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泣き参り
夏の終わり頃だったか、猛暑が過ぎ去るのを待って墓参りにいった。そこは山の斜面を利用した大きな霊園で、シーズンを避ければほとんど人とすれ違うこともない。夕方の5時に閉まってしまう利便性の悪さはあるもんの、墓の手入れを施設職員が代理で行ってくれるなど、年一回しか訪れない出不精の私のような人間には有難いシステムである。その日も私は4時半を回ってから山の麓の駐車場に滑り込み、用を足してから再び車で上を目指した。うちの墓は山の中腹らへんにあって他所と比べてもとりわけ高所にある為眺望に恵まれてはいるがとにかく暑い。閉園時間も近いことから狙い通り辺りを見回しても私ひとりしかいない。私は使い古されたバケツに汚い水を張って柄杓片手に砂利を踏んで歩いた。
うるさい蝉が鳴いていると思い顔を上げると、私の母方の親族が眠る墓の墓石に抱き着いて女がわんわん泣いている。私は立ち止まって女を見つめ、そして周囲を見渡してまた女に視線を戻した。おいおいと涙を飛ばして女が泣き続けている。まだ暑いというのに長袖のグレーのカーディガンに袖を通し、涙に濡れたのか所々黒ずんでいる。下は白っぽいスカートを履いているのだがこちらも所々が汚れて変色している。髪はロングで乱れてはいないし前髪に至っては右側から左側へ綺麗に流してピンでとめている。色白の顔は泣き崩れてさえいなければ相当美人のはずで、私が一目散に逃げださなかったのもその強烈な美貌が故であった。だが1秒経つごとに私の心は小刻みに震え始め10秒が過ぎ去る頃にははっきりとした恐怖に変わった。どう見ても私が参るベき墓なのに見ず知らずの女が抱き着いて泣いている。ひょっとして私が知らぬだけで親族の誰かさんかしらと思うもんの最近誰かが死んだ話は聞かない。従妹親戚の類であろうとも人目を憚らず大声で泣きわめく理由が全く思いつかない。私はとりあえずゆっくりと後退して途中からは半ば駆けるようにしてその場から離れ、柄杓もバケツも放り出して麓の管理棟へ逃げ込んだ。「知らない女が墓を抱いて泣いている」と説明すると奥から出て来た眼鏡の職員は顔を曇らせ、またか、と言った。「今日はもう諦めなさい。また日を改めてもう少し早い時間に来なさい」などとふざけたことを言う。「何故私が日を改めるのか、今すぐ行ってあの女をどけろ」「無理だ。あの女はどかない」「何故だ」「悲しみが強く自分で納得するまでテコでも動かない。初めてあの女に出くわした時職員と警察5人で引き剥がしにかかったが皆返り討ちに会った。そればかりかうちの職員がけがをした。だからもう行かない」「逮捕したまえよ」「してもまたすぐに戻って来る」埒が明かないのだ。職員はどう頑張っても無理だから諦めろとしか言わず、私は何故だか怖さよりも怒りが勝って、我慢できずに再び墓へ戻った。すると大声で涙を飛ばして泣いていた女が墓石に頬を付けた状態で溶け始めていた。暑さのせいかとも思ったが女は自分の有様に気が付いていない様子で相も変わらずおいおいと泣いている。「暑さでどうにかなってしまいますよ」と声をかけると女の目玉は私を見たが墓石から離れず泣き続けている。そのまま黙って見ていると女はどろどろに溶けてやがて墓石に覆いかぶさる灰色の肉塊と化した。私は哀れに思い、うちの墓石の隣に空いていた建立予定の敷地に穴を掘って女を埋めてやった。墓石から引き剥がすのに苦労したが、埋める際には小さく折れて丸まったので埋めやすかった。それから泣き声は聞こえなくなったので私は無事墓参りを済ませることが出来たが、結局あの女が何者なのかは今もって知らないままである。
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