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新しい環境でも、最初の一週間をこなせば比較的心の負担は減るものだ。
靴箱やロッカーで迷う事もなくなったし、お弁当を食べる場所も非常階段で丁度いい。
ハルの態度は一貫して初日から変わらない。
おかげで今日も今日とてハルは一人。
だが勿論淋しいなんて思わない。
そんなものより大事なことが、一人の時間にはあるわけで。
*
誰もが望む午前終了の鐘の音。
お腹を空かせた生徒たちは、解放感あふれる笑顔でお喋りをしながら散っていく。
ハルもさっさとノートを閉じると、ポケットからスマホを取り出した。
画面に浮かぶのは昨夜見つけた新曲のタイトル。
せっかくいいものを発掘したのに、聞いてる途中で寝落ちしてしまったのは一生の不覚だった。
「うぅ…、早く聞きたい…!」
五分休憩では余韻に浸る時間がない。
ハルは我慢に我慢を重ね、ずっと昼休みを待っていたのだ。
急ぎ足で廊下を歩くハルのポケットで、入り損ねたイヤホンの片方が軽快に揺れていた。
ご機嫌にいつもの非常扉から外へ出ようとしたが、触れた取手に背後から人影が差した。
「よ、笠井」
「え…」
振り返り、まず目に触れたのは赤いピアス。
そして鼻先をかすめた大人すぎない爽やかな香り。
ハルに声をかけてきたのは、あの華やかな青年だった。
「な、なんでしょう…。えと…」
「今から学食で飯食べるんだけど、笠井も一緒に行かないか?」
「えっ」
「俺は、桃田瓏凪。よろしくな」
笑顔がやたら眩しいのは、窓から差す太陽光のせいだけではないだろう。
自信に満ち満ちた誘いは、今まで男女問わず大多数の生徒が喜びに頷いてきたことを裏付けている。
だが残念なことにハルは特異な例外だった。
まずその顔が「今名前なんて言った?」と傾いでいる。
それにこの昼休みは彼にとって一分一秒すら無駄にできない待ち望んでいた時間だ。
どうするかなんて天秤にかけるまでもなかった。
「ごめん。俺はいいや」
あっさり断り背を向ける。
だが歩き出そうとしたハルの肩を、長い指が後ろから止めた。
「待てって。何か先約でもあるのか?」
「先約?」
「誰か待たせてるとか」
「いや…別に?」
それならいいじゃないかと言われそうで無意識に構えたが、瓏凪はハルがずっとソワソワしながら握るスマホの画面に気付くと話題をそっちに振った。
「それ、レッドガンドの新曲じゃねぇか?俺も好きなやつだ」
「え!?ほ、本当?」
ハルの目が途端に生き生きと輝きだす。
「洋楽、えと…、詳しいの?」
「まぁ、メジャーどころは大体分かるかな。インディーズならレモ・アレンも聴くし、ローズマリーポアロも好きだな」
「うわぁ!!アレンまで!?」
今までこんな話が出来る相手が周りにいなかったのだろう。
ハルは弁当とスマホを握りしめながら目一杯瓏凪を見上げていた。
そして尻尾を振る相手に極上の手でよしよしと撫でてやるのは、瓏凪の得意分野だ。
勿論この時もにっこり笑いかけた。
「笠井…えと、ハルでいいか?俺も瓏凪でいいから。時間も勿体無いし、飯食いながらもっと話しようぜ」
「え…!?えと…」
「こっちこっち」
迷い出したら優柔不断なハルと、隙を与えない鮮やかな誘致。
一度断られた事なんてなかったかのように手を招く瓏凪に、ハルは躊躇いながらついて行くことになった。
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