第7話 死霊と護符と仲間たち

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第7話 死霊と護符と仲間たち

「どういうことかな」と、院長が言った。  テツは答えた。「つまり今夜、シルさん以外にもこの部屋の様子をうかがっていた人物がいたことになります。誰かはわかりませんが、あと二人いたのは私も把握しています」 「なぜそれがわかる」不服げにブラスが口を出した。「それとも、あなたは探索の魔法が使えるとでも」 「魔法がなくてもわかります。手段はいろいろ」テツは男たちの顔を見回した。 「この建物には今日の昼間、われわれ以外に六人がいました。今は四人。うち一人は部屋で寝ていますね」 「あ、あなたこそ勝手に見て回ったのでしょう」疑われていると感じたのか、ブラスは露骨に不快な顔をした。「商人らしくないから、おかしいと思っていた」 「ブラス、いい加減にしなさい」と院長がたしなめた。シルは意見としてはテツ寄りらしいが、さっき無様に押さえ込まれたせいか、黙っている。  スズは、とげとげしい男たちの雰囲気に、ハラハラしながら愛犬の首を抱いていた。 「ですが院長様、この者の無礼を捨て置くのは…」しつこく言い募るブラスに、じれたようにシルがテツ寄りの意見を発した。 「そんなことより、この近くをきちんと調べるべきです。霊の痕跡、あるいは死体か呪符がどこかに必ずあります」 「シルさま、貴方まで」ブラスが苦々しい表情をしている。どうやら普段から二人は上手くいっていないようだ。 「妖しい気配はひとまず収まった。ですが消えた確証はない」言ってからシルは、「そうだ、院長はなにかお感じになりませんか」  だが院長は首を横に振った。 「見ての通り昨日から風邪をひいておる。それ以来、どうも勘働きが悪うてな。せんじ薬は飲んでいるが、こればっかりは自然と治るのを待つよりない」言われてみれば、院長はかなりの鼻声である。 「味やにおいがわからぬと、霊気というものもまたわからぬものだ」  顔を見たテツにスズは小さくうなずいた。院長の理屈は嘘ではないようだ。  すると、彼女の足元からゆっくりと犬のリードが歩み出た。部屋を横切ると身体を伸ばし、中庭の窓の外を探ろうとする。 「どうしたのリード」犬は主人の顔を見て、次にテツを見た。  タイタンも前に出てきた。ゲルマが代弁した。 「おい、なんか変だとさ」 「鳥が、しゃべった」ブラスが怯えたように言った。 「なんだよ、魔法学校で働いてるくせに。これぐらいで驚くな、腰抜け」  アンティモンの啼き声がした。こんな急かすような声は珍しい。  中庭の木の枝がいつの間にかすっかり茂っていた。 「おえっ、樹が動いてる」窓をのぞきこんだゲルマの言葉どおり、枝が意志を持つかのようにうねり、壁を這っている。黒い枝が自らうごめき、地面から壁を経て窓に達した。みるみるバラの蔓みたいに複雑に絡みあい、ついには内庭の壁から建物全体へと広がった。 「待ってろアンティモン」テツが中庭に出ようとすると内扉が開かない。それどころか、部屋全体がミシミシと音を立て、天井から埃が落ちてきた。 「院長さま、これは」ブラスはただ怯え、院長も顔に驚きをはりつけたままだ。  中庭に面した窓を開けたテツに、鋭くしなる枝が襲い掛かった。とっさに避けながらナイフで払い、そのまま中庭に飛び込もうとすると、また別の枝が襲いかかる。「やっぱり、いたあ」シルは嬉しそうだが腰が引けている。  蠢く枝はあっという間に壁面を覆った。石を積んだ丈夫な建物のはずなのに、どこからともなく薄気味悪い音がした。 「院長さま」スズが振り向くと、うなずいた院長がなにか呪文を唱えた。だが、まっすぐに動いていた枝が横に曲がったぐらいで勢いは衰えない。シルもなにか唱えた。こちらは、ひたすら額に汗が浮かぶだけだった。  大きな音がした。テツが肘で枝ごと窓を打ち払ったのだ。 「あー、ごめんさい」謝りながら中庭へと転がり込み、ロバに駆け寄る。 「アンティモン、逃げられるか」ロバはくぐもった声をあげながら、足をどたばたさせた。見ると、足元にまで枝が達している。  すでに中庭の壁という壁に不気味な枝がはびこり、屋根まで達しようとしている。テツを認めると、上下から一斉に雪崩かかってきた。かたっぱしからナイフで切り飛ばしつつ、「これはなにかの呪い?」と聞く。 タイタンが啼き、リードも咳き込むように吠えた。 「この枯れ枝ニョキニョキは、まさしく魔法だってさ」ゲルマが通訳した。 「『死と再生』って技にこんなのがあるって、枯れ木に一時的に命を与えるやつ。ただし、おそらく生者による術じゃないって」 「と、いうと?」枝をつかんで引っ張りながら切断するが、効率が悪い。 「人くささがない一方、怨霊のすえたにおいがするって。呪文の効かないのもそのため。院長らの唱えたのは生き物向けだと」 「そんなことまで解るんだ」 「うん、犬と猫の意見が一致した」 「専門家チームの見立てとは心強いな。それで肝心の理由は?」 「怨霊による、ただの意趣返しだろうって。支離滅裂なのはそのせいだとさ」 「うはっ。ひと迷惑な」  呆れつつ、ひたすらに枝を切り落とす。テツのナイフには波刃が設けてあり、枝を払うのにも役立つが、相手が多すぎる。それでも片っ端から切り落としていくと、方針を変更したのか枝が地面を這ってアンチモンへと向かった。ロバは怒ったように激しく足踏みするが、枝はなかなかしつこい。  アンチモンの足に絡む枝をつかみ、引き抜こうとしたテツだったが、自分の体に絡むのを許してしまった。トゲの生えた枝が一斉に襲いかり、手も顔も傷だらけだ。ゲルマとタイタンが飛び込もうとして、「くるなっ」と止められた。 「どりゃっ」その瞬間、音を立てて窓からスズが中庭に飛び込んできた。 「お前の主人、とんでもないな」ゲルマがリードを振り向いて呆れた。 「おーい、こっちこっち」と枝に大きく手を振る。  彼女にも枝は巻きつこうとしたが、上体に触れる直前、動きが鈍った。 (護符のせいね)  スズは祖母の首飾りを手に巻き付け、高く掲げた。眼前に迫った枝がのけぞるように後ろに下がる。しかし、すぐに地面すれすれから代わりの枝が伸び上がり、彼女を地面に引きずり倒そうとした。「いたたっ」  突然、絡んでいた枝を力任せに引きちぎり、アンティモンが駆け出した。  暗い中庭の隅にあったひときわ太い枝の前に着くと、くるりと身体を入れ替えるなり、後脚でおもいっきり蹴飛ばした。  がつん、という音に続いて動物の悲鳴みたいな声が庭中に響き、枯れ枝はさっきの勢いを失った。ロバは少しも遠慮せず、くりかえし後脚を叩きつけ、そのたびに悲鳴がほとばしり、木片が飛び散った。 「ぶはははははは」ゲルマが爆笑した。「やるじゃん、相棒」  そしてタイタンと一緒に中庭へ侵入し、同じように太枝へ攻撃をはじめた。タイタンが牙と爪で裂いた太枝を、ゲルマがくちばしで引きちぎる。  スズもすかさず駆け寄る。祓いの言葉を唱えつつ、ロバの蹴ったあたりへ護符を押し付けた。  ぶるっと空気が揺れた感覚があって、枯れ枝の動きが止まった。焦げたにおいとともに煙がたちのぼり、中庭から屋敷全体へと広がっていた妖しいざわめきがやんだ。「よっしゃ、効いてる」  枝はすっかり勢いを失い、ただ風に揺れるだけになった。  枝を無事に引き剥がしたテツは、扉を力任せにこじ開けてスズとアンティモンを中庭から部屋に入れ、本棚を動かし蓋をした。  ゲルマがくちばしに残った枝をしきりに吐き出している。 「ぺっ、まずい。枯れ木かと思ったら生暖かいし血生ぐさい。なんだこりゃ」 「やあアンティモン、助かったよ。でも、よく敵の急所がわかったなあ」  テツに首を抱きかかえられ、アンティモンは嬉しそうに彼に鼻面をすりつけた。 「このロバも魔法動物なのですか」恐る恐るシルが聞いた。 「ま、なんせ俺たちの仲間だし。似たようなもんさ」ゲルマが自慢げに言うと、ブラスが気味悪そうな顔をした。 「一時はどうなることかと思った。とりあえず、建物の倒壊は回避できたかな?」 「安心はできないな。危険かもしれないが、いったん出て確かめるべきかも」  相談中のスズとテツのところに、院長がやってきた。 「さすがはカド法師様の護符」彼はスズの胸元に視線をやって、感慨深そうに言った「生者も死者も、動物も植物もひとしなみに鎮めるのだな」 「カド法師の護符を拝見するのは初めてです」付いてきたシルも称賛の眼差しで見た。 「ところで、法師の護符はこれひとつなのでしょうか」 「いや、そうではない」院長は目を護符から外さずに言った。 「多くはないが他にもいくつか残っておる。だが、この護符は特別なのだ。カド法師ご自身が身につけておられたからな」 「そんなものをなぜ、このお嬢さんが」 「前の持ち主は、お前も話は聞いているだろう。我が姉弟子、アルミン大姉だ。スズはただひとりの孫にあたる。アルミン大姉は、お人柄はいたって気さくであったが、法術においてはカド様が現世におられるうちから数々の儀式を代行されていたほどの実力者だった。この護符も、特に念入りに再調整のうえ直々にお渡しになったものだ。そしていまやカド様とアルミン様、お二人の心が護符に宿っておるのだろう。まったく素晴らしい」  院長らの会話をタイタンがじっと見つめていた。  だが、ぷいと振り返ると、隅にいたテツの肩に飛び乗り、彼の耳に顔を近づけた。ゲルマも飛んできて反対の肩に乗り、しばらく通訳していた。リードも足元から見上げていて、部屋に入ったアンティモンまで会話に参加するかのように首を輪の中に突っ込んでいる。 「ま、あまりに他人事だよな」 「へえ、そうなの?」「にゃ」などとひそひそ声がする。  部屋の反対側で院長とシル、ブラスはさっきの怪植物の正体と対策の検討に入ったが、スズは密談を続けるテツと動物たちが気になってならない。 「なーにをこっそり話してるのかな」  明るく言いながら近寄った彼女を、動物たちが一斉にじろりと見た。 「き、聞いたらまずいこと?」するとゲルマが彼女の肩に移動し耳元に囁いた。 「えっ、まさか」スズの眼がぱっちりと開かれた。 「オレも信じられなくてさ。テツに取り憑くのならわかるって言ったの」ゲルマはいやに嬉しそうだった。「だって、ただ一人魔法と縁のない人間だろ。そしたらタイタンは、この男に取り憑くのはユニコーンに憑くより難しいって。徹底した抗憑依訓練を積んでるんだとさ」 「……そうなんだ」 「少なくとも、肩が重いとか背中がぞくぞくっとかはないなあ」とテツは答えた。 「そんで、スズは馬鹿強い護符が守ってるし、別の部屋で寝てるって奴でもない。そいつはまだ、ガキなんだって」 「でも……」  ゲルマが、いっそう声を絞って言った。「おれだって、信じられなかったよ。けど化け猫姉さんは、同門だと魔法の元になる『心の波』が似ているし、日ごろの癖とか密かな願望とかも知られてるから、むしろ可能性は高いって言うんだ。凄腕魔法士を攻略のため、兄弟弟子を雇ったりするのはよくある話だってさ」 「タイタンって、よっぽど剣呑な世界で生きてきたのね」 「にゃ」猫はとぼけた声をだした。 「でも、どうするの」 「それはまあ、とにかくやってみようじゃねえか。役割はこうだ」  会話を最小限にして、身振りと筆談で打ち合わせたあと、まだ話し合っている院長とシル、ブラスたちをちらりと見てから、テツ一行はそろってうなずいた。  ゲルマは、横目で院長たちの様子をうかがっていたが、急に喉がつまりでもしたかのように、「げえっ、ジュラの死霊のせいだって」とわめき出した。「そのうえ、まだここにいるんだってえ。いったいどこだよ」 「わ、わからない、でもジュラはきっとここにいる」  ゲルマとテツの台詞はひどい棒読みだったから、とても自然には聞こえなかったが、振り向いた院長とブラスの顔はすっかり青ざめていた。 「ジュラ、ジュラと言ったか」 「ここへ戻ってきただと、いつの間に」 「ジュラとは、まさか」若いシルまでキョロキョロしながら尋ねた。彼の故郷の大臣だったのだから、名を知っていて不思議はない。 「どういうことだね」  厳しい顔つきになった院長にテツが説明した。 「私の仲間たちは、さっきの怪しい出来事をジュラ第一大臣の亡霊のしわざだと見ています。私が彼との約束を破ったと怒っていて、思い知らせようとしているのだそうです」 「あ、別に契約したわけじゃないし。ジュラの独り合点ってやつだな。逆恨みもいいところさ」ゲルマが追加説明した。 「それはともかく、猫も犬もさっきの騒ぎは奴の亡霊が、最も従順そうなロバを利用して脅かそうとしたんだって言ってる。ジュラの見込み違いもいいところだったけどな。あのロバ、ぜーんぜん従順なんかじゃない」 「誇り高きアンティモンを軽く見過ぎね。魔の震源を見抜くほど賢い子よ」とスズも言った。 「それで、私たちに何をしろと」シルがこわごわ聞いた。一方の院長とブラスは後手に回ったと感じているのか、どこか憮然とした表情だ。 「騒ぎはひとまず収まっても、亡霊を祓うのに成功したわけじゃない。まだ近くにいて、私たちを怯えさせ操ろうとしています」と、テツは断定した。 「問題は、どこにいるかが読めないことです。だから探索に協力してほしい」  テーブルに飛び乗ったゲルマは院長、シル、ブラスと順に首を巡らせた。 「実はおれたち、亡霊は誰かの身体に隠れていると睨んでる」 「うっ」ブラスが殴られたような声を出した。 「さっき襲われなかったのは、あんたたち三人。疑うわけじゃないが、あそこにいる化け猫によると、同門の魔法使いに憑依するのは案外簡単なんだってな。ジュラって、いわばあんたたちの兄弟弟子だろ」 「わ、わたしはジュラ大臣とは、こちらに来る際に短く言葉を交わした程度です。それに異変は、食い止めようとしてたでしょ」  シルが弁解すると、横にいたブラスが突然、ガタガタ震えはじめた。「おい、どうした」 「ぎえええええ」のけぞって化け物じみた悲鳴をあげたブラスだったが突然、近くにあった椅子を掴んだ。  そして頭上にふりかぶると、ぽかんと口を開けたままのスズに飛びかかった。
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