混沌の滲んだエピローグ

1/1
前へ
/13ページ
次へ

混沌の滲んだエピローグ

★   ★   ★  日常が戻ってきた。  ≪カオスクランチ≫との戦いを続ける彼女たちにとっては束の間の、けれども平穏に満たされた日々が。  ヒメカと恋の関係はいつも通り、大きな亀裂が入る以前と変わらないように見えた。  恋が失態や軽口を叩くたびに、ヒメカがそのことをあげつらい、口論へと発展する。萌がなだめようとするも、どちらも聞く耳を持たず。 「おっと、もうこんな時間か。じゃ、またな、萌ー。……ついでにお嬢も」  しかし放課後になれば恋が部活へと向かい、いがみ合いはうやむやになって翌日には持ち越されない。  たしかにこの循環は、リリーとの戦いを経る前とまったく同じだ。 「はいはい、さっさといってらっしゃいまし。わたくしも、一旦家に帰りませんと」 「うん。じゃあ、二人ともバイバーイ」  ヒメカと恋がそれぞれ教室をあとにすると、萌は自席にとどまって窓の外を見つめる。ヒメカは最近は徒歩での帰宅が多くなったらしく、校門の前に車が来ることは少なくなっていた。  とはいえ、どれほど待ってもヒメカ本人の姿も校門に現れない。 (まったく、しょうがないなあ)  萌は苦笑するように溜息を吐く。 「桧山さんっ、今日も行きますかっ?」  そんな萌の傍へと、出羽友理奈が近づいてきた。  リリーだった彼女は通常の人間に戻り、ついでに無許可のストーカー行為からも足を洗い、純粋に彼女たちの友人となっている。 「いやもう、同志とお呼びした方がっ!」  ただしジュエルデバイスの浸食が大きかったためか、記憶処理が十全には働かなくなっており、暴走時の大部分を覚えてしまっている。ややもするとこれには、別の理由もあったかもしれないが。 「もー。悪用はダメだっていうのに……」 「で、でも。悪用している人が言っても、せ、説得力がっ」 「むう……。だ、だって、しょうがないじゃない。あれは、友理奈ちゃんが」  相手を責める内容ではあるが、萌の声色からそれは感じられない。 「き、今日も行くんですよねっ?」 「それは、まあ、うん」 「じ、じゃあ、し、しちゃいますかっ、『悪用』」 「…………」  萌は黙って口元を緩め、二人揃って教室を去っていく。  変わらないように見えて、日常は確実に変化していた。 ★   ★   ★  大きな変化の一つは、恋が短距離から長距離に転向したことだった。  さすがに転向が急激すぎたため、すぐに結果が伴うようなことはなかったが。それでも当初懸念していたよりは、ずっとついていけている。徐々にペースも上がっているため、コーチからも驚かれているくらいだ。  特に大きいのが、長距離走はマイペースな人物が多く、互いに気負わずにいられる。短距離の時と違い、彼女は精神面でのギャップを感じないで済むのだ。 (実際、走ることに集中できるし、悪くはないかな? 次の大会は……厳しいかもしれないけど)  実質的に競争の舞台から降りたような部分もあるが、それもまだわからない。  できないかもしれない。けれど、もしかしたらできるかもしれない。なんとなく今の彼女は、確認できていない未来の不安が、頼もしくて仕方がない気分なのだ。  それというのも……。 「本当に今日もいいの、恋?」  部活が終わると、部員の何名かが恋へと確認を取りに寄って来る。 「最近ずっと、片づけをさせてばっかりだけど……」 「あー、いいのいいの。さすがに毎日は嫌だけど、こっちもちょっとサボりすぎてたし。このぐらいはさ」  恋は部に復帰してから、積極的に部活動後の後片付けを代わるようになっていた。 「じゃあ、よろしくね?」 「うん、またね。終わったらシャワー独占し放題だし」  部員たちはやや申し訳なさそうな顔をしながらも、揃って部室を後にする。赤くなった陽光が部室に差し込むのとほぼ同時に、恋だけが室内に残された。  半分以上は罪滅ぼしのためだ。嘘ではない。  けれども、それ以上の理由がないわけでもなかった。 (……終わったよ?)  部員たちの姿がなくなってから、恋はテレパシーを相手に送る。  返事はなかったが、それから十分もしないうちに部室にとある人物が入ってきた。  美海ヒメカだ。 「見られなかった?」 「ええ、大丈夫」  問いかける恋には答えるが早いか、ヒメカが抱き着いてくる。  走り終えてからさほど時間は経っていないため、恋のランニングシャツはじっとりと汗を含んでいた。ヒメカはその一部を口に含み、ちゅうちゅうと吸い付き始める。 「ほんと、ヒメは変態だなあ」  呆れかえった恋が、相手の艶やかな髪をなでる。勝手に毛先を指でもてあそんでみても、ヒメカは恋の香りを嗅ぐのに夢中のようだった。 「んはあ、この香りに、もう、脳髄まで満たされて。もっと、もっと……!」 「あのな、さすがにもう慣れてても。好きな相手だとしても、『引いてる』って事実は変わらないからな? わかってる、ヒメ?」  微かになじるようにそう告げると、ヒメカが頬を膨らませて抗議しだす。 「う、うるさいですわね……そっちこそ、律義にシャワー前に呼んでくるくせに」 「そりゃ、ヒメが好きだって言うからな。合わせてるんだよ、そっちに……ん」  恋の追求を抑えようとしたのか、ヒメカは彼女の鎖骨部分に唇を這わせる。時折止まって、明らかに香りを楽しみつつ。 「まったく、あなたに『ヒメ』なんて呼ばれる日が来るだなんて」 「えー? 萌にはいつもヒメちゃんって呼ばれてるじゃん」 「あの子とあなたを一緒にしないでいただけるかしら。彼女は純粋なのですから」 「ふーん、あたしは萌より不純かあ。じゃあ、不純の一等賞はヒメかなあ?」  恋に煽り立てられても、ヒメカは余裕ある笑みを浮かべるばかりだ。 「ふ、言ってなさい。ここまで汗ばんだあなたにここまで執着できるのが、わたくし以外にいるものですか」 「だから、こっちがシャワー浴びずにわざわざ待ってやってるんだって。っていうか、匂い嗅ぎながらドヤ顔されてもさ……」 「じゃあ、追い抜かして、あなたに追いかけさせますわ」 「いや陸上の話じゃないし、だとしたら絶対無理だし」 「無理なものですか。どうせ陸上でも、わたくしが始めれば楽勝ですわ。種目を変えたのなら、条件は近いのではなくて?」 「な、なにをー! さすがになめすぎだろ!?」 「ふふ、やりますの?」  いつしか二人の抱擁は、取っ組み合いじみたものへと変じる。  しかしそれは本気のいがみ合いではなく、双方が床に寝そべるための一種のポーズに過ぎなかった。  どちらともなく押し倒し、転がるようにして二人は更衣室の床に横たわった。 「んっ」  喉元へ、胸元へ。  リップや舌先で確認を取りつつ、二人は幸福そうに互いの身体を密着させていく。 「……本当に入部してしまおうかしら。ふふ、急な転向をした恋が、果たして成果を出せるかどうか。これは見物ですわね。入部したてのわたくしに負けて、あなたの泣き顔が見られるかと思うと、今からぞくぞくしますわ」  相手の挑発に対し、恋も挑戦的な表情を返す。 「……見てろよ、ヒメめ。絶対にぎゃふんと言わせて、あたしにメロメロにしてやる」  胸が高鳴るまま、両者は指を絡め、言葉を投げかけ合う。  必ずしも互いを慮るばかりでなくとも、二人はたしかに通じていた。  未来に起きうる失敗すらも、不安ばかりではないなにかで乗り越えていける。そんな根拠のない予感を、形にしていく。  そうして、新たな形の幸福を見出した二人だったのだが……。  よもやその二人の様子を、部室内のロッカーから見守る影があろうとは、恋やヒメカには予想もできないことだった。 (ふああ、まさか本当に更衣室で始めるなんて……なんてふしだらな! まったくもう、二人とも!!)  心の声を荒らげて、萌が……。いや、変身後のヴァルカンが、仲間二人の情事を凝視している。 (乱れて、汚れて)  床に転がり、相互に求め続ける少女たち。肉体のみならず、その所作や言葉遣いにも浮かんでくる対照性。  ヴァルカンは自らを抱きしめるごとく腕を絡ませ、やがて一方の手を秘所へと這わせていく。 (あ、ダメ……なのに。こんな、最低なこと)  同じロッカーには、もう一名が入っていた。長い髪の出羽友理奈、かつてのリリーだ。 (ま、まさかここまでとはっ……)  ヴァルカンを同じ欲望へと引きずり込もうとした張本人ではあったが、リリーの想定以上に相手に資質があったのだ。  あの日、たしかにリリーのジュエルデバイスは破壊された。  しかし、その欠片をヴァルカンが隠し持っていた。おかげでリリーとしての記憶は完全には友理奈から消えず、ヴァルカンはこうして時に恋とヒメカを観察するために「悪用」をしている始末。 「ん……う、んん」  下の唇から垂れ始めたよだれが、コスチュームを、そして太ももの間を濡らしていく。  仲間たちの痴態を肴に盛り上がる彼女は、あるいはリリーであった頃の友理奈よりも悪質ななにかへと成り果てていたのかもしれない。  いつもの日常の中に、そっと染み込んだ歪み。  けれどその事実は、当人たちからでははっきりと見えるものではなくなっていた。  これからどうなってしまうんだろう、そんな不安とも期待とも取れない感慨とともに、ヴァルカンは二人の恋模様を今日も求めていく。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加