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朱色の窓の女
田舎に住んでいるとどうしたってドライブが趣味になるわけで、その晩も町の端っこにある昔ながらの住宅地をゆるゆると走っていた。道路の右側には土地持ちが道楽でやっていそうな手狭な畑とその向こう側には林が広がり、左側には人が住んでいるのかいないのか分からない民家が軒を連ねて建ち並ぶ、そんなルートを必ず通る。街灯はあっても切れていていつも暗い。何故そんな道を好んで通るのかと聞かれても好きだからとしか答えようがなく、何故好きなのかは自分でもよく分からない。狭い道を殊更速度を落として走っていると、いつものごとく朱色の家が見えて来た。路地に面した窓の木枠部分が何故か朱色に塗られており、木造の壁自体もなんとなく赤みがかった茶色をしていることから勝手に朱色の家と呼んでいる。呼んでいると言っても人に話したことはないしこれからも話さないだろう。休日になる度深夜になれば車を駆って遠乗りに出る。田舎から田舎へ人気のない道をひた走るだけの単なるガソリンの消費に過ぎないが、そのガソリン代で自由になれる時間を買っていると思えば安いものである。懐かしさと安堵が調和する見慣れた街並みを横目に見ながら我が町を置き去りにするのが気持ちいい。朱色の家は丁度これから地元を出ようとする心地よきタイミングで通りがかる、実にうら寂しい一角に佇む廃墟然とした家である。
思わず急ブレーキを踏む。今まさに通過した朱色の家の窓が開いていた。そればかりか家の中から見知らぬ女が窓枠に腕を置いて外を見ていた。こっちを見ていた気がする。タイヤが不快な音を立てて停車し、ドアミラーで確認するも角度的に窓枠しか見えない為今見た女が本物か幻か判断がつかない。ごくりと喉を鳴らして生唾を呑み込みシフトレバーをRに入れてゆっくりと下がる。
女は俺を見て微笑んだ。家の前を通過した車がバックで戻って来たのだから普通は警戒してもよさそうだが、女は窓枠に両手を重ねて置いたまま俺を見つめて嗤っている。パワーウィンドウを下ろしてまじまじと女を見た。若いようでも年増のようでもあって、色が抜けたような白い肌に髪の色は黒。両肩よりも長いらしいが背中側に垂れているのでどの程度長いかは分からない。唇が赤く鼻が小さく目が大きい。見開いているわけでもないのに目が合うだけで背筋が凍る大きさだ。首周りのたるんだ白いTシャツを着ている。首の左側に小さな黒子があった。「なにしてる」。聞くと女は「なんも」と答えた。「兄さんの車に乗っていいかい」と言うので「構わないよ」と答えると、その女は両手を伸ばして車を掴み窓枠を乗り越えて助手席の窓から入って来た。手足が長く、ゆるゆるの白シャツの下にはブラをつけてないものだからゆさゆさと揺れる乳房が半分以上見えた。下にはパンティしか履いておらず薄っすら黒いものが透けている。おかしな女を入れてしまったと思ったがこちらが圧倒されて息を呑む間にシートベルトをきちんとつけて前を向いてこちらを見ない。「どこへ行こうか」と思ってもみないことを尋ねると、女は首を傾けて俺を見ながら「決めたところへは行けないものよ」などとおかしなことを言う。物狂いの類かと眉を顰めつつ俺は前に向き直りシフトレバーを握ってこう聞いた。「なら一緒に死んでみようか」。すると女は嬉しそうに嗤って「生きようよ」と言ったのだ。
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