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27 狼に口づけを②
「え……。どういうことなんだよ?」
『そのままの意味だ。お前はまだ和哉と番になっていない。和哉に騙されてるんだ。噛み痕は昨日ヒートが起こる直前につけられたものだ。思い出せないか?』
(項? 噛まれた?)
それはあの目が覚める前に見て居た夢の断片だったのではないのか。
子どもの頃から一人きりになると見て居たような悪夢に近く、柚希の存在ぐらつかせるような不安を増させる夢で、思い出すのが怖くて蓋をした。
和哉と晶が口論をして、自分は和哉に項を……。
(夢じゃない? どこまでが夢? どこまでが本当なのか?)
混乱した頭でスマホに耳を押し付けるが、不思議なことに晶の声がスマホだけでなく別の場所からも遅れて聞こえてきたのだ。
すると和哉が柚希の上から自らの身体をどかしながら、兄が手にしてたスマホを取り上げてぽいっと広いベッドの端まで投げ飛ばす。
「カズ!」
咎める声を無視される。そのまま茫然と寝転がる裸の柚希の腰を和哉は片腕で軽々と抱え上げバッグハグをするような体勢になった。そして胡坐をかいた膝の上にすっぽりとおさめるように捕らえ座らせたのだ。
「カズ?」
半裸でするには親密すぎる体勢だが柚希は大人しく和哉の逞しい胸に身体を預け、どの角度から見ても文句なしに端正な弟の顔を腕の中から不安げに見上げる。
和哉はベッドサイドのテーブルに置いてあった自分のスマホを取り上げた。そしてまるで仇を前に牙を研ぎ澄ます狼のようなぎらつく視線を画面に向けたまま、柚希の方に顎を埋め、互いの顔が映るように調整する。
柚希の目の前に持ってこられたスマホの画面に映っていたのは晶と……。そして赤い噛み跡がみだらな素肌を晒したしどけない格好で和哉に抱きかかえられている今この瞬間の自分の姿。
『柚希。体調は大丈夫か?』
この期に及んでも晶は窶れ翳りの或る表情に僅かに微笑みを浮かべ、画面越しに柚希を気遣ってきた。
「大丈夫だよ……。少しだけ頭、ぼーっとして痛いけど。晶……どうして?」
柚希にとって想像もつかなかった異常な事態だ。
すべての疑問をひっくるめたどうして以外には、柚希は声すら上擦り旨く言葉を紡げなかった。
「柚希が昨日意識を失ってから、ずっと先輩とスマホを繋ぎっぱなしにしてたんだよ? 目覚めるまではこっちに来ない約束だったのに、僕のキスで可愛い声を上げる柚希に堪らなくなって、なんどかこっちの部屋にきそうになったよね?」
「悪趣味極まりなかったな。お前がそんな奴だったとは心底失望した」
「あんな風に僕の隣で安心しきった顔で眠ってる可愛い柚希を前にしたら、指一本も触れないなんてとても無理だね。正々堂々と勝負するなんて僕に格好をつけてさ? 結局こんなタイミングで連絡とってきた。どっちが悪趣味?」
恋敵に向ける態度は互いに辛辣で、そこにはかつて先輩後輩として互いに敬意を払い共にコートを駆けた輝かしい姿は消え失せているかのように見えた。
柚希がみるみる顔色を失っていくのは憐れだったが、お互いに激しくぶつかり今この局面に火花を散らさねば、柚希に迷いを捨てさせどちらか一方を選ばせねば先に進めないと二人は覚悟の上だった。
恋人と弟。かつてのチームメイト同士の二人が柚希を挟んで言い争う。
始まった応酬に血の気が引いてきた柚希は暴れて身を離そうとするが、和哉の腕は鉄の錠のように硬く外れる気配がない。
「……なんだよ。なんなんだよ、それ」
晶をまた煽るように柚希の真珠のように輝く白い首筋に舌を這わせた和哉に、柚希は怒りをあらわにして顔を押しのけようとするが、和哉はそれを許さず逆に顎を掴んで無理やりに柚希に晶に見せつけるように唇に舌を這わせ、官能を呼び起こすエロティックな口づけをした。
目の端でスマホを追うと、目も背けずに晶がこちらを見つめてくるからいたたまれずに柚希は拳で和哉の胸を打つ。
「んっ!!! やめろ! こんな、ひどいっ……。 晶が見てる! 」
「それが何? だから言ったじゃないか。僕はずっと、君を狙う狼だったんだよ。忘れちゃった柚希が悪いんだ。この十年、君がずっと他の誰かに目を向けるのをどんな気持ちで僕が見てきたと思う? 諦めようとしたこともあった。弟として君を支えてあげればいいって何度も、何度も君を……。手放そうと」
柚希は振り返らず、画面に共に映っている辛そうな和哉の瞳に光るものを見つけた気がして胸が苦しく締め付けられた。
「柚希。君はいつだってワンコの餌じゃ満足できない僕の欲を煽って、無邪気に僕の愛情を乞うんだ。与えても与えても、最後のご馳走はよこしてくれない。晶先輩にだってそうでしょう? ひどいのはどっちだよ。俺たちを弄んで……。清らかな顔をして、人の人生を狂わせてる」
「……そんな」
柚希は愛する弟からのひどい詰りに言葉を失って、ずるずると背中を預けた和哉の胸板からずり落ちていく。そんな柚希の白い胸に太く筋肉の筋の浮いた腕を回して和哉は抱えなおして愛おしげに頬ずりをする。
「……でも僕はいいんだ。柚希にずっと狂っていたいから。だから片思いを拗らせてる晶先輩のことはそろそろ開放してあげなよ。柚希の恋の奴隷は僕だけで充分だろ?」
『和哉、言い過ぎだ。まだ柚希はお前のものじゃないだろ? それに俺の柚希への気持ちは変わらない。お前にも負けない。柚希。和哉はさっき、もう一つの俺との約束を破った。だからこうして声をかけたんだ。和哉がきちんと眠るお前を発情させて噛みつくことはしないと約束を守っていたから。目覚めるまでそちらに行かずにここで待っていた』
「晶……近くにいるの? 仕事は?」
『仕事なんて、行ってられるか』
荒くそう言い捨てると、憔悴の色が濃い晶は画面のからじっと強い眼差しで柚希を見つめてきた。
「しょう……」
『今、お前たちと同じホテルの中にいる。柚希。お前はまだ和哉の番じゃない。だから何も気にするな。……柚希、愛してる。迎えに行くから、俺を選んでくれ』
晶というのは意外と照れ屋で、柚希のことを大切にはしてくれたがこんなふうに折々愛を囁くタイプではない。だから初めて聞くはずの晶の情熱的な告白にもなにか感ずるものがあり、柚希は画面を見つめながら涙をぽたぽたと零した。しかし同じ画面に映る背後の和哉も辛そうな顔つきでいかせまいと、兄を抱く腕に力を込めた。
「晶……、約束って?」
『お前の気持ちを聞いて、俺か和哉のどちらかをお前の意志で選ばせてから番にするという約束だ。和哉はさっきそれを無視してお前にヒートを起こさせようとした。違うか?』
「違わないよ? 僕は薄汚い『狼』だからね。噛みついてでも兄さんをいかせたくない」
和哉は乱暴な口調とは裏腹に、神に祈りを捧げる人のように柚希の肩口に床に額づくようにぎゅっと額を押し付けた。
「誰より柚希のことを愛してる。お願い。僕の番になってください」
虚勢を張って皮肉で自嘲気味な言葉を綴ったのちの和哉の背中越しの告白は真っすぐな上柚希には言葉の端々が震えて聞こえていた。
(和哉……)
『柚希。聞かせてくれ。本音でいいんだ。どちらを選ぶのでもいい。選ばないでもいい。お前の本当の気持ちが知りたい」
晶は伝えたいことを言い終えると昨日と同じシャツを着た姿で立ちあがり、こちらの部屋のカードキーと思わしきものをポケットから取り出して画面の前に晒し見せつけてきた。
「扉の前で待っている」
画面から姿が消え、しかし物音から晶がこちらの部屋に向かってきているのが分かる。柚希は頭がくらくらするほど心音を高めながら、ひたすらに離すまいと自分を抱きしめてくる一途な弟の腕を、流される人が掴む丸太のように爪すら立てて握りしめた。
(俺の気持ち……)
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