第8話 最終回・転生するっていうけれど

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第8話 最終回・転生するっていうけれど

 思わず悲鳴が漏れ、スズは身体をすくめた。  だが、なにも起こらなかった。あっさりとテツが椅子を奪い取ったのだ。そしてブラスに噛みつこうとするリードを止めると、毛布を裏返すほどの手間もかけずに中年男を床に倒し、あっという間に後ろ手にしばりあげた。  茫然と早技を見ていたシルは、我に返ったようにぶるぶると首を振った。 「つまり、この男が怪異の原因ですか。うかうかと亡霊に取り憑かれるとは」と軽蔑をこめて言った。ブラスを好かないというのがよくわかる。 「そんなことを言うものではない」院長がたしなめた。「これは心得程度しか魔法は知らぬ。仕方がない」  だが、テツの注意はすでに別の場所に移っていた。  部屋の隅に視線を送る。薄暗くてよく見えないが、正体不明のなにか凝集しつつある気がしてならない。アンティモンが足踏みし、リードも低く唸りはじめた。タイタンがこつん、とテツの足に頭突きをした。すべて警告だ。 「わかってる、気をつけるよ」  ふいに透明の「なにか」がゆらめいた。  そのとたん、目に見えない力の渦が押し寄せた。目標はテツではなくスズだ。とっさに彼女とタイタンを抱え部屋の反対側に跳ぶ。  地響きがして床板が割れ飛んだ。リードは最小限の動きで「なにか」をかわし、相変わらず唸り続けている。さすが妖への対処には慣れている。 「わっ、おれも気遣ってくれよ」天井近くに飛び上がったゲルマがわめいた。 「とりあえず自弁でなんとかしてくれ」  ブラスは白目をむき、縛られた四肢を震わせ不平不満らしい言葉を喚いている。 「このおやじが取り憑かれてるんだろ、俺が許すから斬り殺せっ」 「ダメよ」ブラスに護符を向け、呪文を唱えていたスズが言った。 「反応がおかしい。がらんどうみたい。と、いうことは、霊が取り憑いているのはこの人じゃなくて……」  スズの声に、シルが院長を見た。院長もゆっくり見返した。  シルの顔が恐怖で歪んだ。ふたりはじっと互いを観察した。壁にゆらぐ自らの影を背景に、まず院長が口を開いた。 「そういえばシル。お前は昼間、ずいぶんと長い間、湖岸におったようだが」 「い、院長さま、私は決して取り憑かれてなどいません」 「そうか」といいながら、院長はおだやかな目で弟子を見た。 「自覚のないことこそ、取り憑かれた証拠でもある。恥じることはない」 「いえ、決してそういうわけでは……」 「前に教えたとは思うが、悪霊は水たまりを好み雨を喜ぶ。魔法を学ぶ者は気配以外にもにおい、気圧の変化から霊の接近を察知できるわけだが、水気が多いとそれは一挙に難しくなる。また悪霊からすれば、水や水蒸気を伝えば相手への接触はたやすい」  講義のような口ぶりに、シルはおずおず言った。「お言葉を返すようですが、院長さまも今日、常にもましてゆっくり手洗いで過ごされていました」 「ふふ、風邪気味で腹が緩いのまでいちいち説明が必要か」  院長は微笑むと、小さな節くれだった木の棒を取り出した。魔法の杖だ。 「悪いが少し眠ってくれ。さすればすべて上手くゆく」 「それは、むたいな」師弟は互いを見つめあった。シルは汗でびっしょりだ。 「よしっ」テツがわざと明るく言った。「こうなったら誰に死霊がとりついているのか、物探しの石に聞いてみよう。スズさん、準備を頼めますか?」 「はいっ、まかせて」物探しの石は、強い護符を持つスズが保持していた。  –––– ふざけるな  院長の口から人とは思えないほど太い罵声が飛び出した。  顔は赤くなってから青ざめ、身体は棒立ちになった。壁にうつった院長の影だけが妖しいほど大きい。 「い、院長さま」シルが悲痛な声を発した。 「やだなあ」ゲルマがうめいた。「一番強いはずの奴が取り憑かれてら」  院長の背後からゆらゆらと灰色の影が立ち上がり、彼の全身をとりまいた。がくん、と首を後ろに下げると、老人は意味のわからない叫びを上げた。 「あなたたちは」シルがとがめるように聞いた。「最初から院長にあやかしが憑いたと気づいていたのですか」 「感覚だけで確証はなかった」テツがナイフを構えながら言った。 「魔法の達人を相手に、術で心を探ったりしたら薮蛇になるし」そうスズが付け加えた。  院長の後背にあった影は、次第に天井の大半を覆うまでに広がって行った。空気が震え、部屋の窓や継ぎ目が細かな音をたてはじめた。 「ふだんの院長は学識深く実におだやかな方。自己にも厳しく、怨霊につけ入れられる隙など」 「バカだな、いくら立派でも生きた人間だろ」ゲルマが言った。「自慢の学校がこんなに寂れてちゃ腹の中は不満だらけだ。そこを狙われたんだよ」  –––– よ、こ、せ。  荒野に吹く風みたいな声がした。影の手が伸び、それは明らかにスズを指していた。 「やはり狙いは護符と石か」  スズを庇うようにテツとアンティモンが前に立ち、タイタンとリードがその横についた。ゲルマがテツの肩に飛び乗った。 「特等席だけど、おしっこちびりそう」 「頼むからそこではやめてくれよ」  タイタンが唸り続け、首に下げた指輪が光を放った。色が赤から紫へと変化し、院長の黒瞳がそれをにらんだ。 「あー、やっぱりそうかよ」ゲルマが賑やかに説明した。「院長は、昔からカド法師の護符が欲しかった。ずっと我慢してたけど、少し前にふと、あの護符があったら学校に活気が戻るかもって思いついちやった。最近は体調も優れず、護符さえあればって考えが、頭から離れなくなった。その心の陰りにつけ込まれたんだろうって」  それぞれの脳裏へ、叩きつけるように言葉が響いた。明らかにジュラの声だ。  –––– 我が魔法具を使い心を読むとは、タイタンめ、こざかしい奴。かくなるうえは、お前たちに罰を与えてやる。その前に……。 「おえっ、なんか気持ち悪い」今度は鳥がおかしな声をあげた。 「どうした、大丈夫か」 「テツ、しょんべんはでないけど、おれ、今度は吐きそう」  –––– ゲルマよ、おまえはこいつらとはちがう。わしの言葉を聞け。 「くそ、次はおれが的かよ」  しかし鳥は、ふらふら宙に飛び上がった。そして院長の差し出す手に近づく。 「ゲルマ、しっかりしろ」「にゃあ」声が聞こえているはずなのに目は虚ろだ。  –––– ようきた。褒美に破壊の魔力をさずけよう。愚者に思い知らせろ。  耳には、ジュラのやさしげな囁き声だけが聞こえている。  ついに、影をまとわりつかせた院長の指に止まった。  ゲルマは首を左右に揺らし、懸命に思案しているかのようだった。  –––– そうだ、心の欲するところに従えば楽になる。お前の偽悪的なふるまいが、生まれ持っての理想家気質を隠そうとしてなのは分かっている。だがなゲルマ、生きることは苦しみばかりではない。正直になれ。 「正直…」鳥は垂れた首をあげた。  派手な悲鳴があがった。  しかし声の主は院長の肉体だった。鳥がいきなり目をついたのだ。  –––– やめぬか、わしに従えば、なんでも望みがかなうぞ 「バカにすんな、お前になんか頼まねええ」叫びながらゲルマは院長の振り回す手をかいくぐり、後頭部を突き耳を噛み、羽で顔をはたきさえした。  –––– 失望したぞ、愚か者どもに味方するとは。我が転生を手伝えば食い物も財宝も思うがまま、鳥の王にもなれたものを。    「バカバカバカバカバカ、なめんなバカ」ゲルマは院長の目の前で激しく羽ばたきながら叫んだ。「たしかにテツはバカだがてめえとはバカさが違う。やつぁ食いものが乏しけりゃてめえが食わずおれたちに回す真性バカだ。こんな間抜けでお人好しのバカ、ほっとけるか」  –––– おのれ、恩知らずめ  とっさに院長が杖を振ると、突風が部屋を吹き抜けた。 「恩なんか受けたおぼえはねえ、ひゃっ」風にまかれ、うろたえる鳥の脚を院長の残った手が捕まえた。「捕まえたぞ」 「いででででで」 「ゲルマっ」  院長が人質のようにゲルマを差しあげると、背後から灰色の巨大な影が立ちのぼり、床がミシミシ音を立た。優しげだった院長の形相が禍々しく変化し、背筋が恐ろしげに曲がった。両手はどす黒くなり、指の爪は鉤爪みたいに長い。  –––– ならば貴様を、卑しい化鳥に変化させてから殺そう。まず仲間を喰らえ。   懸命にシルは降魔の呪文を唱えるが、ニタリと笑われただけだった。院長の周囲に妖しい陽炎がゆらぎはじめた。  「ジュラ大臣と院長さまの魔法が二重に護っているようで、いっかな効きません。このままじゃ完全に乗っ取られる。どうすれば」  だが、スズは冷静だった。「院長が魔物へ変化をはじめたってことは、今まさに彼の体内にジュラがいて、おまけに転生はまだって証拠でもある。よかった」 「ふえっ?」 「こういう場合は素朴に限ります。ではみなさん、準備はいい?」  次の瞬間、スズが護符を突き出すと同時に、リードが院長に飛びかかった。テツが院長の腕を蹴り、鳥を開放する。護符から顔を背けた院長は、それでも魔法の杖を振るおうとしたが、テツの二撃目が払い飛ばした。すかさずアンティモンが体当たりし、院長を灰色の影ごと床に転倒させた。彼は横倒しになってなお暴れようとしたが、素早く後ろに回ったテツが首を締め上げると、四肢から力が失せた。気絶したのだ。  待ち構えていたタイタンが首に下げた魔法の指輪を押し付け、低くく唸った。倒れた院長から、影だけが立ち上がった。  灰色の影は老人の体から離れると、天井近くへと伸び上がり、威嚇するように揺れた。 「やっとじっくり話ができる」テツが立ち上がって口を開いた。 「転生についてのお話だ。考えたが、貴方の言う転生とは、赤ん坊に宿るはずの心を消し去る行為と同じじゃないのかな。それだったら手伝いなど、できない」  灰色の影に、声にならない怒気が吹き上げるのがわかった。  護符を手で掲げ、スズも影と向かい合った。 「悪いけど」宣告するように言い切る。「テツさんと同意見。転生なんてさせない」  –––– おのれ、おのれ。おまえらになにがわかる。  影が激しくゆらめき、吠えた。 「ええ。俗物ですからね、わかりませんとも。あなたの人生、死ぬのだって転生だって勝手にどうぞ」  一歩スズが前に踏み出ると、動物たちも一緒に前に出た。 「だけど、転生の法を使って生まれ変わり、物探しの石でその赤ちゃんを探すというのは、もう一度ジュラの意識を持って人生をやりなおすための作業よね。つまり、元あった心を冥闇へと消し去り、代わりにあなたの心が肉体を支配するとの理屈でしょう。泣いて、笑って、怒って、悲しんで、喜びながら成長していくその子の経験を、すべてあなたが奪うってことよね」  スズは怒ったような顔をして、護符を掴んだ手をさらに前に突き出した。 「せっかく生まれた赤ちゃんの心と身体を乗っ取り、その可能性を奪い、人生を奪うなんて、人殺し以外のなにものでもない。そんなの決して許されない」  –––– うるさい、わしは、わしは、わしは  叫びとともに、室内を突風が吹きはらった。スズもいったん尻餅をついたが、護符を手に、ふたたび影に立ち向かった。 「おばあちゃんだって転生の法は知っていた。カド法師の一番弟子が知らないわけない。でも、使わなかった。一人息子だったお父さんが死んだ時も、ただひたすら悲しむだけだった。だってそうでしょう。転生の法は、抵抗のできない誰かを犠牲にし、やり直しを図る自分勝手な技でしかない」  不思議な音と気配が護符から起こり、部屋を包んだ。タイタンの指輪も光っている。 「そんなのありえない。だいいちカド法師ご自身だって転生の法はお使いにならなかった。罪なき人の一生を乗っ取るなど、法師がなさるわけない」  –––– あああああああああああああ 「そんな理不尽、潔くあきらめなさい」  暗い部屋をスズの護符から聞こえる音が満たした。ふいに音はやんだ。  壁を覆い尽くすほどだった灰色の影が、いつしか人の背ほどに小さくなっていた。そして影から聞こえる声は、怒りより悲しみを帯びていた。部屋の壁にはっきり人の輪郭が映った。目鼻立ちが整い、ジュラの生前の顔を思い出させた。  タイタンが指輪ごしに灰色の影を見た。  ジュラの記憶と願望が明々と映し出された。華やかな暮らしの様子はすぐに失せた。妻であろう朗らかな女性と、母の故郷らしき静かな場所へと戻る姿が宝石のようにきらめいていた。女たちは楽しそうに笑い、ジュラも笑っていた。  影はすっかり薄くなっていた。  声はもう、正確には聞き取れなかったが、どこで間違ったのかと自分の人生を悔いているように感じられた。テツたちがなにも言えないでいると、  「アルミンさま、お許しを」  最後にはっきり呟き、影は指輪に吸い込まれるように消えた。  あとには気絶した院長だけが残っていた。 「ゲルマ、怪我はないか」テツは床をよたよた歩く鳥に駆け寄った。 「死ぬ」テツはゲルマをそっと持ち上げ、脚の傷をみた。骨が折れたわけではないが、皮膚が裂けて血が滲んでいる。 「いててててて」「バカだな、無茶して」  テツはカバンから治療道具を出すと、傷口を酒で洗った。 「ひええ。しみる、しみる」「ちょっとだけ我慢しろ」  幸い傷は表面だけで深くはない。薬を塗り包帯を巻いてやった。 「やめれ、死ぬ」などといいつつ、ゲルマは大人しく治療されるままだった。 「売れ残りの薬も、たまに役に立つ」 「まあな。毒舌には効かなかったけどな」 「無事に祓えたのでしょうか」シルが聞いた。 「おそらく」  ブラスも床に倒れたままだ。 「どっちも気を失ってるだけよ。死霊の影響をまともにうけたから、もしかしたら何日か寝たままかもしれないけど、命は別状ないと思う」   「しかし、すごい護符ですね、最後は死霊が自ら護符にひれ伏したように見えました」シルが熱っぽいまなざしで護符とスズを見た。 「あなたも、これがほしい?」 「……いえ」彼は小さく首を振った。「すごい護符を人に授けられるほどの魔法使いになりたいです」 「いい心がけですね」スズは微笑んだ。  夜がゆっくり明けて行く。黒一色だった修法院の周囲も次第に色が豊かになってきた。  建物の裏手には傾斜があり、その先に湖がある。白んでゆく空を写し、湖面が少しつづ輝きを増しているのが見えた。  それをぼんやり眺めていたタイタンが、テツのそばにきて啼いた。  「無理にとは言わないけど」ゲルマが通訳した。「できれば物探しの石を一回使わせてくれないかだとさ」  「それはいいけど、何に使うんだい」  「ジュラの戻りたかった母親の里を探してそこに行き、やつの墓を作って指輪を葬ってやりたいんだとさ。どうにも感傷的な化け猫だよな」 「ジュラが隠れて購入していたって渓谷が、そこなんだろうか」 「かもな。目に染みるほど緑が美しいって自慢してたけど、あいつの自分語りに興味なくて、ちゃんと聞いてなかったよ。どこにあるのか、おれも知らないや」 「わかった。ただし条件がひとつ。私とアンティモンを一緒に連れて行くこと。墓を作るには人とロバがいたほうがいいだろ。どうだい、アンティモン」  アンティモンがこくりと首を上下させた。するとタイタンは、ロバとテツの足へ順繰りに頭をぶつけた。 「もちろんだとさ」そう伝えてから、鳥はため息をついた。 「仕方ねえなあ、おれもしばらく転地療養が必要だしな。とりあえず、風光明美なところでゆっくりするか」 「あら、鳥さん。あなたも同行するおつもり?」スズが言った。 「当たり前だろ。こいつらをほっとけるか」 「じゃあ、わたしも。リードもね」  スズは顎をそびやかした。「あなたたちをほっとけないし」  朝の光が増えると、湖の先に山々が姿をあらわした。 「ほら、あれ」テツが遠くに広がる緑を指差した。「今日は対岸がよく見える。陰気なところと勘違いしてたけど、あんなにきれいだったんだ」  アンティモンが首を外に向け、やさしく尻尾を揺らした。タイタンがその上に乗って同じように湖の先を見た。 「これからいいこと、あるかもね」リードを手で揺さぶりながらスズが言った。 「田舎者は気楽でいいや」ゲルマがバカにしたように言うと、 「なによ」とスズは反論した。「ここにいるみんながいれば、大抵の問題はなんとかなると思うな」  ふふん、と鼻で嗤ったゲルマは、思い出したように聞いた。 「そういや、テツは石を使わねえのか」 「うーん」腕を組んで考え込む。「ある程度、具体的に願わないとダメみたいだろう。そんなの思いつかないや。あ、それに」彼はひどく嬉しそうに言った。 「すごい仲間はもう見つかった。これはきっと、石のおかげじゃないかな」 「ほんと、バカだな」  そう言って鳥は飛び上がり、不満げに尻尾を振るロバを通りすぎてテツの頭の上に着陸した。 「あー、バカバカ。どうしようもねえな」 「邪魔だよ」 「ああっ、羽がいたい。しばらく休もう」 「ちぇっ」   舌打ちしながら、テツはいたわるようにそっとゲルマに手を添えた。鳥も黙って身体をもたれさせている。ロバが呆れて鼻を鳴らすと、黒猫が苦笑するように首を揺らした。その顎を、ひざに愛犬を乗せたスズが機嫌をとるようにやさしく掻いた。  だんだんと明るさを増してゆく風景を、一行は飽かずにながめていた。  –––– おわり ––––  
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