*ハルのテスト勉強

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後ろを振り返りもせず非常階段まで走り抜けたハルは、変な音を立てる喉を押さえながら階段に座り込んだ。 「はぁ…、はぁ。い、いったい何だったんださっきの」 女子にあんな絡まれ方をされたのは初めてだ。 とても好意的な雰囲気とも言えず、全くもって意味が分からない。 呼吸が少し落ち着くと何度も後ろを振り返りながら階段を降り、小走りで食堂を目指した。 「越前…!」 越前は食堂前の壁に背を預けながらスマホを見ていた。 その姿を目にした途端、ハルは自分でも意外なほど安堵した。 「お待たせ!瓏凪(ろーな)は?」 「後で来る。先に寮で手続きするぞ」 淡々とした物言いには安らぎさえ覚える。 そんなハルを、越前がふと見下ろした。 「何かあったのか?」 「え…」 ハルの足がぴたりと止まる。 そんなに顔に出ていたのだろうか。 だが別に取り立てて話す程何かがあったというわけではない。 「ううん、何も」 「…」 「行こうよ」 促すように寮へ繋がる渡り廊下を指差す。 越前は顎に手を添え何か考えていたが、結局何も言わずに歩きだした。 校舎が背後へ遠ざかると、代わりにあちこち壁の剥がれかけたベージュの建物が近づいてくる。 越前の寮生カードをオートロックに通すと、ガラスの自動扉がスライドして開いた。 中に入るとやや湿り気を帯びた臭いが漂ってくる。 薄暗い廊下が続き、左手の壁にかけられた木の板には「山桜桃梅(ユスラウメ)」と太い墨で書かれていた。 恐らく寮の名前だろう。 「なんか、学校の延長上に住んでるって感じ」 「実際その通りだけどな。そこの階段を四階まで上がるぞ」 「え、寮生って少ないんでしょ?それなのにわざわざそんなに上なの?」 「三階までは四人一部屋ばかりで、四、五階は2DKになってる。俺も詳しくは知らないが、昔近くの短大生も寮として使っていた名残だそうだ」 「ふーん…?」 越前は古びたカウンターに置かれたパソコンでハルの学生番号を打ち込み終えると、学生証を返してきた。 それから階段を登る間も、今は寮というより実質は一人暮らしの支援が主なことや、昔のような厳しい寮制度等はないことなどを説明してくれた。 ハルは一応相槌を打って聞いていたが、越前が部屋の扉を開くと、意識はすぐにそっちに持っていかれた。 「わぁ…」 入ってすぐ右手には洗面所と風呂。 正面扉の向こうには小さなキッチン付きの洋室。 簡易な間仕切りの向こうは和室だ。 「すごい…!ほんとに一人暮らしみたい!!いいなぁ…」 古い部屋だが、きちんと整頓されていて掃除も行き届いている。 そのせいか部屋全体からはこざっぱりとした清潔な香りがした。 小物や飾りなどが一切ないのが、何とも越前らしい。 ハルの肌はすぐにこの部屋を気に入った。 「ハル、こっちだ」 越前は和室に入ると、手慣れた様子で折り畳み式のローテーブルを出した。 「何から始める?」 「えっ…、えーと。じゃあ一番分からない英語かな」 「どう分からない?」 「うーん、こう、全体的に、もやっと…?」 「…」 これは教える側にしても骨折りな予感だ。 越前はそっとため息をこぼしたが、文句も言わずに教科書を手に取った。
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