夢境隧道

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夢境隧道

 子どもの頃夜布団に入ると必ずといっていい程高い所から落っこちる夢を見た。訪れた記憶のない密林の中にそびえ立つ恐ろしく高い山の頂上からダイブして、目を瞑ってゆっくりゆっくりと落下していく夢である。頭からではなく両足を開いて太腿の下から両手を入れて抱え込む姿勢で落ちていくのだが、その際股関節に痛痒いような感覚が生じるせいで目覚めた後も恐怖と不快感に何とも言えず嫌な気持ちにさせられた。大人になってからはあまり見なくなったが代わりにトンネルから出たくないと強く思い描くようになった。車で走行中薄暗い隧道に入った瞬間の得も言われぬ現実逃避は意識を持ったまま見る夢に似ていて、このまま別の世界へ連れて行ってくれと思いを馳せる自分がいる。  トンネルは謎に満ちている。怪談話もそのひとつ、高速で追いかけて来る婆だの影のように突っ立っている女だの色々あるが、一度だってそのようなご縁に恵まれことはなく、ただひたすらに憧れのような目で後方へ飛び退るオレンジ色の光の玉を見つめるばかりである。出来れば両脇に歩行者や自転車が専用で通行できる道が併設されているのが望ましく、落ちて当たれば即死するよな大きさの排気ファンも複数欲しい。入り口と出口がお互いからでは目視出来ない距離があって、想像力を掻き立ててくれる謎の扉なんかも付いてると尚良い。その扉の向こうには牢屋のような部屋がひとつあって簡素なベッドに黴が生えた毛布がだらしなく垂れている。奥にも通路が伸びており普段そこは明かりがなく暗がりなのだけれど、紐付きの蛍光灯をパチリと付ければ炊事場で女が大根を切っている。「味噌汁かい」と聞くと女はだらしのないよれよれのシャツ一枚の格好で振り返り「何言ってんのさこれはお漬物」と答えるのだ。背後でガシャリと鉄製の錠前がかかる音が響いて俺は「ああ出られなくなった」と思うけれど、切ったばかりの大根をぱくりと唇に挟んで微笑むその女を見ていると「これでいい」と思えて来て外界に出ることを瞬時に諦めた。
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