*ハルの体質

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返ってきたテストの束を手に、ハルはリビングの椅子で縮こまっていた。 越前のおかげで散々な結果だけは避けられたものの、褒められた点はひとつもない。 「まぁ、引っ越しもあったかぃ、今回は仕方ないね」 母は腹にくる重低音を響かせたが、恐れていたスマホ没収は言い出さず、そっとテスト用紙を返してきた。 ハルはカモシカの如くリビングを出ると、これ以上何か言われる前に自室に飛び込んだ。 「せ、セーフ!!越前、感謝…!!」 これでやっと大きな憂鬱を一つ乗り越えた。 ハルは小躍りすると、くるりと回りながらベッドの上へダイブした。 「よかったぁ。心置きなく遠足にも行けるや」 早速スマホで情報を引き出し指先で楽しんでいると、僅かな音が鳴りメッセージが届いた。 「あれ、瓏凪(ろーな)だ」 メッセージが来るなんて珍しい。 というか、これが初めてだ。 「何だろ。えーと、料理上手の…」 料理上手の母ちゃんからスマホは死守できたか。 ハルはシンプルな一文に目が点になると、一拍した後吹き出した。 「お、か、げ、さまで、スマホは無事、守れました、と。…はは、瓏凪ってば心配性ぉ」 こんな友だちみたいなやり取りは初めてだ。 不快どころか、なんだか心があったかい。 調子を良くしたハルは、越前にもお礼メールを入れてみた。 既読はすぐにつき、「よかったな」と越前らしくそっけない文面だけが返ってくる。 あの涼やかな眼差しが浮かぶと、浮かれた気持ちに拍車がかかった。 スマホの画面を音楽に切り替え、満たされた思いで天井を見つめる。 きっと三人一緒の遠足は楽しいだろう。 そういえば越前は乗り物なんて乗るのだろうか。 瓏凪は何をしても絵になるに違いない。 そんなことを考えながら目を閉じていると、「親しい友だちをつくってもいい」と言った佐護博士の言葉が脳裏をよぎった。 薄く目を開き、もう一度天井をぼんやりと見つめる。 「…」 流れていく、目新しい洋楽。 ハルは洋楽しか聞かない。 …いや、聞けないのだ。 この先、越前や瓏凪と仲良くなれば、いつかハルの抱える厄介な問題は露見するだろう。 その時に一体どう言い訳をすればいいのだろうか。 浮かれていた反動のように、胸に虚しさが広がっていく。 「やっぱ、あんまり関わらん方がええんかな…」 だって、また気味悪がられたり軽蔑されたりしたら。 昔みたいに、あの二人にまで気まずい顔で避けられたら。 ハルはうつ伏せになると枕に顔を(うず)めた。 考えたくない。 考えたくない、考えたくない。 一人でいい。 ずっとずっと、一人で空にいたい。 「…」 そっと顔を上げてスマホを手に取る。 ユーモアのある瓏凪のメッセージ、シンプルな越前の返信。 たったそれだけを何度も何度も交互に見返す。 ハルは上半身を起こすと、全く諦めきれていない自分に頭をかいた。 ソワソワと胡座をかいた体を揺すり、スマホを持つ手に力が篭る。 意を決したハルの指先は音楽を止めると別のアプリを開いた。 姉が好意で入れてくれた、今まで一度も開いたことのないアプリだ。 「最近やらかしてないし、もしかしたら治ってるかもしれんし…」 スマホの画面に浮かんだのは、沢山のドラマや映画が選べるホーム画面。 誰でも知ってる月額数百円で見放題のものだ。 ハルは慎重に学園ものを選んだ。 あらすじを吟味し、あまり影響のなさそうな地味なものを探す。 「よし、これならまだ大丈夫かな」 ごくりと生唾を飲み、再生ボタンを押す。 短いCMが終われば華やかなオープニングが流れ始めた。 イヤホンをつけたハルは半目でそれを見ていたが、抗えたのは最初の十分ほどだった。 その目は次第に瞬きを忘れ、没頭というには余りにも意識のない状態で流れる音楽と映像を見つめ続けていた。
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