閉じ込めた恋人が、うるんだ目を上げた。
「約束は果たされたのに?」
「お守りみたいなものかな。そばにないと落ち着かないんだ。萌黄さんを失ってしまいそうで」
頭のてっぺんにキスをすると、萌黄さんがぎゅぅっと抱きしめてくれる。
ドキドキドキドキ。
早鐘を打つ鼓動は、俺と萌黄さん、どっちのものだろう。
同時に顔を上げて、照れくさそうに笑い合って。
部屋に入っても、俺たちの口数は極端に少なかった。
柔らかなキスを何度も交わしたあとで、萌黄さんが甘い吐息混じりに囁く。
「手紙、見せてもらえる?」
「……いいよ」
手帳のカバー裏に挟んである、色あせた萌黄色の封筒を取り出した俺は、あぐらを組んで床に座った。
「こっちに来て」
膝を叩けば、萌黄さんは素直にちょこんと俺の足の間に座る。
フワフワのウサギが膝に乗ってきたみたいでモフリたくなるけど、今は我慢。
「はい」
何度も取り出して、何度も読んで。
何年も何年も、諦めそうになって、希望が捨てきれなくて。
色あせて折りじわもついた、決してキレイとは言えない封筒を萌黄さんが開いた。
「これって……」
にじんでしまった手紙の文字を、萌黄さんの指先がなでている。
『必ず連絡をします』
『ありがとうでは足りないけれど、あの秘密基地での日々は、確かに私の幸せでした』
「確かに、私の幸せでした……」
俺の涙が落ちて、もう読めなくなってしまっている文字を、萌黄さんは正確に覚えていてくれた。
「ごめん、なさい。こんなにつらい思いをさせて、こんなに待たせて」
にじんだ文字の上に、パタパタと萌黄さんの涙が散っていく。
「もういいんだ。だって、萌黄さんが俺との縁を諦めないでいてくれて、また会えたんだから」
濡れる頬に手を添えて振り向かせると、俺は萌黄さんの涙を舐めとった。
「萌黄さんがそばにいても、いなくても、俺の心は変わらなかった。変えられなかった。忘れたら楽になるかと思ったけど、忘れるほうがつらかった。だから、手紙の約束を信じていた時間は、確かに俺の幸せだったよ」
もう舐めきれないくらいの涙をこぼす萌黄さんを、俺は体全体で抱きしめる。
肩を震わせて、俺のシャツにすがりついて泣いている萌黄さんが、愛しくてたまらない。
「……ようすけ、くん……」
涙声で、ただ俺の名を繰り返し呼ぶカワイイ人を横抱きにして、キスを繰り返した。
「萌黄さん。俺の、俺だけの萌黄さん」
キスの途中で、手紙を握りしめている萌黄さんの手が、目の端に映った。
会いたくて、会えなくて。
会えるかどうかもわからずに、心が折れそうだったあのころの俺に教えてやりたい。
大丈夫。
焦がれている「萌黄おねえさん」は、ずっと先の未来で、つかまえることができるよって。
柔らかく伸ばされた腕が首に回って、萌黄さんからキスをしてくれたら、それは甘い時間が始まる合図。
クシャクシャになるほど握りしめられた手紙をローテーブルの上に置いてから、俺は萌黄さんをベッドに沈めた。
萌黄さんの手が俺の胸をなぞり下りて、指が腹筋をなでてくすぐっている。
「も、えぎさん。もう、いい。もう、もうダメ」
水音を立てて唇を離してから、妖しく笑う萌黄さんが俺を見上げた。
なにそれ。
なんなの、何の試練なの?
この甘い責め苦を、いつまで耐えなきゃだめなの?
「羊介くんは許してくれないでしょ。もうダメって、私が言っても。だから、今日はお返し。大人しくしてて」
「くぅ~」
心臓が痛い。
思い切り泳いだあとみたいに息が弾む。
女神様、もう本当にお許しください。
昇天しちゃうから。
甘くてつらくてキモチいい拷問を受けた俺は、もちろんそのあと、たっぷりと仕返しをしたのは、言うまでもない。
「シャワー浴びるって、言ってたのに」
眠ってしまった萌黄さんに毛布を掛けてからその隣に潜り込むと、ちょっと汗ばんでいる体に身を寄せた。
何度肌を合わせても、欲しい気持ちは強くなるばかり。
枕元の室内灯を消そうと上半身を起こして腕を伸ばせば、ふとローテーブルに放り投げた手紙が目に入った。
幼い恋心を抱えて欝々としていたあの時間の、唯一の希望だった手紙。
声が聞きたくて、笑顔が見たくて、そばにいたくて。
あなたなしでは生きていけないんだと、魂で萌黄さんを呼び続けていた。
孤独で、俺だけがこんなに会いたいんだと、萌黄さんを恨んだこともあったけど。
今は信じられる。
お互いに求め合っていたって。
あなたがそばにいても、いなくても。
あなたを愛する気持ちは変わらない。
萌黄さんは俺のもので、俺は萌黄さんのもの。
「萌黄さん」
名前を囁けば、微笑むようにその口元が緩んでいく。
「あなた以外に、失って惜しいものなど俺にはないよ」
過去と今の想いが混じり合って、未来への道を照らす光になったような夜。
「最高に、幸せ」
かけがえのない人を抱きしめて、俺も眠りに落ちていった。
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