誰にもできない役目 第四話

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誰にもできない役目 第四話

 長い説明を続けながらも、時折、瞼が重そうに瞬きを繰り返す、彼の不自然な表情の動きは、ダリメル氏の目には、いくらか不自然に思えた。歴史的な式典の責任者のひとりとして、ここ数週間は異常ともいえるハードなスケジュールをこなしてきたはずだ。精神的にかなり疲れているのではないかと思えた。ディマ氏はそんなダリメル氏の気遣いの視線に勘づいたのか、気を強く入れ直して再び意識を取り戻してから、さらに説明を続けた。 「そう……、私は「全国民から平等に選ぶ」という分かりやすい規定を、とにかく強調することで、この選別の公平を装ったわけです。その実、くじの対象からは、一般からは見えない形により、王族や大貴族連中の大部分を除外することを独断で決めたわけです。それに加えて、主たる官庁の役人、主要都市を防衛するための最低限の警備兵、および、すべての政務官、他国に派遣する諜報員とその関係者、各都市でもっとも多く税金を払っている大商人の方々、国家を支えるあらゆる高額納税者、王族主催の演奏会や芸術展にゲスト出演した経験のある文筆家や芸術家、中央官庁の政治行政機関によって定められた、あらゆる決定事項を、満遍なく褒めちぎることのできる大手新聞社の主筆記者、それと、愚にもつかないテレビ討論番組への出演を安く請け負ってくれる御用学者の方々(これには反体制的な市民運動を煽る活動家どもは、いっさい含んでいません)。あとは、これらの人々の二親等以内の親族も、今回に限ってはすべて除外してあります。「対価を貰って仕事をこなす」という概念に、きちんと対応しながら活動できる連中は、お値段以上の価値がありますからね。無理な新法の制定の際に、民衆を手なずけるために、あらゆる手段を用いて巧妙に扇動するわけです。そのためには、金銭によってしか動けない汚れた連中の協力も欠かせないわけです。まあ、大衆もマスコミも、そのどちらについても、生かさず殺さずというわけですね」  ダリメル氏はこの見事な見解に感銘し、ディマ氏の崇高な選択と意志に対して、ほぼ全面的に同調した。 「私の方としましても、その方針でよろしいかと思います。国民の目に見えぬ位置から、我々が新たな身分制度を作り上げ、民衆を明確に区分していく。それが行政の理想です。これらの指針は、重要な任務を任されている職業や、各個人の忠誠心の高さというものは、そのまま国家行政への貢献度の高さを示すものである、という意思を鮮明にするものです。この区分けが明確に存在するからこそ、大衆は仕事や学習において、常に競争心を煽られ、よりいっそう、彼らの人生にとっては不毛でありながらも、国家にとっては極めて有益な階層間闘争を延々と繰り返すでしょう。これぞ、まさに生かさず殺さず! こちらにとっては、その不毛なる闘争がどのような結果に終わっても良いわけです。しかし、この完璧ともいえる階級区分に、一つだけ条項を追加するならば、普段から法律や条例を真摯に守り、国家に絶対の忠誠を誓う市民に対しては、何らかの恩恵があっても良いとは思うのです。なぜなら……」 「なぜなら、とは? どうぞ、遠慮なく、貴方の御意見をお聞かせください」 「新法成立即実行を旨とする我が国の立法府の、何の躊躇もない迅速な手法は、他の先進国のそれと比較すると、やや特殊であるといえます。他国では立法から施行までに一定の準備期間を設定しているからです。立法府や行政庁の方々は、全員が国立の大学や研究機関の出身者であり、非常に優秀な方々でもあります。どのような型破りで突飛な法律が施行されてたとしても、その法律による生活への変化を事前に予測することにより、自らの身の振り方を、一般人よりも、早い段階で決めることも可能なわけです。しかし、日々の家事と労働で手一杯の一般庶民たちは、そもそも、そのような優れた判断力や時間的な猶予を持っておりません……。彼らは国家から下された新法が、自分たちが直面している貧しい暮らしにおいて、どんなにそぐわぬものであろうとも、その全てを受け入れなければなりません。この国においては、王族や貴族に対する民事提訴や反抗については、極刑をも辞さない形で、一切禁じられておりますからね。その点につきましては……」 「しかしですね、そんなことは至極当然のこととして、万民に受け入れられていると思っておりました。法律は国家の未来像を、もっとも明確な形で決定するものです。国家の未来が明るく照らされることは、それすなわち、一般庶民の幸せに直結するからです。我々が署名もせずに作成して、矢継ぎ早に送り出していく新法の数々は、国家をさらに繁栄させていくためには、必要不可欠であると判断されたものばかりです。ただ、法律の上書きにより、さらに多くの富を享受するのは、きわめて少数の王侯貴族に限定されるのは確かかもしれません。あらゆる種の国民すべてが幸福になれる万全の策など存在しません。しかし、経済というものは潤滑油さえ上手くさせば、上級階級が潤うに留まらず、長い年月をかけて、必ずや下々の暮らしにまで循環していきます。つまり、今現在は実の生らない畑の上に座り込み、雑草を食み、泥をなめている庶民どもの日常生活も、将来的に眺めて見れば、より良くすることに繋がっていくはずです。もちろん、これは何の前例も確証もないことであり、我々がこの足でいちいち結果を確認しに行ったりはしませんがね……」 「つまり、端的に申し上げるならば……」と、ディマ氏は右手の細い指先でまぶたを上から抑えて、ダリメル氏の提案を暗に否定した上で、考え深げに独自の見解を述べた。 「この国に住まう人間は、それがどのような階級であっても、また、どんな惨めな職種であったとしても、たとえ、浮浪者や狂信者であったとしても、生まれながらにして、国家に対して完全なる形で忠誠を尽くす、また、新法の全てを遵守する、というのは当然のことなのです。さらに言えば、名も知らぬ官吏が数分前に定めたばかりの法律を、生活を営む上で必要なのだと認知することも、しごく重要なことです。頑なに信用することこそ、愛国心の表明に他なりません。また、信用という貢献を担保にして、国家から何らかの優位性を引き出すことはできません。彼らは次の一瞬に、これまでの生活そのものを覆す新法が生まれ得る、という当たり前の現象に対して、それが自身にとって、どんなに悲劇的な結果を生み出そうとも、それを頭の中で上手くごまかして、記憶と予測を上手く整理して、別の幸福を模索しながら生きていく。すなわち、国家が新しい勅令を発すれば、それがどんな巧妙な扇動の意志を持っているにせよ、余計な思考や疑念や詮索を、脳の内部からすっかり排除して、そのすべてを、ありのままに受け入れなければならないのです」 「なるほど……、その上で、我が国の善良なる民衆の中から、くじという公平きわまる形式によって、無作為に選びだされたのが、この男というわけですか……」  ダリメル氏はその少し不安げな視線を、汚い上着を羽織ったまま床にへたり込む、田舎者のやせ細った姿にそそいだ。その男の実にやり切れなさそうな表情は、国家への強い忠誠心という概念からは、ほど遠いものに思われた。そして、先ほどまでの無為極まる強い抵抗にこそ、この男の本領があるようにさえ思えた。その表情は確かに諦めかけているようにも見えた。しかし、それは完全なる恭順を意味しているのではなく、これからその身に及ぼうとしている、確実な異変について、敏感に察知しながら思考を巡らしている様子にも思えた。 「そう、きわめて公平な抽出方式によって、やむなくこの男が選ばれたわけです。本当は国立大学卒の優秀な人材をこの任務にあてたかったのですが、どこに問い合わせても前向きな返事はきませんでした。そのために無作為の抽出という形をとります。その取り決めが行われた時点で、期日はすでに差し迫っていました。今さら不満は言いますまい。もはや、誰の意見も、もちろん、この私の意志や感情をも差し挟むことはできないわけです。どんなに暴言を吐かれ、反逆を示して大暴れをされても、この首根っこをひっ捕まえて、会場まで引きずっていく他はありません。王族も参加される式典の開始時刻は、もう、すぐそこまで迫っているからです。国王陛下の見守る前で、予定通りに儀式を執り行うしかありません。それがどのような見苦しい失態を招く結果となってもです」  ダリメル氏はその言葉で、何かを思い知らされたように、首を動かして、この広い執務室の最奥の壁に掛けられている、豪奢な飾り時計に目をやった。 「そう言われてみますと、王族の方々は、もうすでに、大聖堂の控え室に入場されて、今現在、正装へのお着替えを為されています。名にし負う大貴族の方々も、すでに身支度を終えられて、続々とメインフロアへと入場されています。どんな理由があれ、我々ふたりが開会前の挨拶に遅れていくのはまずいわけです。たとえ、この男が自分の責務を受け入れなかったとしても、とにかく、会場へ向かわなければ……」  ダリメル氏はこの緊張を伴う忠告を、今回の大舞台の総責任者である、ディマ氏にとって、なるべく、余分な心理的負担にはならぬように、温情を込めて伝えることにした。選ばれし者が国家反逆者であったというこの悲観的な事実に屈することなく、この貧民の激しい抵抗を何とか押さえつける形で、情け容赦なく、予定通りにこれを推し進めていくことは、おそらく、その後の展開で大きな困難を伴うであろう。しかしながら、それ以外には、すでに選択の余地などないことは、この場にいる二人とも、とうの昔に理解できていた。 「昨日の朝の段階で、大幅な遅れが出ることは、すでに了解していましたので、その旨は式典の進行役の方にも伝えてあります。この男が今さらつまらない抵抗などをしなければ、時間の上では、十分追いつくと思います」  ダリメル氏はその頼もしい返事を聞いて、少しの安堵を得たようである。そして、自ら持参してきた、黒いモロッコ革製の小型のバッグの中から、事前に頼まれていた、数枚のレジュメを取り出すと、それを盟友に手渡した。ディマ氏は、それをペラペラと数度めくってみてから、テーブルに備わっているひじ掛けの付いた、凝った造りの椅子をひとつ手前に引き出した。そして、わざわざこの世の果てに属する農村にまで赴いて、懸命に拉致してきたひとりの貧乏人をそこに座らせた。男はこの期に及んでも、何とかこの場から逃亡できないものかと脳内で思考を巡らし、自分の表情の変化に注目している、高級官吏のふたりから不自然に目を逸らした。これは田舎者特有の著しい動揺を示すものである。  ディマ氏は人類が新たな進化を経る過程で否応なく発明してきた、多種多様な暴力的な行為によって、この男を法に従順な善人に改心させて、その上で指令に従わせようなどとは、まったく思わなかった。それが無駄な行為であることは、もはや明白だからである。この男にこれ以上の暴行を加えることによって、かえって、立ち直れないような負傷を負ってしまうと、それこそ、事態はさらに混迷の度合いを増すからだ。遺憾ではあるが、この中央都市にまで連れて来てしまった以上、式典の主役を務められる代役は存在しないのだ。ディマ氏は男の正面に座ると、なるべく優しく諭すように語りかけた。 「いいか、よく聞いてくれ。君にはこれから大聖堂に参内してもらい、ある重要な式典の主役を演じてもらう。今日一日上手く演じきれたなら、報酬も約束しよう。未来に何の望みもない貧民層の農民に生まれた君にとって、これは、大変名誉なことなんだ。ここまではわかるな?」  しかし、そのくだらない男は、激しい抵抗心によって生まれた失意を改めて示した。この決してありがたくはない任務を、何とか逃れたいという願望を、いまだに諦めてはいなかったわけだ。彼はこの大都市の省庁にまで連れて来られていながら、まだ、この提案を簡単に承服しそうにはみえなかった。 「うそだ、あんたたちは、そもそも、できもしない絵空事を法という概念に託し、施行することすらできない法を作り上げてしまった。人を裁くという行為が自らの手には余ることが判明すると、今度は裁判官というポストを作り上げ、それを誰かに押しつける策を思いついた。結局のところ、その判定を下す人選をどうするか迷い迷ったあげく、俺のような、判断を誤って生きても死んでも、どっちに転んでも、一向に構わないような下層の人間を田舎の隅から引っ張り出してきて、その責任のすべてを押し付けようとしているんだ!」  ディマ氏はこの期に及んでも、まだ、そのような無知蒙昧な反論を聞かされたが、ここで感情を熱くたぎらせてしまうような小人物ではなかった。彼はその太い指で男の肩を強くつかんで何度も揺すってみせたのだ。この行為は、これからの激しい暴力を示唆するものではない。この社会のすべてにまたがる難題を、より良い方向に、いち早く解決しようという、彼の堅固な意志を物語っていた。 「いいか、この段階になって、私とおまえでことの善悪とか、人権の重要性とか、そういった、低級大学の安っぽい教科書の内容に沿ったような議論をしている場合じゃないんだ。その地点は、もうとっくの昔に通過している。今はもう、我々は皆一致協力することで、この喫緊の難局をなんとか解決せねばならん。それだけはわかってくれ」  無理に連れて来られた(と思い込んでいる)その男は、それでも、自分が立たされている悲壮な立場を、到底受け入れることができずに、心中では怒りと混乱に任せた幾ばくかの反論を用意していた。しかし、これは誰の人生にも起こり得ることである。いつの間にか出世、いつの間にか左遷、いつの間にかリストラ、そして、いつの間にか葬式。常識ではなかなか理解できない、半ば不条理な押しつけであっても、それが長期間にわたり、延々と繰り返されているうちに、なぜだか、自分は黄泉の国から遣わされたお偉い使者の訪問を受けていて、何とか自己の死を受け入れてくれるようにと、有り難いお説法を聴いているような心持ちにもなり、この期に及んでは、どれだけ暴れてみても、絶対に覆すことのできぬ運命ではないかと、首に太い荒縄を巻かれることを喜んで受け入れることも、遺憾ながらあり得るわけだ。 「よし、いいか、式典での作法については、こちらの方で短くまとめておいたから、なるべく集中して聴いてくれ。おまえさんには正午からこの中央都市で行われる、今年で百周年を迎える、建国記念祭の一環として開催される、『民主的裁判開幕式』に裁判長役として出席してもらう。時間が来たなら、このちらの支持で、大聖堂の最上段に登壇してもらう。我が国初の裁判長として観客からの大拍手に迎えられるだろう。ただ、これはアイドルのコンサートではないから、極力冷静を装ってくれ。それが止むのを待ってから、会場の皆さんに向けて、一度だけ深く礼をしなさい。王族貴族をはじめとする、お偉さん方が多数眺めているだろうが、二階席から演壇までは遠く、最新式の双眼鏡をもっても、細かい振る舞いまでは確認できないはずなので、あまり気にしなくていい。不審に思われても君のせいではないから、余計な緊張はまったく必要ない。  次に、おまえさんの登壇を待って、三人の囚人が続けざまに入場してくる。もちろん、本物の罪人が出向いてくるわけではない。皆、金で雇われた役者連中だ。その後、警察側と弁護側がいくらかの込み入った議論を進めるだろう。まあ、これも「本格的な裁判が行われていると見せかける」ための形式的なものなので、いちいち細かい反応を示す必要はない。議事の進行については、司法庁のお偉い官吏の方々が中心になって、これを取り仕切ることになっている。そうだな……、今回については、王族の方々へ初めてお披露目することが目的なので、だらだらと長ったらしくやる必要はないだろう。おそらく、加害者ひとりにつき、約三十分ほどで審理が終わるはずだ。  その後、約十分間の休憩を挟む。議事の進行については、詳細なレジュメを事前に渡しておくから、次の偽裁判が始まるまでの間に、大筋の発言は頭に入れておくこと。審理が再開されたなら、被告人から罪状認否と被害者とその家族に向けての謝罪の言葉がある。ここが一番の見せ場となる。王族が自己の判断のみで、罪人を次から次へとバシバシとギロチンにかけていた頃は、遺族への謝罪など何の意味も持たなかったからな。「ここが今回の新法で変わった点ですよ」と、民衆に向けてアピールするわけだ。その後、全員起立の上で、君が最終的な判決を下すことになる。動機の有無や刑法に照らし合わせた判決理由がかなり含まれるだろうから、それなりに長い文面になる。ここもそれなりに難所だ。難解な単語については、読み違ってしまっても構わない。よほどの大きなミスがあった場合は、後でこちらの方から王族の方々に向けての訂正文を配布しておく。以上でわかったかな? これが君の本日の仕事のすべてなんだ」  これまでの半生のほとんどを泥に浸かった状態で生きてきた、貧民ピューロー氏は比較的落ち着いた様子で、ディマ氏の淡々と語られる説明に大人しく耳を傾けていた。自宅で即座に銃殺されなかった以上、当然ながら、このような重大な事案を押しつけられることは、おぼろげながら予期していた。しかし、改めてその詳細を知らされると、身も凍る思いであった。 「人が人を裁くなんて……、聴いたこともねえ……。ご自分で歴史上類を見ないような重大法を作成しておきながら、それを無関係者に押しつけるなんて、こんなことを本当になさるおつもりですか?」 「何も脅えることはないんだ。責任者であるこの私が、国家が為す正義に確信を持って、君を指名しているわけだ。君が為すべき仕事は正義と悪の判別であるとか、命を裁く司法の責任などという、厄介な意味合いをほとんど含んでいない。事前に渡されたレジュメを、ただ丁寧に、声は緊張に震えてもいいから、なるべくゆっくりと、なるべくよく通る声で読み上げていけばいい」  それでも、貧民ピューロー氏の目つきは鋭く、その反抗姿勢は揺るぎなかった。しかしながら、発作的な精神狂乱を装いつつ、突如として、この場から走り去ることも、その後の機動部隊による追撃を振り切って安全地帯に逃げ込むことも、絶対に叶わないことは理解できていた。これまで体験したこともない絶望に襲われた。国家の首脳やその下部組織のすべてが敵に回った以上、もはや、こちらの反論を捨てる他はなかった。彼は地道に歩んできた、これまでの自分の生活を完全に捨て去る前に、ディマ氏に真剣な眼差しを向け、低い声で、半ば本気で、半ば捨て鉢気味に話しかけたのだった。 「ひとつだけ、よろしいですか? この国の中枢には知性がきわめて高く、膨大な知識も持ち合わせる、優秀な文官の方々が大勢勤めておられると伺っております。なぜ、それら上級職の方々が、直接この問題に取り組まないのですか? 法律や道徳の知識を何も持たない、貧困層の我々に、このような重大な判断を押し付ける理由はなぜですか?」  ディマ氏は貧民の代表といえる存在から寄せられた、そのような大それた問いかけに対しても、ほとんど感情を高ぶらせることはなかった。そして、声を荒らげることもなく、この瞬間に万全を期して、ある程度の決意を込めてこう呟いた。 「今日という日を境にして、裁判権という重要な権利を、本来は何の権限も持たないはずの民衆の手に委ねるということ自体は、すでに半年以上も前に、貴族院や枢密院による合議で決められたことだから、今さら誰に反対されようとも、手の打ちようはない。ただ、私自身は人が人を自分の知識と思考の範囲のみで裁こうなんて、およそ、この世のモラルから外れた行為だと思っている。これが正しいか誤りか、善なのか悪なのか、モラルなのか狂気なのか、その一つひとつの判断は、後世のお偉い学者諸兄がすることと思う。つまり、現代の学術レベルで結論を出すことは無理だ。君たちのような、何の知識も持たない大衆が刑罰の判定を下すことは難しいだろう。ただ、我々のような国家の重責を担う人間にとっては、裁決の一つひとつが本当に危険な賭けになるわけだ。百年後、千年後に突然自分の判断が問題視され、ある時代を境に極悪人にされているかもしれない。後世に生きる少数の愚か者による、つまらない判断から、英雄としての名声を失うことになるかもしれない。つまり、自分の死後においても、常に危険に晒される事案になってしまうわけだ」  ディマ氏は一般人に初めてその心労を吐露して、ある程度は重圧から解放されたようであった。彼はそれ以上重い言葉を吐くこともなく、静かに立ち上がった。そして、横でこれらのやり取りを見守っていた、友人のダリメル氏に向けて軽く一礼した。 「今、開会を告げるファンファーレが聴こえた。もうすぐ、式典が始まるようだ。空前絶後といえる我々の企みも、いよいよ本番を迎えるわけだ。私は他にも関わらないといけないことがあるので、お先に失礼させてもらうよ。後のことは、ここにいる一等書記官から手ほどきを受けてくれたまえ。上手くやってくれよ。双方のためにな」  この時代における、偉大なる急進派であるディマ氏は、貧困層の人間に対しても、最大限の温情をかけてから、白金の細工が施された豪華なドアを押し開けて、外で待っていたお供と合流。足早に大聖堂へと進んでいった。
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