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超常現象かもしれない
玄関ドアを開けると、存在感を放つ地下足袋が脱ぎ捨てられていた。
む、これは。
快適だという理由で、畑仕事だけではなく、買い物でもどこでも地下足袋で行ってしまう、オオばばのものではないか。
「ただいま~」
家に上がると案の定、台所から、母と祖母の声が聞こえてくる。
「うっうっ」
……泣き声?
「まあ、そんなに悩むこともないわよ」
え、お母さんが慰めている?!
隣に住んでいるオオババは、しょっちゅう娘である母のところに遊びに来るのだが、かなりの確率でもめ事になるのだ。
なにしろ、子供から見ても似た者同士。
譲ることを知らない自己主張の強いふたりが、ケンカにならないはずがない。
だというのに、今日はなんともしんみりした空気が伝わってくる。
というか、母親は人を慰めることができたのか!
「そんなこともあるんじゃない?」
たまには娘らしいことも言うんだなぁと思いながら、台所のドアを開けて、顔をのぞかせた。
「ただいま。おばあちゃん、いらっしゃい」
「ああ、おかえり。……うっ……」
一瞬顔を上げた祖母が、すぐに手ぬぐいを目に当ててうつむいてしまう。
「おばあちゃん、どうしたの?……あ」
「どうもなあ、体の調子が悪くてさ」
泣いている祖母よりも、その前に置かれたショートケーキに目が奪われてしまったのは、子供だから許してもらいたい。
だって、それはゆうべ「もう夜遅いから、あんたは明日にしなさい」と言われて食べさせてもらえなかった、私のケーキだったんだから。
「ああ、これ?」
母がこっちの視線に気づいたようだ。
「今朝からご飯が食べられないって言うから、ケーキなら食べられるんじゃないかと思って」
「そ、うなんだ……」
それは私のおやつだよと、具合の悪い人を前に言えるわけもない。
でも、学校から帰ってくる道中、ずっと楽しみにしていたのに!
おやつはショートケーキだって!
だが、具合が悪いなら、ケーキも食べられないかもしれない。
わずかな望みを胸に、祖母に声をかけた。
「おばあちゃん、食欲ないんだ。そういうときは、無理して食べなくてもいいって、お母さんも言ってたよ、ね?」
ここで同意を求めて母を見たが、知らんぷりをされてしまった。
孤軍奮闘!危うし、おやつ!
「病院は行った?ちゃんとお薬もらって、長生きしてね、おばあちゃん」
守れケーキ!「情に訴える作戦」発動!
我ながら、姑息な小学3年生だったとも思うけれど。
「ありがとなぁ~」
祖母はオイオイと泣き始めた。
「優しい孫で嬉しいよ。ありがと、ありがとなぁ~」
ごしごしと目元を拭う祖母に、作戦成功か!と思ったのは、ぬか喜びというやつ。
ランドセルをしょったままの私の前で、手拭いをテーブルに置いた祖母はフォークを手に取って、ざっくりとショートケーキに突き立てた。
「!!」
「もぐもぐ。孫がそう言ってくれるなら、長生きしないとなぁ。もぐもぐ」
ザック、ザック。
3回ほどフォークが入れられたショートケーキは、きれいさっぱり、祖母のおなかの中へと消えていった。
「おばあちゃん、ケーキ食べられるじゃん……」
食欲がないって話はどこへ?
ショートケーキの甘さではなく、人生のほろ苦さを味わう小学生がここにいますよ。
「食べられたなあ。朝は、ご飯一杯しか食べられなかったんだけどなぁ」
なんですとっ?!
「ご、ご飯、食べたの?」
食欲がないって話はっ?!
「いつもは3杯食べられるのに、最近じゃ1杯しか食べられないんだよ」
悲し気な顔をしてるけど、祖母が手で示しているお茶碗らしき形は、軽く丼だ。
それって十分すぎやしませんか。
そして、私のショートケーキを返してほしい。
「よかったわねぇ。あんたがおばあちゃんにショートケーキあげたから、おばあちゃん、すっかり元気になって。じゃあ、あたしもお茶にしようかな」
あれ?あれあれあれ?
「お母さん、ケーキ……」
「うん。あたしも、ゆうべは食べなかったのよ」
……ショートケーキ、二個あったんじゃん。
「え、おばあちゃん、おばちゃんのケーキをオオばばにあげちゃったの?」
「そーだよ。ケーキに名前が書いてあったわけじゃないのにな」
「文句言った?」
「言うわけないじゃん。自然現象に文句は言いません」
「そういうの、悟ってるって言うんでしょ」
おお、相変わらず頭がよさそうな言葉を知っているな、姪っ子よ。
「母や祖母に取られたと思えば腹も立ちますが、お稲荷様の親子にお供えしたとでも思えば、諦めもつくというものだよ」
「自然現象だったのに、オカルトっぽくなってるよ!」
「ある意味、オカルト現象だったよ。だからさ、お稲荷さまに雪だるまを壊されるなんて、姪っ子ちゃんも、レアな体験したって思っとこ」
「そうだね」
祖母に壊されたのなら、「なぜ」となじりたくもなる。
けれど、言葉の通じない台風や獣や人外のしでかした結果ならば、諦めて笑うしかないのだ。
それはもう、超常現象みたいなものなのだから。
人知の及ばないものだから。
「おばあちゃんもアレだけど、オオばばもすごかったぞ。オオばば伝説、もっと聞きたい?」
「聞きたい、聞きたい!」
「オオばば、ヒヨドリ汁物にしろ伝説」、「オオばば、コッカースパニエルに生ブロッコリー食べられる伝説」を話せば、息が止まる勢いで姪っ子が笑っている。
キャラキャラ笑っているがな、姪っ子よ。
実は、君もその血を引いているのだ。
伝説を量産しないように、お互い気をつけて生きていこう。
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