Ignorance is bliss.

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六年が経過し、啓介は十二歳になった。 ある日の下校中、交通事故に巻き込まれた啓介は頭を強打し院長の病院に搬送。懸命の治療が施されたのだが、脳死に至る。院長もその脳死判定を行い、苦渋の中脳死を認め、啓介はこのまま一生目覚めることはないと知り苦しんだ。 院長は隣県の病院に「右左心房劣栓」で余命幾許もない四歳の男の子がいると看護師から知らされ、決断を迫られた。 偽りの父としてはこのまま啓介の呼吸器を止めそのまま安らかに眠らせてやりたい。 院長、いや、医者としては啓介の心臓を消えゆく命の子に提供し命を繋げなければならない。 父としての自分と医者としての自分がせめぎ合う。迷えば迷っただけ命が失われていく。 院長は医者としての本分を全うすることにした。啓介と、子を奪ってしまった本当の両親に対する罪悪感に押し潰されそうになるが…… 私は医者でまだ救わねばならない命がある。院長は絞り出すような悲しい声でスタッフに指示を出した。 「啓介の…… 心臓の摘出をお願いします……」 兄、崇明の心臓は…… 弟、智明へと受け継がれた…… この事実を知る者は、この世に誰もいない。 院長も心臓を提供してくれた子の父親として、祐稀から感謝の手紙を受け取ったのだが…… それ以外の繋がりはない。臓器提供者の家族と移植を受けた人は、お互いに会うことも名前も住所も知ることは出来ない「きまり」があるからだ。 個人情報が伝わらないように書く手紙のために「六年前に息子が失踪した母親です」と言うことも書けない。院長がそれを知れば「六年前に子供を車ではねた」と言う事実から、啓介は崇明であったと気がつくだろう。しかし、それは「きまり」のために叶わない。 もう一度言おう…… この事実を知る者は、この世に誰もいない。
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