第一部 君と僕が終わる日   緋い瞳は閉じられる

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第一部 君と僕が終わる日   緋い瞳は閉じられる

狩衣姿の襟元をだらしなく緩め、腹を掻きながら開きっ放しの障子から外を見つめていた瑠花は、まだ御簾の中で寝ている女に目をやると大きな欠伸を零しながら再び視線を外へ戻した。緩めた小袖から覗く白い肌、長い髪を旋毛下で結び垂らされた漆黒の髪は、(ねや)の余韻を残したままあちこちに飛び跳ねている。だらしのない格好であったが、ここで女が目を覚ましたとしても女はそんな姿も素敵だと頬を染めるに違いない。それ程妖しい色気と、圧倒的な美貌をこの男は兼ね備えていた。 「・・生娘だから美味いかと思ってたけど・・クソ不味い・・」 口の中に広がった女の血を思い出して顔を顰めていると、廊下をダンダンと踏み抜く音がして、瑠花は益々顔を顰めた。 「これはこれは、お早いご起床でございますね。昨晩は武家の娘をたぶらかしてさぞかし楽しい夜をお過ごしになられた様で・・」 背中から溢れ出る黒いオーラを纏った青年は嫌味たっぷりなその口調とは裏腹に、綺麗な顔でニッコリと笑って瑠花を見下ろした。 「・・クソ不味かったし・・体はまぁ悪くなかったけどね」 青年の機嫌などお構いなしに、ふあぁと再び大きな欠伸を零した瑠花に、青年は呆れた様な冷たい視線だけを投げた。 ― 槇 それが彼の名だ。苗字はない。その彼と同様に瑠花にも苗字はない。そして2人は人間でもなかった。いや、この2人だけではない、この屋敷に陰陽師として暮らす全ての者が人間ではないのだ。 「朝廷の力が弱まり陰陽師も(まつりごと)からは蚊帳の外なんですから問題だけは起こさない様にしませんと・・」 続きそうな説教の雰囲気を察知すると、瑠花は苦笑いを浮かべ立ち上がると外へ素足で降りて行く。自分の世話を一手に引き受けてくれている槇だったが、小言が始まると長いのだ。 「あ、女の記憶消しといてね」 「瑠花様!!!あんたって人は!」 逃げるが勝ちだと早々に姿を鷹に変え飛び立つと、屋敷からは槇の怒号が飛んでいたが、瑠花はふふっと笑いながら上空高く翼を広げた。 ― ヴァンピール これが瑠花の、屋敷全ての者の正体だ。蝙蝠・吸血鬼とも呼ばれ、人の生き血を啜って生きる人外であり、日本では古来から(あやかし)と恐れられている存在でもある。ヴァンピールの能力は妖の中でも格段に強く、それ故に他の妖を纏めているのもこの一族だった。 人間達が暮らす人間界、そして人間には知らないもう1つの世界がある。それが魔界だ。本来であれば妖の王とも言えるヴァンピールが人間界に身を置いているのは、他の妖が無闇に人間を襲わない為だ。人間自体はどうでもいい、ただ彼らを守らねばならない理由がヴァンピールにはある。鴉・妖狐・天狗、どの種族を取ってみても同じ種族と婚姻を結ぶのは人間同様普遍的だ。それはヴァンピールにも言える事ではあるが、妖にはそれとは別に「血の(くさび)」という存在がある。自分の魂の一部でもある楔は、抱き合えば妖の能力を増幅させ、その血を啜ればあらゆる恩恵を受ける事が出来る。その内の1つでもある目も眩む様な快楽は全ての妖を虜にするとも言われていた。 ‘生きる’ という事に於いて弱々しい人間に神が与えた最後の砦は、この楔が人間の間にしか生まれない事だ。西洋を発祥としたヴァンピールには太古から伝わっている存在であり、同じく西洋を発祥としたライカン、人狼とも呼ばれる妖にとっては自分の楔と出会う事は一生を掛ける程の幸福だとされている。海を渡ったこの2種族が日本という小さな島国に住み着いたのは、他でもないこの楔という存在が日本では多く生まれる為だ。だが、日本の妖は人を喰らう種族が多く、妖の王は種族の中でも下等だと蔑まれる人間を守る為に重い腰を上げざるを得なかったのだ。 楔は成人を迎えると覚醒し、自分の存在を魂の一部である妖に知らせる為に体からフェロモンを出して相手を誘う。厄介なのはこのフェロモンが、他のヴァンピールばかりか他の種族さえも呼び寄せてしまう事だ。妖は楔の覚醒と共に、誰よりも早く楔を見つけ出し「血の(ちぎり)」を結んで自分のものにしなくてはならない。その遅れを取らない様に、ヴァンピールの多くが人間界にその身を置いていて、瑠花もまたその1人であった。
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