あをによし

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前もって言っといて欲しかったなあ。 小一時間前、素っ気ないスチール製のドアに貼られたメモを指先で弾きながら暁は小造な唇を尖らせていた。 彼が在籍する大学の、文学部日本文学教授、本間ゼミの研究室前。学部二回生の暁には本来あまり用はないその部屋の入り口に、反故になったA4用紙の裏を使った無造作なメモは堂々と貼り付けてあった。 「本日の万葉集読解は休校です」 走り書いたマジックペンの文字を声に出して読んでから、軽くため息をつく。 まただ。これで三回目。 通年の講義の中でこういうことは時々あって、暁はすっかり慣れてしまった。少人数の学生のために細々と授業を開く教授は気まぐれで、面白そうなことがあると躊躇いなく学生よりそちらを優先する。 だったらスマートフォンから確認できるシステムに休講の申請をすればいいのに、と毎度思う。しかしアナログな老教授は面倒がってただ自分の研究室の扉に張り紙をするだけだった。 完全に無駄足を踏んだ。今日はこの二講目からの登校でこの後は四講目と五講目しかない。講義がないと知っていたら基礎ゼミのレポートをもう少し粘ったのに。 「なに。また休講?」 人気のない廊下で腕組みをして険しい顔をする暁の隣に、突然壁が立った。そう感じるほど並んだ男は大きかった。たぶん百九十センチ近い長身に逞しい体つき。標準的な背丈に薄めの胸板しか持たない暁からすれば、青柳はまさしく『壁』だった。 威圧感に思わず身じろぎながら肯く。
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