命がけの恋

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命がけの恋

 10月の半ばに訪れた日本海は風が強くあいにくの曇り空で、防寒着が必要と感じる程寒かった。女はSNSで話題となってる浜辺の大きなブランコに大喜びで写真だビデオだと撮影に大忙しである。夕日をバックに撮影するとそれは見事な一枚となるらしい。一緒にいることを記録に残しちゃいけない関係だと知りながら誰に見せるつもりなんだとは口が裂けても言っちゃいけない。旅館で借りて来た傘を手に持つのが億劫だと感じながら砂が靴の中に入らないよう注意して女の後を追い、幼いカップルに頼まれて記念撮影を手助けしてやった。どんより雲でも撮ってやろうかと思ったがすぐにばれるだろうからちゃんとした。女は若くもないのに波打ち際で寄せては返す濁った泡飛沫をきゃっきゃいいながら追いかけ、逃げ、嬉しそう笑っては靴が濡れたと言って怒った。飽きると夕食のメニューが気になりだしたようで携帯片手になにやら熱心である。  濡れたグレーの砂浜に大きなハート模様が描かれている。「あれ誰が描いた」と聞くと女は顔を上げて「さあ」と答えてまた携帯を見る。しばしハートを睨んでそのまま視線を上げると遠くの方にひとり誰か立っていたた。午後3時半の砂浜には観光客の姿もまばらで寒さと風に目を細めて長居する連中など数少ない。しかしその人影は何を思うのかじっとその場から動かないでいる。生憎目が悪いために男か女か判断がつかず、試しに女に声をかけて見えるかと聞くが「どれ、どれ」と言うばかりで同じ物を確認出来ない。変だなと思うのは風が強いにもかかわらずそいつの髪や衣服がまったくはためかないことで、こっちを向いているのかあっちを向いているのかさえ分からない。誰かが太い木の棒でも砂にぶっ刺したかと目をこすると、「あ」、そいつが地面に伏せた。どうやらこちらを向いていたらしい。両手を砂浜について両足は酷く不格好に開いている。地べたを這うトカゲのような格好で体を左右に揺らしているが相変わらず風の影響を受けていないのだからおかしなものだ。「行くわよ」と女が俺の手を引いて歩き出し、そのまま俺たちは浜のブランコに並んで立った。「振り向いてはだめよ」と女が言うのでわけを問うと「あれは」このあたりで有名な「アシカリ」だと答える。足を刈るからあしかりなんだそうだ。地面に足を突いていなければ足を刈られることはないそうで、この浜辺のブランコの本当の使い道はあしかりから避難する為なんだそうだ。「妖怪か」と聞くと女は「そうよ」と言って空を見上げた。みるみる雲が流れ浜には俺と女だけになってあっという間に夜が来た。最初から夜が来たことに気付かず砂浜で棒立ちしていたのは俺たちの方かもしれぬと逆転の発想が脳裏をちらつく。「どうする」と聞くと「朝までここにいるの」と女は言う。「旅館には戻らないのかい」「足を地面に降ろせばちょん切られるわよ」「そうか、なら仕方ないな」「仕方ないわ」言いながらも女はどこか嬉しそうで口元に微笑なんか浮かべた顔で雲間から覗く月の光にうっとりしている様子。見ちゃいないが、右後ろでふーふーと老婆のようなしわがれた声で息を吐くものがいる。「朝までこのままかい」「朝までブランコ立ち漕ぎよ」「無理かもしれない」「いいえ出来るわ」「無理かも」「きっとあなたと一番長く一緒にいられる夜になるわ」「そうかもしれない」「私を突き落としたいのでしょ」「突き落とすもんか」「そう」「そうさ」「それなら、明日は朝食をたらふく食べましょうね」「今日の夕食の分までね」「そうよ。納豆はあなたにあげるわ」「ならこちらは海苔をあげようね」ふー、ふー。「それなら私は……」ふー、ふー。「じゃあこっちは……」ふー、ふー。「うふふ」ふー、ふー。「あはは」ふー、ふー。ふー、ふー。
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