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「はぁ、はぁ、ねぇ、エイダン、待ってよ」
ほとんど僕に引き摺られるように走ってきたトリスタの足が止まる。
気づけば空が白んで来ている。もうすぐ、夜が明ける。
女の子に、それもついさっきまで全身を麻縄で縛られていた子に、これだけ走らせるのはさすがに可哀想だったか……。
「ごめん、沢山走っちゃったね……大丈夫?」
僕も止まってトリスタを振り返る。
トリスタはずるずるとしゃがみこんでしまった。
「本当にごめん……」
背中をさすってあげようと、トリスタの腕から手を離したその時、ふわりと身体が宙に浮いた。
「かはっ……!?」
腰と背中に激痛が走る。そして額にはひんやりとした硬いものが押し付けられているのがわかった。
「本当、馬鹿な男ね、エイダン」
聞き覚えのある声が、上から降ってくる。
僕の上に馬乗りになって、額に黒光りする銃口を突きつけているのは……。
「トリ、スタ……どうして?」
混乱する僕に、妖しい光を瞳に宿したトリスタがサディスティックに嗤う。
「ここまでやってまだ気づかないの? いいわ、教えてあげる。私はね、あなたの敵なの。敵国のスパイ」
「……スパイ?」
「そうよ。それも精鋭部隊の隊長の周りを偵察をするくらいの上層部のスパイ。あの夜、あの地下室に閉じ込められたのは計算外だったけれど、そのおかげで隊長の家の構造も、あなたの居場所も全てわかったわ」
トリスタの口から明かされる事実に、ただただ驚愕することしか出来ない僕を見て、彼女は面白そうにくすりと笑う。
その意地の悪そうな笑顔を見て、僕の中の記憶が弾けた。
楽しそうに火薬の詰まった爆弾を僕の家に投下する、上空を飛ぶ少女……。
「まさか……僕の村を焼いたのも……」
「あぁ、思い出した? それも私。地下室で会った時に名前を知っていたのは、あの村唯一の生き残りだったから。あなた、こっち国では結構有名人なのよ?」
「ふざ……けるな。よくも……」
「うるせぇよ、殺すぞ」
トリスタはカチャカチャと慣れた手つきで鉄砲の撃鉄を起こす。
突然変わった口調と、あとは引き金を引くだけで簡単に殺されるという恐怖に、心臓を氷の手で握られているような感覚に陥った。
「まぁ、私があなたを殺しても殺さなくても、あなたの国はもう終わりよ。あの隊長の家には、もう私の仲間が向かって……いや、もう殺しちゃったかしら? あなたが大胆に動いてくれたおかげで、私が脱出できたことも、閉じ込められていた場所もすぐに特定できたし、厳重なはずの玄関の扉だって、私と逃げる時にあなたが開けっ放しにしてしまったものね」
あぁ、僕はなんてことをしてしまったんだ……こんな女を好きになってしまったせいで、恩人であるアラン氏を、死へと追いやってしまった……。
「そして隊長がいなくなれば兵なんて簡単に崩れる……革命の始まりよ」
そうか、僕は優勢だったはずのこの国すらも……終わりへと導いてしまったのか。
「あの時取り逃がしたあなたをせっかくここで捉えることができたんだもの、あなたも、今ここで殺すわ」
あぁ、これは僕への天罰なんだ。こんな女を好きになってしまった僕への……。
「トリスタ……愛してる」
僕は目を閉じて、額に銃口を突きつけたままの彼女に、一番伝えたかったことを口にした。
耳に届いた小さく息を飲む音にそっと目を開くと、綺麗な紫色の瞳が揺れていた。
「……さよなら。馬鹿なエイダン」
震える声と同時に、どこまでもどこまでも、銃声が響いた。
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