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六年前の話をしよう…… 六年前のあの日、崇明は公園から道路に出たところを走ってきた車にはねられてしまった。車を運転していたのは隣県にある病院の院長である。
院長はぐたりと倒れた崇明を見て冷静さを失い、そのまま自分の車に崇明を乗せ、自らの病院に運び治療を施した。容態は倒れた際に頭を打った以外はかすり傷程度であった。
崇明は目を覚ました。院長は手を握り声をかける。
「大丈夫かい? ごめんね! ほんとうにごめんね!」
「……ん?」
「ああ、良かった! 気がついて本当に良かった! 君のお名前を教えてくれないか?」
「お名前、わかんない」
「え? それじゃあ、おとしはいくつ? ママの名前は? お家は?」
「ごめんね、わかんない」
この後は何を聞いても「分からない」尽くし。しかし、歩行走行や物の食べ方や字の読み書きなどの日常生活動作は可能の状態。意識もしっかりとしている。
院長は崇明に逆行性健忘(昔の記憶が思い出せない)と全健忘(発症より全ての記憶が思い出せない)が併発しており、全生活史健忘(いわゆる記憶喪失)を発症したものと診断した。
院長は頭を抱え激しく苦悩し後悔した。警察に自首することも考えたが、病院には院長自らが治療行為を施す難病患者がおり、自分が交通事故の罪で逮捕されれば難病患者の治療は不可能。難病患者を守るために、自分が最低だと自覚しつつも自首しない(出来ない)のであった。
院長は崇明を自らの病院の小児病棟に入院させ、監視をすることにした。全治後はそのまま崇明を自分の家で世話をする腹を決めた。
院長は妻に先立たれ一人暮らし、子も儲けておらず家で一人暮らし。地位も金もあるが家族の愛だけがない虚しい毎日を送っており、崇明を家に入れることは容易であった。
崇明は記憶喪失の身のために、名前が分からない。院長は仕方なく小児病棟に入院させていた時に使っていた偽名を本名にすることにした。
その名前は啓介(けいすけ)である。崇明は記憶喪失故に自分の名前が啓介であるとすぐに認識し、院長も「父親」と認識し慕うようになった。「母親」に関しても「幼い頃に亡くなった」と言う院長の嘘を何の疑いもせずに信じてしまう。学校も「特別養子縁組」を行い院長の養子として名を戸籍に刻まれているために問題なく通うことが出来た。
その間に「崇明ちゃん失踪事件」は全国報道され、公開捜査も行われた。院長は報道のピーク時には難病患者の治療に専念しており、ニュースも新聞も見ていないために「崇明ちゃん失踪事件」のことは全く知らない。崇明自身もまだニュースを見る歳ではなかったために自分が捜索対象になっていることは知るはずもない。報道がピークを過ぎる頃には「崇明ちゃん」の顔を覚えている者はほぼ皆無。啓介の顔を見て「似てるな……」と思う大病院のスタッフこそあれ、「偶然だな」と情報提供はせずにすぐに記憶から忘れ去られるのであった。
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