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お風呂からあがり、いつものように髪を乾かして、いつものようにバスタオルを洗濯カゴに入れた。
洗面所を出ると廊下は真っ暗だった。しんと静まり返った廊下を私は歩いた。電気を点けなくても私はどこにもぶつからず歩くことができる。身体が覚えている。ここで曲がれば階段だ。
二階へと続く階段を私は見上げた。冷たい空気が上から流れ降りてくる。やはり階段の電気は点けずに足を一歩踏み出す。冷たい板の感触が足の裏に伝わる。私が体重をかけると階段はミシッと音を立てた。
この音のせいで、夜中にこっそり帰ってきたときに見つかって怒られたこともあった。そんな前の出来事でもないのに、なんだか妙に懐かしく、笑みが浮かんだ。
部屋に戻り、ベッドに座る。さっき放り出したスマホを拾ってみたが、特に誰からも連絡が来ていなかった。
ベッドに倒れ込み、ふと左へと見た。
壁紙が少しだけ破れていた。
あれは小学生のときポスターを貼ろうとしたときにできてしまったものだ。ずっとコルクボードをかけて隠していたから、もう何年も見ていなかった。傷をつけたことに気づき、慌てふためく子供の頃の私が、そこに見えたような気がした。
モノがなくなってしまえば、この部屋はもう私のものではなくなると思っていた。しかし、壁紙の破れやフローリングに付いた傷は私がいた「証」のようなものだ。
ここが私の場所だったんだ。
ずっとこの部屋が、私の隠れ場所だった。私のお城だった。
薄暗い部屋の中で、壁にそっと手を当ててみた。かわいがっていた猫を撫でるような気持ちで。嬉しいときも、悲しいときも私がどんな顔をしていたか、この部屋は知っている。
今まで隠れさせてくれて、ありがとう。
「また夏に帰ってくるよ」
壁に手を当てたまま、私はそう呟いて目を閉じた。
あと何時間かすれば、朝がやってくる。朝が来たら、私はこの部屋を出ていく。
大丈夫、もう二度と戻らないわけじゃない。また帰ってくる。わかっていながらも私はもう少し夜に抱かれていたかった。
この部屋に眠る記憶が、少しだけ長い夢を見させてくれるような気がした。
遠くで風の音が聞こえた。
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