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祐稀だが…… 崇明の失踪以降、毎食陰膳を供えている。崇明が座っていた席に供えた陰膳を見るだけで涙が溢れてくる。泰明も「食事の度に泣くぐらいならやめたらどうだ」と厳しくも妻を案じ諭すが、逆効果で喧嘩になってしまう。
ある日のこと、祐稀はいつものように陰膳を供えていた。
「崇明ももう八歳か。いつまでもアニメキャラのお茶碗は使わないか……」
祐稀は明日からの陰膳の茶碗を幼児用から大人用のものに変えようと考えた。その瞬間、激しい吐き気が襲いかかってきた。胃液の苦さと涙に塗れる懐かしい感覚を覚えたのだ。
祐稀はまさかと思い、医者に駆け込んだ。診察した医者は祐稀に向かって満面の笑みを向けた。
「おめでとうございます。妊娠三ヶ月です」
「え? 子供…… 出来たんですか?」
「ええ、これからはあなたお一人の体じゃありません。健康の方、お気遣い下さい」
祐稀は病院から出ると蒼穹を仰ぎ、もう一つの命が宿る腹を優しく擦った。そして、同じ蒼穹の元にいるはずの兄に向かって優しく囁きかける。
「崇明、アンタ…… お兄ちゃんになったんだよ? どこにいるのかお母さんに教えてくれていいのにね? ねぇ?」
そして「智明」と名付けられた子が生まれた。産声を一切上げない静かな月夜を思わせる程に静寂に包まれた誕生であった。臍帯を切るも産声を一切上げない。医者が胸に手を当てても、鼓動は一切感じない。
「心停止! 心臓マッサージ! 早く!」
智明に心臓マッサージが施されてから数分後、軽く息が吐き出された。医者は安堵し、胸をほっと撫で下ろした。
「念の為、心臓の検査を」
智明の心臓の検査が行われることになった。検査の結果は非情なもの。医者は心痛しながら智明が「右左心房劣栓症」と言う心臓の病気であることを夫妻に伝える。
「え? うさしんぼう……?」
「右左心房劣栓です。簡単に言えば、右心房と左心房の機能が弱く、体全体への血の巡りが良くないと言うことになります」
「あの、体にどんな影響が……」
「体の成長が周りのお子さんに比べて遅れが出るかと思われます。心臓の機能も弱く、激しい運動は難しいかと思われます」
それを聞いた祐稀は「あたしの心臓の病気と同じじゃないか」と気が付き、泰明に「自分のせいだ、あたしの体のいけないところを受け継いでしまった」と、何度も何度も泣きじゃくりながら謝った。泰明は「君は悪くない」と慰めるが、その声は届かない。
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