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 いつ開くのか分からないが、俺は毎日『乙女さん家』に寄らずにはいられなかった。今日こそは開いているのではないか、何か新しい事が書かれた張り紙になっていないかを確認する為でもあったけど、ただこの場所に来たかった。そう、俺はただこの場所に来たかったのだ。それくらい俺の中でこの場所、正確には乙女さんの存在は大きなものになっていた。  家族が恋しいなら母さんと頻繁に連絡をとったり、顔を見に戻ればいいと思うかもしれないが、それはそれで余計な心配をかけてしまいそうでできなかった。  そんな事を繰り返していたある日、シャッターが開いているではないか。  俺は柄にもなく小走りで『乙女さん家』に駆け寄って、小窓から見えた動く人影に声をかけた。 「乙女さんっ」  だけど、動く人影の正体は乙女さんじゃなくて若い大柄な男だった。  ――え? なん……で?  予想もしなかった人物に驚き固まる。  そしてある可能性に気づき、もしかしたら? と、身を乗り出し店内を見回してみてもやっぱり乙女さんの姿はなかった。  何かしら反応が欲しくて男の事を見つめた。俺よりも若いだろう男は驚いたように目を見開き俺の事をしばらく見つめていたが、すぐにハッとして俯き「いらっしゃいませ」と不機嫌そうに呟いた。  乙女さんの事をこの男に聞けば分かるかもしれない。だけど、訊く事はできなかった。なぜなら乙女さんとは違い、俺との間には男が作った分厚い壁のようなものを感じたからだ。拒絶されてしまえばそれ以上突っ込んで訊く事はできなかった。俺は他人の()()()な行いを苦手としていたから――。  俺はおにぎりをひとつだけ買うと無言でお金を払い、とぼとぼと会社へと向かった。 *****  会社では俺が再びおにぎりを持ってくるようになって、恋人とまたうまくやれていると安心したようだけど、俺の心はちっとも晴れなかった。  同じように見えてまったく違うおにぎり。俺の心は満たされない。  あれからも毎日『乙女さん家』に通ってはいるけれど、いるのはいつもあの男だけ。カモフラージュの為だけにあの店でおにぎりを買い続けている――。  そんな事が何日も続き、やっぱり乙女さんがどうなったのかあの男に訊く事にした。一度訊いてみて、もしも難色を示されたなら素直に引き下がろう。そう心に誓い、翌日思い切って男に声をかけてみた。 「あの……乙女さんは……」  男は突然声をかけられものすごく嫌そうな顔をしていたが、壁の向こうからぼそりとだけど答えてくれた。 「祖母は……今入院してます――」 「え? 乙女さん大丈夫なんですかっ? どこが悪いんですかっ?」  俺の剣幕に大きな身体をぴくりとさせ「大丈夫です」と、それっきり黙ってしまった。  これ以上教えるつもりはないようで、男はちらりともこちらを見ようとはしなかった。眉間に寄せられた皺にはっきりと拒絶の色が表れていた。  代金を会計皿の上に乗せ、俺はおにぎりも受け取るのも忘れとぼとぼと会社へと向かった――。
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