*ダークヒーロー

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許せない。 瓏凪をモノのように利用したこいつを。 許せない。 瓏凪の両足から、自由を奪ったこいつらを。 理性の飛んだハルの瞳は鈍色に光り、異様な気配を放ちながら小山田の胸ぐらを掴んだ。 「う…、な、なんだ…?」 抵抗しようともがく小山田の体から徐々に重みが消えていく。 手足は痺れ、内臓が直接鷲掴みにされたような未知の感覚に背中がゾッと冷えた。 「は、離せ、笠井…!!離せ!!」 ハルが相手に打撃を与えるのに拳はいらない。 ただ天井にまで連れて行き、手を離せばいいだけだ。 怒りに全てを捧げるハルを不自然な風が取り巻いていく。 踵が浮き、爪先まで木の床から離れようとしたその時、大声が響いた。 「ハル!!駄目だ!!」 大衆の騒めきを押し退け瓏凪が叫ぶ。 完全に我を忘れていたハルは、胸に届いた(おと)にぴくんと反応した。 「ろー、な…?」 遠目に瓏凪と目が合い、真っ青な顔で引き攣る小山田から手が離れる。 唐突に、空間が歪むようにハルの視界がぶれた。 不自然に逆立つ癖毛は流れ落ち、瞳から光が消えていく。 浮きかけた体はずしりと重みを取り戻し、足の震えに耐えきれずその場に崩れ落ちた。 “相馬”が抜けたハルに、忘れていた疲労が加算され一気に襲いかかる。 「ん…、か、かはっ、は、はぁ、はぁ…」 「笠井!!」 駆けつけた吉岡達が引きずるように小山田からハルを引き離した。 稲本が「いつもの笠井の顔だ」と目の前でひらひらと手を振る。 試合は一時中断し、中島と金井も駆けてくる。 ハルは不審な目で自分を囲む四人を見上げた。 「あ、俺…」 …やってしまった。 よりによって、こんな大勢の前で。 何の言い訳も思いつかず居た堪れなさに泣きそうになっていると、ハルのそばに金井がしゃがみこんだ。 「笠井、点数見てみろよ」 「え…?」 金井の視線に促されて得点板を見る。 58対60。 相馬にいいように点を取られたことを思うと、ここまで詰め上げたハルの功績は大きい。 「とりあえず細かいことは全部後回しだ。残り一分、いけるか」 「金井…」 「ここまで来たら勝つしかないだろ。このコートには、最後までお前が必要なんだよ」 無骨な手がハルの前に差し出される。 あんなに荒んでいた金井の瞳が、今はハルを映して静かに凪いでいた。 試合の勝ち負けにこだわったわけじゃない。 金井にとっても打ち勝たなければならないのは、きっと己自身なのだ。 おずおずと重ねたハルの手が力強く引き上げられる。 二人の手が離れる前に、中島が重ねるように手を置いた。 「お、おい真紘…?」 金井は眉を寄せたが、逆に稲本はパッと目を輝かせると嬉々として汗だくの手を重ねてきた。 「いいね、こういうの!チームって感じ!ほら、吉岡(キャプテン)!」 吉岡は顔を顰めながら鼻を鳴らし、分厚い手をドンと乗せた。 「しょうがねぇな!!このまま笠井にだけ頼って終われないだろ!!皆で最後まで行くぞ!!」 「おお!!」 重なった五つの手がぐっと沈んでから天井に放たれる。 コートの外から見ていた的場は、ラスト一分にして心を重ねた五人に仄かな感動を覚えた。 あそこに入れない自分が少しだけ歯痒かったが、手を離した吉岡たちは揃ってこっちを振り返り拳を握った。 皆を繋いだ一つの要因は、間違いなく気弱な彼が見せた勇気だから。 「な、な、なんだよあいつら…!」 的場は不意打ちに熱くなった目頭を慌てて拭った。 スポーツとは縁遠く、むしろ毛嫌いさえしていた的場が初めて胸の熱さを得た瞬間だった。 試合再開のムードに観客が拍手で後押ししたが、そこに複数の教師が慌てて乗り込んできた。 あわや強制終了となりかけたが、吉岡が問題ない旨を伝え、暴力行為が見られたら即終了を条件に最後の一分が動きだした。 相馬はすっかり興を削がれ小指で耳をほじっていたが、ハル達五人がコートに並ぶとにやりと笑った。 「へっ。そうこなきゃな」 小山田は青ざめたまま動くことができず、それに伴い古賀や大黒達もただ気怠そうに立つだけだ。 実質1対5だが、それでも相馬は脅威であり、加えてこちら側もハルは立つことすらままならない。 金井、中島、吉岡、稲本はハルを庇うように相馬の前に立ち塞がった。 「相手は相馬一人だ。とにかく死ぬ気でボールを奪え!!」 「おおっ!!」 吉岡から端的に出された最後の指示。 金井達は気力で吠え、強気で構えた。 さっきまで相馬の迫力に萎縮していたが、今は違う。 相馬に一歩も引けを取らずにやり合ったハルの姿が、知らずに四人の怖気心を払拭していた。 重い音を響かせる相馬のドリブルに真っ先に飛び出したのは稲本だった。 「くっそおぉ!!俺ができるのは守りだけなんだからな!!」 千手観音よろしく全力で阻止にかかったが、相馬は二、三入れたフェイクで稲本の動きを偏らせ横から抜いた。 その先で吉岡と中島が揃って進路を塞ぐ。 現役バスケ部二人の妨害が相馬の足を止めさせる。 残り30秒。 「ここは通さないぜ相馬!!」 「ちっ!!」 一人が抜かれても一人が粘る。 逃げ切れば自動的に相馬たち7組の勝ちだが、巨大な男はこの攻防戦を最後まで楽しむように攻めの手を緩めなかった。 「邪魔くせぇ!!」 相馬は大きく振りかぶり、ゴールボードへ向けてボールを投げた。 シュートではない。 パスの相手がいない代わりに、ボールが跳ね返る間に中島と吉岡の包囲を突き抜けたのだ。 「しまった!!そのままとどめを刺す気だ!!」 残り15秒。 破天荒なプレイに遅れをとった吉岡達は間に合わない。 ボールを宙でキャッチした相馬は勢いのままにリングに叩きつけた。 …が、ボールがリングをくぐらない。 相馬に食らいつくように飛んだ金井が、直前で玉を弾いていた。 残り8秒。 「ぐっ!!クソがぁ!!」 着地した相馬は間髪入れずにボールに飛びつくという凄まじい身体能力を発揮したが、それでも中島の飛び込みの方が速かった。 ボールを引き寄せ、身体中をバネにしてパスを出す。 残り4秒。 「笠井!!」 一人走ることができなかったハルに容赦のない(パス)が飛ぶ。 受け損ねれば負けは確定だというのに、ハルはまだ膝に手をついたまま動けない。 だが雨を浴びたように流れる汗の中で、その目はちゃんとボールを捕らえていた。 直前で赤子を受け取るように差し出した両手。 軽く後ろへ跳躍し、“相馬”から学んだ柔らかな動きでボールの勢いを殺す両足。 ハルの手の中で、ボールが抱き止められた。 残り1秒。 ひと呼吸の間に放った最後のシュートが、綺麗なアーチを描く。 ボールは音を立ててリングに当たり、僅かに浮いた後で吸い込まれるようにネットをくぐった。 残り時間0。 「は…、入った…」 「点数は!?」 加算された三点がパラパラとめくられる。 61対60。 鳴り響く試合終了の笛。 ハル達の、逆転勝利だった。
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