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*遠足ハプニング
ハルの学校生活は、とりあえず順調に軌道に乗っていた。
しばらくは平和が続き、楽しみにしていた遠足もいよいよ明日だ。
「10時現地集合、私服、と。えーと電車代は母ちゃんに貰うとして…」
お土産を買いたくて財布を開くが、虚しい風が無情に吹く。
「駄目だ。やっぱ夏休みくらいバイトしたいなぁ。服も欲しい」
リビングに降りて遠足の準備を整えていると、母がテーブルに紙のお金を置いた。
「ハル、遠足の小遣いここ置いちょくね」
「え、いいん!?」
母は神々しい諭吉様をハルの前に滑らせると、みちっと肉のついた腕を組んだ。
「ハルには引っ越しでも迷惑かけたかぃ、ちびっとくらい楽しんじょいで」
「えぇー!?母ちゃんありがとう!!」
まさかこんなご褒美を貰えるとは嬉しい誤算だ。
ハルは頭の上で両手を合わせ胸を躍らせた。
*
遠足当日。
空はハルの心のままに青く晴れ渡っていた。
慣れない電車も便利なアプリ様が誘導してくれるので楽勝だ。
プラットホームを歩いていると、柱に掛けられた鏡に自分の姿が映る。
薄いピンク地のTシャツにプリントされているのはモノトーンの南国の景色。
丸襟はハルのくせ毛と相性がいいが、色褪せたデニムのパンツは中学生くささが抜けずに残念なため息がもれた。
電車に乗り込むと無意識にイヤホンを繋ぐ。
だが音楽を選ぼうとした指は途中で止まった。
…今日は、やめておこう。
せっかく楽しみにしているのだから。
窓ガラスに映るハルの口元には、穏やかな笑みが浮かんだ。
電車を降り、目的地が近付くと途端に人が増えてくる。
暖色に塗り替えられた道は滑らかで、色とりどりに歓迎してくれる花たちは太陽を浴びて元気に揺れている。
何を表しているのかさっぱり分からない銀色のオブジェを横目に軽快な音楽に足を乗せると、期待値ばかりが高まった。
「うわぁ、もうワクワクする!!」
集合場所は入場門から少し離れた土産店の前。
既にそれらしき生徒たちが大はしゃぎをしながら集まっていた。
ハルは担任の上島を見つけると、名簿に書かれた自分の名前に丸をつけた。
越前も瓏凪もまだ丸印はない。
ハルは集団から少し離れ、可愛らしい曲線を描くベンチに腰掛けて待つことにした。
「あれ、笠井じゃん」
「よ、おはよ。一人か?」
声をかけられて目を瞬く。
取り囲んできたのは一度も喋ったことのない、クラスでも一際賑やかな男子の集団だ。
揃いも揃ってお洒落を意識したアクセサリーをつけ、派手な色のシャツを着ている。
「お、おはよう」
とりあえず挨拶を返すと、無遠慮に隣に腰を下ろされた。
「瓏凪は?一緒じゃないのか?」
「いや、まだ来てないみたいだけど…」
「ちょうど良かった。俺さ、笠井に前々から聞きたいことあったんだよ」
「聞きたいこと?」
「お前どうやってあの二人に近づいたわけ?」
意味深に向けられる五人分の視線。
だがハルは本気でその質問の意味を図りかねた。
「ちょっと…意味が分からないけど」
「もったいぶるなって。あ、それともお前、気付いてないだけでパシらされてるとか」
ハルの肩に手を回した茶髪の生徒、金井大翔は、雰囲気から見てこのグループの中心人物のようだ。
それを証明するように、金井がハルを揶揄うと周りもどっと笑った。
「なぁ今日さ、俺らと一緒にいられるように瓏凪に笠井から頼んでみてくれないか?」
「え…」
ハルの顔が分かりやすく曇る。
気の弱い者なら意志に関係なく頷いてしまうだろうが、ハルは良くも悪くも断り慣れている。
「ごめん。俺は三人で楽しみたいから」
はっきり言うと、にやにやしていた金井は顔つきを変え、肩に回した手に力を込めた。
「そう邪険にすんなよ。お前は越前がいれば充分だろ?」
「はぁ…?」
「それにしてもお前よく越前のそばになんて居られるよな。あいつ特進科だからって絶対俺らのこと見下してるぜ。今だって瓏凪を独占して特別気取りだ」
ハルの眉はムッと寄った。
これは聞き捨てならない。
「越前はそんな奴じゃない」
「お前は何も知らないからそんなことが言えるんだよ。まぁ聞け。瓏凪はな、元々は俺の一番の親友だったんだ」
「え…」
「でもちょっとした事故があって一時気まずくなってさ。そんな時に何食わぬ顔で越前が瓏凪に近づいて、挙句に俺たちを威嚇するときた」
「事故?」
ちらついたのは瓏凪の膝。
もしその事故の後遺症だとしたら、当時はよほどの怪我を負ったに違いない。
「ま、てわけでさ。今日はせっかくのチャンスだし上手く頼むわ」
金井に手を引かれベンチから立たされる。
間の悪いことに駅から歩いてきた瓏凪とそこで目が合った。
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