宿屋に泊らない客

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「福引券、6枚やるよ」  レジ横に束にして置いてある小さな緑の紙を6枚数えて渡す。表に福引券と書いてあり、王都商店街の印が押してある。裏には小さな文字で福引の場所と簡単な説明。 「これ、10Pで1枚くれるヤツだろ。特別感を出さなくてもいいんじゃないか?」  その通りだった。常連なので、そのあたりは詳しくなっているようだ。 「じゃあ、追加でこれをやろう」  懐から福引券をもう1枚出す。 「なんだ?」  客は首を傾げ、不思議そうな顔をする。 「ウチの息子が特別にくれた、特別な福引券だ」  それを手渡す。 「他の福引券とどう違うんだ?」  客は先に渡した6枚と見比べていた。  一見すると同じだ。というか同じ福引券だ。  両方とも商店街の組合が出した福引券で差はまったくない。 「当たるおまじないがかかっているらしい」  そこが大きく違うらしい。 「当たるのか?」  信じてなさそうに言う。 「さあ?」  こればっかりは俺もなんとも言えない。  ただ、5歳の息子が「これ、当たるようにしてあるよ。ステキなお客さんがいたら渡してあげてね」と言ってくれた。とてもかわいい笑顔だった。俺は嬉しいが他の客にとって嬉しいかはわからないからそれは言わなかった。  福引は商店街の組合が客を喜ばせて何度でも商店街で買い物をさせるためにやっているイベントなので、店主は引けない。だから息子が言うように特別な客に渡していた。 「もしも当たったら教えてくれ。次から『よく当たる福引券』として客に渡せる」  今朝、出かける前に息子は5枚くれた。朝に10Pにならなかったけど渡した福引券もここから出した。 「俺は実験台か?」  笑顔で客は言った。 「そうとも言う」  俺も笑顔で言う。 「また来る」  買ったばかりの中のキルト袋に6枚の福引券を入れ、俺が渡した1枚の福引券を嬉しそうに見ながら客は出て行く。 「まいどあり」  ドアが閉まり、カランカランとベルが響く。  名前も知らない冒険者。  もうすぐ彼は来なくなるだろう。  すごい冒険者になれば、ふつうの道具屋ではなく、もっとすごい道具が置いてあるすごい道具屋に行く。さらに、王都ではない、もっと遠くにある道具屋にだって行けるようになるだろう。そこではうちにはない道具も売っている。  彼らはそれらを求めて王都から冒険に出る。珍しくて便利な道具を手に入れ、ダンジョンの攻略や魔王討伐を行う。そうなると、ウチのようなふつうの道具屋では何の役にも立てない。だから彼らは来なくなる。  でも、冒険初心者は後から後からやってくるから、ふつうの道具屋は商売していける。  カランカランとドアベルが鳴った。 「いらっしゃい」  ふつうの道具屋はふつうの人間のための店である。
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