帰参

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帰参

 真田信幸……信濃の獅子と呼ばれた漢。豊臣秀頼率いる豊臣勢力の中で信濃の地で武勇を知らしめる武将である。 ●一六〇〇年  豊臣秀吉が一つにまとめた日本は、秀吉が亡くなった事で再び割れる。大老であった徳川家康と秀吉の嫡子・豊臣秀頼、実際は五奉行の一人であった石田三成とに割れた。俗にゆう関ヶ原の大戦だ。 九月二日  西軍こと石田三成に与する真田昌幸と真田幸村を降すために徳川秀忠隊は小諸城に入城する。案内役として真田信幸は同行していた。信幸にとって昌幸は実父、幸村は実弟だ。すぐに信幸は父に降伏するよう説得に出向く。 「ふう。息子に攻められては敵わんな。家中を纏める故、三日、いや二日待て」 「おお。父上、お分かり下されたか。分かり申した。二日待ちましょう」  信幸は心底安堵した。父・昌幸の力量は良く分かっている。一万程も兵を預ければ、倍ほどの兵でもってしてもたやすく打ち破れるものではない。ともあれ秀忠様に、しばしお待ちいただこうと思っていた。  しかし、二日後の九月四日になっても昌幸からなんの返答もない。普通ならば降伏する昌幸の方から使者が出向くはずであるが、何らかの面子を気にしておるやもしれぬ。そう考えた信幸は仕方がないので、再び昌幸の元へ出向いた。 「父上。約束の期日となりましたぞ。まだ家中は纏まりませぬか。我らものんびりしておれませんので、まずはご開城を」  するとにこやかに笑いながら昌幸が、 「息子殿。家中は纏まり申した。すでに幸村は戸石城に入ったわ。時間をいただき忝い。さあ、いつでも攻めてこられよ」 と言い放ったのだ。  戸石城は上田城から北東に位置する上田城の付け城だ。付け城に兵を入れたと言う事は上田城を明け渡す意思がないと言う事である。 「な、なんと! 」  信幸は昌幸に騙されたのだ。しかし、こうなれば説得は無理だ。  結局、三万八千を擁する秀忠軍は、僅か五千の真田勢に翻弄され、関ヶ原の大戦に間に合わず大失態となったのであった。 「真田めっ! あいつらのせいで儂は大恥をかいたわ! 面目丸つぶれじゃ!」  関ヶ原に遅参し、家康に大叱責された秀忠の怒りは真田家に向くのは当然であろう。信幸は本多忠勝の覚えが良く、徳川に参じているとはいえ、真田一族である。当然、秀忠は信幸にきつく当たる。忠勝や忠勝の息子・忠正が取りなすが、秀忠は信幸と口をきこうともしなかった。  徳川への忠誠を示そうと父・昌幸の一字が入った名を信之と変えたが、秀忠の態度は相変わらず酷いものだ。それでも致し方のない事と実直に政務に励む。 ●一六〇三年  真田信之の本領は上野国吾妻郡・沼田領三万石、加えて家康から約束されていた信濃上田領九万五千石の合わせて十二万五千石の大名である。  相変わらず徳川秀忠の信之への風当たりは強い。信之は秀忠が家康の後を継いだならば、難癖を付けられ改易させられる危惧を抱くようになっていた。 「殿、前田慶次郎様がお見えになっております」 「利益殿が? お通しせよ」  前田慶次郎が訪ねて来たという。慶次郎とは織田信長が存命中の頃から見知った仲である。信之は豪放磊落な慶次郎の生き方を羨ましく、敬意を抱いて見ていた。 「よお。信之殿!お元気か?」 「ははは。この通りでござる。利益殿は今も上杉殿の所ですか?」 「さよう。ただ飯喰らいでござる」 「ふふふ。まあ、こちらへお掛けなされよ」  ようやく慶次郎は席に着いた。 「で? こたびはどうなされた?」  信之は慶次郎に何用できたのか尋ねたのだ。 「うん。調略に参った」 「は? 調略に? ち、ちょっと待たれよ」  信之はすぐに近侍の者を呼び、 「儂と利益殿は将棋をするのだ。奥の間に行くので邪魔はせぬようにな。集中が途切れるのでな」  と奥の間に誘った。  『調略』という不穏な言葉に、人に知られてはいけない気がして、人を遠ざける。瞬時に状況を見るところが秀でている信之らしい。  奥まった信之が書を読むための間に着くと、すぐに問う。 「調略ですと?」 「さよう! 信之殿、豊臣に帰参されよ」 「ははは。なんです? 突然に」 「ははは、確かに突然じゃが、そう言う事じゃ」 (利益殿は何を言っておるのだ? 先程、利益殿は上杉の食客であると確かめた。調略ということは?上杉殿は徳川に謀反をと言う事なのか?) 「ふむ。まずは一から聞かせて下され。利益殿はどなたの意で参られた?」 「上杉景勝殿」  予想通りだ。 「なるほど。で某を調略に参ったと……。で? 儂は上杉殿に与せよと?」 「いいや。豊臣じゃ」 「あっ! 豊臣!? どう言う事でござろう? 大阪の秀頼様の?」 「そうらしい」 「らしい? よく分かりませぬな」 「つまりじゃ。景勝殿は故・猿殿下の命で動いておるそうだ。前田利長、そなたの父・真田昌幸殿も猿殿下が亡くなる前に呼ばれておったようじゃ。で、今、九度山の真田昌幸殿、幸村殿、上杉家から直江兼続殿、前田利長が大阪城へ集う」  慶次郎の言葉に目を見開いて驚き、立ち上がると部屋の襖を開けて、隣にも誰もいない事を確かめた。そして、改めて座り直す。 「初めからそのように順を追って話して下され。ようやく話が見えてきましたぞ」  信之の声は先ほどより随分と小さい。人気のないことを確認したのだが、声を潜めたのだ。 「そうか。おっと、忘れておった。これが直江兼続殿からの書状だ」  そう言って懐から書状を引きだし、手渡す。 「儂は調略などした事がないゆえ、勝手が分からぬ」  頭を掻いて、幾分拗ねたような表情の慶次郎だ。  兼続の書状には秀吉の死後、世が乱れる事を秀吉が見越していた事。それを纏め、正しい方向へ導くよう前田利長、真田昌幸、直江兼続を呼び、後事を託した事。今頃は九度山から真田昌幸、幸村は抜けだし大阪へ向かっている事。兼続や利長も大阪へ集う事などが書かれてあった。 「ふむ。話は分かりました。……なれば某も大阪へ参れと言う事でござるか?」  難しい顔で信之が言う。当然である。信之の本領は沼田と上田だ。どちらも大阪から遠く、間には徳川領が阻んでいる。大阪へ出向いている間に本領は取りあげられて無くなる。無理な話だ。 「いや。兼続殿はこう申しておった。沼田は引き揚げて上田に戻り、固く守って下されと」 「ん!?」 (なるほど。上田は家康公、秀忠殿と二度も攻められながら守りとおした地。さらに真田である儂が戻れば徳川にとっては忌わしい記憶が再び……と言うことか。  確かに我が真田家は秀忠の世とならば改易される可能性が高い。儂は儂なりに徳川に忠誠を誓ってきたのだがな。  じゃが、ここで翻意を示して我が名分は立つか?)  急に黙した信之をじっと見ていた慶次郎が口を開いた。 「信之殿は義によって徳川に与した。そして働き申した。すでに十分でござろう。真田の家は古くから大家に押されながら気張ってこられた。武田、北条、織田、豊臣そして徳川。……儂は徳川は好かぬ。かといって豊臣が好きと言う訳ではない。だが両者を比べれば豊臣だな」 「慶次郎殿は家を持たぬゆえ気楽でござるな。好き嫌いでは決められませぬ」 「なるほど、儂は気楽よ。では聞く。徳川にあって真田の家は残るか? 」 「ふふふ。危ういですなぁ。だが、豊臣に帰参したとしても危うい。むしろ家が無くなる時期がはようなる気がしますな」  信之の言う通りに徳川にいて改易されるまでは時間があるだろう。少なくとも秀忠に実権が移るまでは大丈夫ではなかろうか。一方、豊臣に帰参すればすぐにでも徳川に攻められてしまうかもしれないのだ。傍から見ると今の豊臣家はいわば風前の灯のような物だ。 「ならば、いずれは無くなる家名。では名を残すのはどちらに与した時じゃ? 」 「ん? 名を?」  改めて信之は考える。慶次郎の話と兼続の書状から徳川と豊臣は再び戦となりそうだ。 (徳川にいて、戦で功を上げられまい。おそらくは秀忠付となるだろう。秀忠であれば、儂は留守居させられるか、どこかの援軍がいいところか。  豊臣に帰参すれば上田の周りは敵だらけ、功は上げ放題か。小諸、飯山、松本、諏訪……十分に勝機はあるな。まあ、それも徳川が本気で真田を潰そうとするまでだろうがな。  ふふふ、というか既に我の腹は決まっているか。秀忠の顔色を伺うことなく羽を伸ばす。……決まりだな) 「慶次郎殿。分かり申した。さすればひと月後に上田に籠りまする」  こうして真田信之は豊臣家に帰参し、名を信幸に戻したのであった。
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