処刑前夜

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 月の光も入らない、地下の牢獄。その暗い廊下を、俺は看守の後ろについて歩いている。看守が気だるげに鍵の束をじゃらじゃら揺らす音が、石造りの廊下に反響する。  この長く暗い廊下の先に、俺が心から慕っている人が閉じ込められている。道端で泥水をすすって、ゴミを見るみたいな目で見てくる金持ちに物乞いをしていた俺を、拾ってくれた人。明日は、あの人が処刑される日だ。人々に慕われるお偉いさんを、刺し殺した大罪人として。その殺人の他にも、数え切れないくらいの強盗罪があるから、街の真ん中にある広場で見せしめのように首を吊られる。きっと、山のように野次馬が集まってくるだろう。生卵とか石とかを投げられて、クズだの死ねだのと罵声を浴びせられながら、あの人は死ぬ予定だ。仲間の俺たちにとっては他の誰より優しい人で、尊敬すべき人で、大切な人なのに。確かにあの人は仲間を率いて銀行強盗やら列車強盗やらを繰り返した犯罪者だけど、何も知らない他の奴らに罵られながら死んでいくなんて、絶対に間違っている。  廊下を渡りきった先、一番奥の牢屋に着くと、看守が鍵を開けながら言った。 「五分だけだ。俺が外で見張ってるからな。変な真似しようとするなよ」  牢屋の扉は、想像していたような檻の扉ではなく、鉄でできた頑丈そうなものだった。大人の男の目線の高さあたりに、小さな覗き窓のみが付いている。  看守は扉を開け、独房に入るよう目で促してきた。面会を申し込んだ時に話した、別の監獄の守衛は死ぬほど感じが悪く、「あんな社会のゴミに会いに行くなんててめーもゴミなんだな」「ドブネズミ同士仲良くしてろ」などと散々悪態をつかれたが、この看守は思ったより態度がいい。言っていることは当たり前に厳しいが、俺を蔑むような声色ではない。監獄の看守なんて威張っている割には卑しい生活をしている奴らばかりだと思っていたが、こいつは清潔そうだったし、近くによると、そこそこ高価な石鹸の香りがした。  長方形の形をした独房の中はとても質素だが、不潔な感じはしなかった。ランタンが一つ天井からぶら下がっていて、薄いマットレスの乗ったベッドと、むきだしの便器のみがある。部屋の真ん中で、あの人は小さな椅子に座っていた。手と足には枷がついていて、頑丈そうな鎖が壁へと繋がっている。 「ああ、サム、よく来てくれたな」 「もちろんです、親分」 「だからお前、親分って呼ぶのやめてくれないか。ボスとか名前で呼んでくれよ。なんか年取った気がするだろ」 「すみません、ボス」  確かに、ボスはまだ若い。正確な年齢は知らないが、おそらくまだ四十にもなっていないだろう。ニヤリと笑った顔は監獄に入る前よりは少しやつれているようだが、若いながらも威厳のある顔つきは変わっていなかった。 「まあいいよ。それよりお前、元気にやってんのか? 俺よりやつれてるように見えるぞ」  俺がボスの前に置いてある椅子に座ると、ボスは俺の頰をぱしっと叩きながら言った。ボスが手を伸ばすと手錠につながった鎖が地面で引きずられて耳障りな音を立てる。俺は呑気な物言いに少し腹が立った。 「俺のことなんていいんですよ! あんたは明日、明日……。俺は、あんたの顔を見に来たんです! なんか、俺にできることがないかなって、最後に何か……」 「はは、いつも自分が一番足手まといだとか言ってビビってたくせに、最後はお前がなんかしてくれんのか?」 「だって!」  ボスがけらけら笑うほど、涙がこみ上げてきた。 「だって、他の奴らは親分に会いに行こうって誘っても全然乗ってくれなかったんです!」 「親分じゃなくて」 「ボスを助けに行こうって、みんなに言ったのに。もう最近はどこにいるかも分からない。薄情なんです。みんなだって、ボスに助けられて生きてきたのに。俺なんかが一人で頑張ったって、しょうがないのに。結局俺は、直前になって会いに来ることしかできなかった……」  ボスは困った顔をして笑った。 「いいんだよ、そういうもんなんだよ。捕まっちまったもんはしょうがない。トカゲのしっぽは切らないとだろ。恩知らずなわけじゃない。賢い奴らなんだ。お前と違ってな」  俺は鼻水をすすった。 「なんか、俺にできることないですか?」  ボスは長い足を組み、少し考えてから言った。 「じゃあ、思い出話に付き合ってくれ。俺たちの仲間の話をしよう」 「そんな感傷的な……。もっと他のことでもいいんですよ。食べたいものとか、飲みたい酒とか。さっきの看守、ちょっといい人そうだったので食べ物を持ち込むくらい許されるかも……」 「なんだそりゃ! 最後の晩餐ってことか? それこそセンチメンタルになってるだろ。いいじゃないか、わがまま聞きにきたんだろ? 自分を慕ってくれてたやつらの思い出話をして、この人生の締めとするのも乙でいいだろうが」 「……わかりました。賛同しかねますけど、ボスがそう言うなら、しょうがないです」 「ふん。言うようになったじゃないか。なんの取り柄もない、逃げ足だけやたら速い、臆病者のサムって言われてたのにな」 「別に、臆病なままですよ……。足が速いのも馬のおかげですし……」 「で? 俺を助けようって、最初に誰誘ったんだ?」 「パーシーです」  俺は少し俯いて口ごもったが、続けた。 「ボスが捕まったのも、ほぼパーシーのせいだから、乗ってくれるだろうと思ったんです。でも一番あっさり断られました」
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