0人が本棚に入れています
本棚に追加
秋
今日はワンピース1枚だと寒いか、一応コートも持っていくか。そんなことを迷いながら、奈津美はコーヒーを片手に外を眺めた。
(秋は過ごしやすいけど、いつからセーターを着るか、コートを着るかが迷いどころだよな。)
隣の公園の木花が揺れている。ふと、春に旭川で見た植物が気になった。奈津美は必死に思い出そうとした。
(菊だったなー。なに菊だっけな。)
そんなコーヒータイムを過ごすと、あっという間に出発の1時間前だった。奈津美は、入念にメイクをし、服も先週と被らないように選ぶため、かなりの時間を必要とした。今日は、神田さんの展示の内覧会に石田さんと伺う予定だ。
(念のため、コートを持ってくか。)
内覧会は多くの人で賑わっていた。記者の対応に追われている神田さんは、なかなか奈津美と石田さんのところには来れなさそうだ。
「来ても意味なかったかな。私たちは、また夜来れると思うから一回外で食事でもする?」
石田が奈津美に優しく声をかけた。その時だった。
「あれ?長谷川だよな!長谷川なにしてるんだ?」
その言葉を聞き、「私のことか?」と思い、奈津美は振り返った。そこにいたのは、川原だった。
石田は、気を遣って知り合いの記者のもとへ行き、川原と奈津美を2人きりにした。
(そんな気を遣わなくてもいいのに。石田さんと食事したかったー。)
「どうしてここにいるの?長谷川、メディア業界興味あったっけ?」
何食わぬ顔で川原は奈津美に聞いた。
「いや。今は建築事務所に勤めてて、神田さんはうちのお客様なの。それで招待されて。川原こそどうしてここに?」
「俺も成り行きで。実は、新聞社に勤めているんだ。それで、ここのギャラリーが、うちの会社のギャラリーで。もちろん、神田さんの取材もするんだけどさ。」
(新聞社に勤めているのか。理系だと思っていたから、ちょっと意外だな。)
「そういえば、成人式のあと、佐野と食事してただろ。インスタ見たよ。気軽に、佐野と食事に行けるなんていいなー。今度あったら、俺も誘ってよ。」
目をクリっとしながら、言った。川原は目が二重でぱっちりしていて、少し上目遣いをする癖がある。これは、川原が人に頼み事をするときに自然と出る態度だ。
「そのうちね。」
(しばらくは、百合に連絡できないな。)
百合は、あれから1度も百合と連絡をとっていないことを伏せ、川原と会話を進めた。川原は変わりなく、良い奴だった。
「あ!なっちゃん戻ってきた。昔好きだった人とか?」
目を細め、にやけながら、石田が奈津美に言う。石田は既に神田と話が盛り上がっている様子だった。川原と話してる間に、神田への取材は落ち着いていたようだ。
「いや、違いますよ。私には彼氏いますから。さっきの人は、高校の時の同級生で、偶然ばったりして。」
「まあ、偶然なんていいじゃない。」
神田が羨ましそうに、話を遮ってきた。
「この年になると、偶然の出会いなんてないのよ。何事も必然に捉えちゃうもの。偶然は全部必然なのよ。」
神田は、笑いながらそう言った。奈津美は話題を変えるために、今まで何で盛り上がったのかを聞いた。
「実はね、私の姪の話で盛り上がってて。私が知る限り、無口で実力派の姪が、私の兄に就活の相談をしたみたいでね。姪は姉の許可は得たものの、すごい愚痴聞かせれたって今神田さんから聞いてね。」
もともと、石田の姉と神田は仲が良く、その繋がりで石田も神田と仕事以外でも仲良くなったのだ。奈津美も深くは知らないが、どうやら石田の姉と兄は非常に仲が悪いらしい。
(家族の話までできるなんて、よほど仲がいいな。)
奈津美は、仕事から家族の話までが気軽にできる2人の関係を羨んでいた。その度に、百合の顔が頭に浮かぶ。
(川原に言われたように、百合に連絡してみようかな。)
「なっちゃん、旭川の家進んでる?」
石田が、奈津美に気を遣ってか話題を変えてくれた。
「はい、もうすぐ完成します。いつでも、中入れますよ。」
「嬉しいわ。じゃあ、来月旭川行こうかしら。なっちゃんと麻子ちゃんは来月あたりどう?」
神田が石田を、下の名前にちゃん付けで呼ぶ姿に百合が重なった。
「私は、2週目の水曜、木曜が空いてますけど、いかがでしょう。」
「私はいつでもいいわ。なっちゃんどう?」
百合のことを考えていた奈津美は、いきなり声をかけられ我に帰った。
「空いてます。旭川のチケット取りますね。ホテルは前と同じで。」
神田の新築は、画家である神田にぴったりな雰囲気だ。そう思い出しながら、旭川の情景を振り返った。
(蝦夷菊!)
その瞬間奈津美は、あの花の名前を思い出した。蝦夷菊である。和名がかっこいいとかで石田が笑っていた。
(蝦夷菊は今頃、綺麗に咲いているだろうか。)
そう思いながら、忘れないうちにスマホに蝦夷菊とメモをした。
(あとで調べよう。)
最初のコメントを投稿しよう!