明日、わたしの好きな人がいなくなります。

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「できれば、佳奈実ちゃんには笑顔で見送ってほしいんだけどな」  純香さんの口からポツリと零れた言葉は、それまでの楽しそうなものとは違い、とても悲しそうな響きをしていた。わたしは胸の奥がきゅっと締められたように苦しくなる。  回り込んで見上げると、純香さんは眉間に皺を寄せ、辛そうな顔で唇を噛んでいた。 「嫌なら、出ていかなければいいよ。ずっと、家にいればいいの」 「そんなこと出来るはずないでしょ。大人には色々あるの」  わたしはまっすぐに純香さんの目を見つめると、純香さんはその視線を躱すように目を背けた。わたしをちゃんと見てくれない。 「そんなの、分からないよ。どうして嫌なことなのにしなくちゃいけないの? 子供だから分からない! ずっと一緒にいようよ。ねえ! わたし、もっと純香さんにいろんなことを教えてほしいの。純香さんみたいになりたいの」 「私なんてなんの手本にもならない。不幸になるだけよ。止めておきなさい」 「不幸になんてならない。だってわたしは楽しいから。純香さんといられて幸せだから」 「それは、一時だけのものよ。今は楽しいかもしれないけど、後から絶対に後悔するよ。それに、これ以上佳奈実ちゃんの家族を不幸にして、苦しめたくないの」  これまで、幸福とはいえないまでも、特に大きな不満もなく暮らしてきたわたしたち家族は純香さんという異物を取り込んだことで綻び、徐々に幸福からは遠ざかっている。  タイミングの問題かもしれない。純香さん自身に原因はなくて、ただ私たちがそれを言い訳にしているに過ぎないのかもしれない。  それでも、純香さんが来たことで何かが変わったのは事実だ。純香さんと一緒に居たいのに、彼女が出ていけば元通りになるんだと納得しそうになっている自分がいることが嫌だ。  ひゅううと冷たい風がわたしと純香さんの間を通り抜ける。急な寒さにわたしは体を小さく震わせた。 「それなら……」  わたしの唇が小刻みに震える。寒さのせいじゃない。怯えだ。この先の言葉を伝えることで、純香さんを困らせるであろうことは予測できた。それなのに、わたしの唇は止まらない。 「それなら、わたしも一緒に連れて行ってよ」  その言葉を聞いた純香さんは、何かで突き刺されたようにひどく傷ついた顔をした。言ってしまった。分かっていた。それなのに、初めて見た純香さんの顔に少し怖気づいた。 「どうしても、分かってくれないのね」  わたしがこくりと頷くと、純香さんは歪に口角を上げていやらしく笑った。 「……私、あなたのことがずっと嫌いだったの」
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