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冬
突然の訃報だった。百合にとって、親の次に仲が良い神田のご婦人がくも膜下出血で急死した。
(最後にあったのはお正月だった。あの時は、ピンピンして元気だったのに。)
百合より悲しんでいたのは、百合の母だった。母は、神田と神田による絵画教室で意気投合し、10年ほど付き合いが続いていた。神田は母より5つ上で、母は神田を実の姉のように慕っていた。
「この喪服、貸してあげる。私が百合と同じくらいの頃に来てたやつ。」
そう言って、百合の母は百合に喪服を貸した。母は、暗い顔だった。高校生までは、制服で向かえばよかったものの、大学院生になってからは喪服が必要ということを実感した。母に借りた喪服はぴったりだった。母は、昔神田からもらったという喪服を着ていた。佐野家からは、母と父、百合、百合の弟の4人で向かった。
神田は独り身だったため、神田の妹が葬儀を取り仕切っていた。葬儀には、神田の知り合いだけでなく、仕事で付き合いのあった人が大勢来ていた。むしろ、仕事で来たと思われる記者のほうが多いのではないかと百合は感じた。佐野家は、お線香をあげる列に並ぶため、最後尾を探していた。すると、百合の目に知った顔が2人並んでいた。奈津美と川原だった。
(なぜ2人が?しかも一緒に?奈津美には、彼氏がいるはずだ。)
百合は2人の姿を見て、奈津美に裏切られたという気持ちになった。奈津美は、百合に川原を推し続けていたにも関わらず、今2人で参列している。
(実は、からかっていただけなのかもしれない。奈津美は高校の頃からモテて彼氏は途切れずいた。一方私は、そんな噂は一切なく、そのことをからかっていたのか。)
百合は、そう考えながら、2人を目で追った。すると、奈津美と目が合った
。手元のスマホが揺れた。
「今どこ?元気にしてた?久しぶりに少しでいいから、話そう。」
奈津美からLINEが来ていた。
旭川から帰ってきて1ヶ月、そろそろ冬本番だ。神田の内覧会の帰りに「蝦夷菊」を調べると開花は夏だった。しかし、奈津美らが旭川に向かった時には、まだ頑張って咲いていた。奈津美は、その蝦夷菊の花をスマホのホーム画面にしているほど、気に入っていた。その画面を眺めてるとボソッっと音がした。コートを羽織ろうとした石田の手からコートがするりと落ちたのだ。どうやら、石田がなにかのネット記事を読んでショックを受けたようだ。奈津美は、コートについた埃を取り、石田に渡した。
「どうしましたか。」
奈津美は石田のスマホをちらっと覗こうとした。
「信じられない。神田さんが。神田さんが、亡くなった。くも膜下出血だって。」
事務所に、か細い石田の声が響いた。しばらく状況を掴めなく、石田と奈津美は突っ立ってた。
先月、旭川に行った時には元気だった神田が亡くなったという事実を受け入れるのは時間がかかった。旭川に行った時、神田は旭川の新築を見て「信じられない!こんな素敵なお家に住めるなんて。」と喜んでいた。それが昨日のことかのようにフラッシュバックする。
(いつか、神田は言っていた。物事は、偶然ではなく必然だと。神田も必然的に死んだのか。)
奈津美は、神田の死に対してそう考え続けた。
葬儀当日、石田は旭川の現場撤収でどうしても向かうことができなかった。そのため、石田建築事務所の代表として、奈津美が1人で向かうことになった。
「こんなことが起きるなんて驚いた。神田さんの葬儀に向かうことになったのだが、長谷川も向かうのか?一緒に行かないか?」
川原からLINEが届いた。正直、石田がいない仕事の出先は不安であったため、奈津美は二つ返事で待ち合わせを約束した。
(川原とこんなに話すのは初めてだ)
奈津美はそう思いながら、川原の話を淡々と聞いていた。川原の勤める新聞社のギャラリーが経営不安だったが、神田の展示のお陰で経営が安定したこと、なにより神田の作品に圧倒され川原自身も美術に関心を持つようになったということ。奈津美は、神田が人に与える影響を改めて感じた。
「私もね、神田さんに会って色んなことを学べたの。」
今度は、奈津美が神田との思い出を川原に話そうとした。そんな時、ふと近くに咲いていた花に目がいった。
(あれ、蝦夷菊に似てるな。なんて名前の花なのだろう。)
そして川原のほうを向こうとした時、百合のような顔をした人が通った気がした。もう一度見るとそこにいたのは明らかに、百合だった。奈津美は急いで、LINEを送ろうと百合とのトーク画面を開く。旭川で、百合に送ろうとしたメッセージがそのまま残っている。その文章は、少し活気がありすぎたように見えたため、少し落ち着いた文体に変えて、送った。
(こんな偶然があるなんて。)
奈津美と川原は、佐野家が線香をあげるのを終わるのを葬儀会場を出たところにあるコンビニの近くで待っていた。
「はい。ホットのレモンティー。」
川原が奈津美に差し出した。川原はホットラテを飲んでいる。
(百合を呼んだものの、川原がいるところで何をどう話そうか。)
奈津美は、少し困惑しながらレモンティーを受け取った。
「ありがとう。」
目の前から、百合が歩いてくるのが見えた。少し、怒っているような歩き方だ。
(どんな関係で、神田さんと佐野家は知り合いなのだろう。)
久しぶりと言おうとした時、怒ったような顔をした百合が睨むような目つきで言った。
「私のこと、からかってたんでしょ。川原とお似合いだって、私に彼氏がいないこと馬鹿にしてたんでしょ。もう信用できない。」
早口だった。奈津美には状況を理解できなかった。
「よく分からないけど、一旦カフェにでも入らないか。」
状況を理解できないのは、川原も同じだったようだ。
「コーヒー1つと、紅茶2つで。」
なぜか、川原が仕切っている。百合の目の前に川原と奈津美が座っている。
(側から見たら、浮気現場を見た彼女が問いかけているように見えるじゃないか。)
百合はそう思いながら呆れた。奈津美と川原から、2人は仕事の関係で来たということを知った。なぜ、あんなにも自分が2人を見て嫉妬したのかは分からなかった。
「百合こそ、神田さんとどんな関係なの?」
奈津美が眉毛を上げて聞いてくる。
「お母さんの友達が神田さんで。私たち家族も、よくお世話になっていたから。」
「そっか。こんな偶然があるんだな。それにしても、まさかだよな。悲しいな。」
川原がぼそぼそと話す。一方で、奈津美は無言だ。
(まだ私が勘違いしたことを怒っているのか。)
しばらくしてから、奈津美は口を開いた。
「もしかして、最近叔父さんに就活の相談した?」
いきなりな質問だった。百合は驚きながらも、夏に叔父にインターンの相談をしたことを話した。すると、奈津美が笑い出した。
「実はね。」
奈津美は、秋の神田の内覧会で話に上がった石田の姪が百合なのではという話をした。
「そんな偶然があるのね!びっくりだわ。恥ずかしいわ。」
百合は頬を赤めた。
「じゃあ、ここにいる3人は神田さん繋がりで再会できたってことか?なんか偶然にもほどがあるなあ。」
川原が不思議そうに言った。
「神田さんがね、その内覧会で言ってたんだけど偶然は必然らしいよ。だから必然的に会ったのかもよ?」
奈津美がニコニコしながら言った。
新年早々、「神田会」が開かれた。「神田会」は、神田の葬儀を機に再会が出来た川原、百合、奈津美による会だった。
「俺やっぱ、佐野のこと好きだわ〜。」
酔っ払いながら、川原が百合に告白する。これで何度目だと、奈津美は心の中で思った。
(こうやって、ひと時を楽しく過ごせるだけで幸せだ。相手の全てを知らずとも、楽しければいいじゃないか。信頼していることも変わりない。これからも、百合は私の親友だ。)
奈津美は、そう思いながらワインを飲んだ。
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