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「あげる」は危険行為
超常現象的な人物であっても、行動範囲はさほど広くない。
だから、台風並みの威力があっても、被害はごく限定的であることは、社会的には大変喜ばしいことだ。
しかし!
そのピンポイント攻撃を受けた者にとっては、激甚災害となることが多い。
「ちょ、今、なんとおっしゃいましたかね」
例によって、些細な、もといつまらない改めちっぽけな用事で呼び出された私は、さすがに「諦める」を発動できずに母を問いただした。
「え、あんたをお嫁にあげようかって、ゆっこちゃんに言ったんだけど」
今度こそ、最大フォントでお願いします。
「はい?!」
知らんがなの母の幼馴染、ゆっこちゃん。
名前は聞くが、どのような方なのか、そもそも実在するかどうかも謎の人物だ。
そんな方の家に。
「あげようかって、私をですか?!」
「ほかに誰がいるのよ」
「いませんねっ」
既婚者の姉では重婚になってしまうし、小学生の姪っ子では幼女婚。
どちらも犯罪だ。
しかし、だからといって。
「ゆっこちゃんとこ、長男さんがまだ独身なんですって。出張が多いらしいから、いいんじゃない?あんまり家にいなくて」
家にいなくて嬉しい人と、なぜ結婚せにゃあかんのだ。
「あとね、角のおじさんの」
お久しぶりですね、「角のおじさん」。
その節はご迷惑をおかけしました。
なんでも母が、「あのミカン、まずかったわ」と報告したらしいですね、ごめんなさい。
何度も何度も、「食べられない」とレクチャーしてくださったのに。
「奥さんと死に別れた弟さんが」
「……え、それも私を”あげる”話?」
「そうよ?だって、先立たれた男の人って、かわいそうなのよ?」
娘はかわいそうじゃないんかい。
「参考までに、その方おいくつ?」
「えっと、還暦を」
おーい!
おいおいおいおい。
心の中で大号泣。
「角のおじさん、ちゃんと食べられるミカンも植えてるって言うから」
娘を差し出しても食べたいのかっ。「角のおじさん」のミカンを!
ミカンくらい買ってあげるよ、いくらでも!
「まあ、さすがにないかなって思って言わなかったけど。そんなことしなくても、くれるみたいだし」
危うし、我が人生。
娘<ミカン。
ネコの子だって、もうちょっと慎重に里親先を探すのではないだろうか。
娘<子ネコ。
……ちょっと低すぎない?娘の地位。
人に何かをあげることが、大好きな母である。
その物品に含まれるこっちの身としては、たまったものではないが、あくまで母は「イイこと」をしているつもりなのだ。
だから、食欲が落ちた(”食欲がある”基準が、どんぶり飯三杯であるところに疑問が残るが)祖母に、私のケーキをあげることなど、当然なのだろう。
その「あげたい」マインドは家族にも発揮されるのだが、そこには危険がいっぱい。
なにしろ激マズのマーマレードや、正体不明の樹木なこともあるのだから。
そして、もっと危険なものは……。
「これ、あたしには派手になっちゃったから、あんたにあげるわ」
いや、母よ。
ピンクのグラデーションのスパンコールTシャツは、誰にとっても派手だと思う。
「んん?ん~。……ちょっと、通勤には着ていけないかな」
「どっか出かけるでしょ、あんただって」
スパンコールのウサギTシャツでですか?
いや、ないない。
「こ、こんなキラキラした服を着て行くようなところは、ないかなぁ~」
「つまんない生活してるわね」
林家ぺー、パー子師匠しか着ないようなドピンクの服は、そりゃいろんな意味で楽しいでしょうけれども。
「お友達と食事とか行かないの?こんくらいの服着て出かけるくらいの生活、しなさいよ」
したくない。
全然したくない。
けれど、押し問答の末に押しつけられてしまったのは、毎度のことだ。
こんなふうに、年末紅白歌合戦の美川憲一さんかな?と思うような趣味をしている母からもらって、一度も袖を通さない服はけっこうある。
そして、いくらなんでもこれはないだろうと思った、「ブランド品だけど、微妙なアズキ色に全面小花柄のブラウス」を古布として資源ごみに出したことで、事件は起こった!
お約束となった些細でつまらない、ちょっとした用事で呼び出された私は、帰り際、衝撃の告白を受けた。
「ねえ、あんたにあげた、あのブランドのブラウスあるでしょ?あれ、返してくれない?」
「あるでしょ」で止められなくてよかった。「ああ、もらったね」と答えるところだった。
うっかり誘導されていたら「捨てた」と崖際で自白して、逮捕される前に、突き落とされるところだった。
しかし、「返して」とは何事か!
一度「あげるわ」と言われたのなら、所有権も移ったと思うのが普通ではないか!
「貸して」ではなく、「返して」。
そうか、貸与だったのか。
ならば、捨てちゃダメだった!
「そ、そんなのあったっけ。……それが、どうしたの?」
若干、声が震えていたかもしれない。
「今度、町内会のバス旅行があるんだけど、着ていこうと思って。今の季節にぴったりじゃない?」
微妙なアズキ色のブラウスが似合う季節とは、いつだろうか。
なんて考えるくらい、ちょっと現実逃避をしてしまった。
だって、ブツはもうないんだから。
なんという恐ろしいことでしょう。
どう答えるのが正解でしょうか。
「あ~。……そういえば、お母さんが着てるのを見たことあるけど、もらってなんかないよ」
「あげるわ」と言われたのは、確か一年以上前だ。
母の記憶の不確かさに頼ろう作戦、発動!
「あげたわよ」
「もらってない」
「あげた」
「もらってない。うちにないもの」
うちにないのは、本当。
「そ、う、だったかしら」
いいぞ、自信が揺らいでいるな。
「衣装ケースにないなら、クローゼットの引き出しは?」
「そ、う、ねぇ。探してみる」
そして、しばらく「返せ」「もらってない」の攻防は続いたのであるが。
「あげたと思うけど、じゃあ、いいわ。新しい服買うから」
「そうしなよ!流行りの服のほうがいいよ、絶対!」
という会話を経て、まんざらでもない母が、新たな「美川憲一ふうワンピース」を購入することによって、決着はついたのであった。
めでたし、めでたし。
あとは、あのシックなダークブラウンの地に細かい刺繍とビーズが縫い込まれたワンピースを、「あげるわ」と言われませんようにと、祈るばかりだ。
しかし、どうして母の選ぶ服には、スパンコールやビーズがつきものなんだろう。
そんなにキラキラしたいのだろうか。
もしかしたら、前世はカラスだったのかもしれない。
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