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小学校高学年に上がった頃またメンタル不安定の症状が再発しましたね。もうあなたは覚えていないでしょうか?覚えていないでしょうね。 「渚沙ちゃんは本当に心が強くていいわー。」 ってここ最近よく褒めてきますものね。わたしにとってはこの症状は死にたいほど辛いものでした。 最初に出た症状は吐き気でした。お母さん、あなたは吐き気でご飯が食べられないわたしをまず内科に連れて行きましたね。そこで特に問題ないことを知り、精神的なものだと気がついたようです。精神的なものだと気が付いたのなら少し様子を見て治らなければ精神科へすぐに連れて行くべきではなかったのでしょうか?この時期にわたしはかなり痩せた気がします。学校の身体測定で心配されたほどなので…あなたはそのメンタル不安定はいじめが原因だと疑いましたね。何度も 「虐められていたり、嫌なことされたりしているなら言って!」 とわたしに迫りました。しかし、別にいじめられていたわけではなかったのです。ただ、唯一の息抜きの場の学校で入った飼育委員が忙しすぎて休み時間を削られたり、放課後部活に遅刻していかなければならなかったりしたのが苦痛だったのです。わたしはそれを訴えました。結局、お母さん、あなたが学校に掛け合って委員会の仕事が負担にならないように工夫がなされましたね。わたしにとって平和な学校生活が戻りました。しかし、メンタル不安定は治りませんでした。そんなわたしにあなたは怒りましたね。 「ほかに何が問題なの!」 って。わたしにだってわかりませんでした。でも、食事が怖かったんです。おそらく、なによりも家での食事が苦痛になっていたのでしょう。食べられなければ、 「いじめられているの?」 と聞かれる。違うと言っても 「正直にいいなさい。」 や 「言えないなんてお母さんを信用してないの?」 と言われる。でも、いじめられていないのは事実なのだからどうしようもない。それを繰り返すうちに食べなくてはあなたに正直に話せと責められるという恐怖感に変わったのだと思います。そのうち不調を訴えるわたしに怒るようになりましたね。 「そんなことばっかり言っていると精神科に連れて行くわよ!」 って。小学生のわたしにとって精神科は怖いところのイメージでした。何かおかしな人が行く場所と思い込んでしまっていたのです。だから、嫌がりました。さらにあなたは精神科が悪いところのようにいうのですから尚更でした。この症状は治ったり再発したりを頻繁に繰り返していました。治るとしばらく何もないのに、ある時突然不安に襲われて再発するのです。再発は長期休暇が多かったように思います。長期休暇は必然的に家でご飯を食べる機会がまだ増えますからね。長期休暇に入るのが恐怖でした。いや、長期休暇というより、家に帰るのが嫌でした。委員会があった日はいつも「委員会が長引いた。」と嘘をついて学校で委員会が終わった後も友達と話していました。友達もわたしとは学校以外ではなかなか会えないとわかっていましたから、一緒に教室に残ってくれました。 「終業式の日に早く帰りなさい。」 と声をかけてきた先生に 「帰りたくなーい!」 と行ったこともありました。先生はあまりこれを重く受け止めていませんでしたが…。話がずれましたね。戻しましょう。再発して吐き気に苦しむわたしにあなたはいつも怒りました。でも、この症状は不思議で吐き気を訴えると吐き気が治って食べれるようになることが多かったのです。おそらく、出されたものを食べられないかもしれないと言う不安を伝えることで安心感を得たかったのだと思います。それが余計にあなたの怒りを増長させましたね。不調を訴えずに食べられなければ怒られる。不調を訴えて食べても怒られる。毎日が恐怖でした。あの期間は本当に死にたかった。一番症状が酷かった時、わたしは「この症状が高校に入っても治らなかったら死のう。」と決めました。すぐに自殺する勇気がなかったのです。今みたいに携帯も持っていませんでしたし、家族共用のパソコンがあるだけでしたからどうしたら簡単に楽に死ねるかなんて知る由もありませんでした。それが結果的にこの年まで生きるきっかけになってしまったのでしょうか?とにかく小学校高学年は地獄の日々でした。しかし、中学に入れば部活がある。帰りも遅くなる。親と一緒にご飯を食べなくて済むようになるかもしれない。それに休日も部活や大会で外に出られる。行動範囲も広がる。門限も伸びるだろう。そんな期待を抱いていました。
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