43:夢のつづき

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43:夢のつづき

 少しの間だけ、本筋から話が逸れてしまうことをお許しいただきたい。  ヨーコちゃんが僕に聞かせた物語というのは、彼女の父親である渡辺京(わたなべきょう)さんが音響スタッフを務めるバンド、DAWN HAMMERについてだった。  2017年4月、満を持してアメリカ進出を果たした不世出のジャパニーズデスメタルバンド、『ドーンハンマー』。彼らの奏でる音はあまりにも大きく、その歌声はあまりにもうるさい。決して万人受けする音楽ではないけれど、この日本のみならず、今や世界中のメタルキッズを虜にしているという事実は海を越えて度々僕の耳にも届いていた。  アメリカ行きとともにリリースされた、彼らの目下の最新アルバム『NAMELESS RED』は喝采を持ってメタルシーンに受け入れられ、日本人が活動拠点を海外に移すと同時に発売した一発目の音源が僅か二ヶ月でゴールドディスクを獲得する、というとんでもない快挙を成し遂げた。  そして今年に入り、2018年夏。彼らは昨年から続いてた全米ツアーの最終日を迎えたその日、アルバム次回作の発売スケジュールをステージ上で発表し、その作品に収録予定の先行シングル曲を初披露した。 「パパがね、出張であっちのステージセットを手伝いに行ったんです。そういうのはこれまでも何回かあったんだけど、最終日程ってこともあってかなり大きなステージが用意されてて、その規模にまずびっくりしたって言ってました。野外ステージで、何人って言ったかな、キャパがね、正確なのは分かんないけど数万人規模だったって。日本じゃないんですよ、アメリカのツアーで数万人。もちろん一緒に回ってくれてる他のバンドもいるけど、ヘッドライナーだし、ドーンハンマーの為に用意された会場だったのは間違いなくて。でね、パパも向こうのクルーに混じって頑張ってセッティングして、ステージ脇の一番いい場所でライブを見ることが出来たんですって。久しぶりだったのもあって感動しっ放しで、もう速効泣いちゃって、メンバーに大笑いされて。……ライブの後半になって、竜二さん(ボーカル)がMCで話し始めて。もちろん全部英語ですよ」  ――― 日が暮れて来たな。もうすぐ夜だ。最後まで残ってくれてありがとう。君たちがこの後どうやって家路につくのかを想像すると、なんだか心配になってくるよ。見てみろよ、あっちの空からほら、夜が来る。……約一年続いた初めての全米ツアーが今日で終わる。このツアーが大成功だったかどうかは、見に来てくれた君たち一人一人が答えを出してほしい。俺たちはこのステージの上で、今俺たちが持ってるものを全て出し尽くした。だけど分からないんだ。もうヘロヘロでまともに何も考えられない。だから聞かせて欲しい。君たちはこれで満足したか? 「……て、そうやって言ったんですって。パパ、もう何だよこいつらって。やっぱりすごいんだな、って改めて感動したって。どこに行っても、どこにいても、変わらない強さと変わらない自信、変わらない格好良さを持ってるって。ごめんなさい、何か私も感動してきちゃった、仕事中なのに、早く戻んなきゃいけないのに。……でも、多分確信犯だったんだろうなってパパは言ってました。どれだけ大盛り上がりで、どれだけ汗水飛ばして燃え尽きちゃっても、彼らを愛してそこに集まった人たちは皆、満足したかと聞かれてイエスとは言わない。竜二さんたちは全員それが分かってた筈だって。  ――― 君たちはどこから来たんだ。何故来たんだ。この場所へ辿り着くまでにどんな出来事があった? 俺は君たちの声が聞きたい。噓じゃないぜ。興味があるんだ。どうしてこんなに、こんなにたくさんのクレイジーな連中がここに集まってるんだろうって。俺は目が良いからね。君たちの顔はよく見える。だから、夜が来る前に、君たちの顔が見えなくなる前に、もっともっとたくさんの声を聞きたいんだ。君たちの答えを教えてくれよ。家に帰ってインターネットで書き込むなんてのはやめてくれ。今ここで聞かせてくれ。……本当はもう、叫び疲れたろ? 腕が上がらず辛いだろ? 早く帰りたりか?(NO!) 今日はもうこれで終わっていいか?(NO!!) そうさ、答えはノーだ。そうだろ? 「この間逆輸入でようやく日本でも発売になったばかりの新曲をプレイした瞬間、パパ、物凄いものを見たって言ってました。アメリカにいるドーンハンマーのファンって八割が男性で、その約六割が三十代から四十代なんだって。過半数以上がドーンハンマーと同世代の大人の男性。そんなファンの人たちが、イントロが鳴り響いて竜二さんがタイトルコールした瞬間一斉に、全身を戦慄かせて大泣きしながら言葉にならない叫び声を上げていたんだって……」  ―――『Bringin back on teenage deathroad』 !!! 「ブリンギンバックオンティーンネイジデスロード……あの日の地獄を取り戻そう。向こうの人たちはそれがだって、新曲のタイトルか何なのかさえ分かんない筈なのに、涙を流して、ウォー! ウォー!って叫んでる向こうのファンを見た時に、それが数万の波音になってステージ上まで届いた時に、パパは、人間本気で生きてりゃ本当にこんな奇跡を起こせんだなって、そう思ったって言ってました」  後に聞いた話では、そのステージが行われた段階では新曲のタイトルは決まっていなかった。ボーカルの池脇竜二さん曰く、その日一緒になって拳を振り上げてる皆の顔を見ている内に、 「ぐわっと。うん。ぐわっと!」  浮かび上がって来たセンテンスだったそうだ。彼らは昔から自分たちの曲にを持たせないという流儀を貫いて来た。物語としては支離滅裂で、散文詩のようでもあり、深淵なる人間性の問い掛けにも感じ取れる歌詞について、だが本人たちはいたって大真面目に、 「俺たちの曲に意味なんてねえ」  そう言い続けて来た。そんなバンドが叫んだ、 「あの日の地獄を取り戻そう」  という言葉は、今を生きる多くの人々の心に突き刺さった。    ――― 疲れたろ。  辛いだろ。  でもやるんだよ。  俺たちはそうやってここに辿り着いた。  お前らはもう満足か。  振り返れ。  そしてもう一度前を見ろ。  どうだ、満足か。  あの日のお前らはこんなもんで満足できんのか。  違うだろ。  さあ、ここからだ。  楽しもうか。 「だから新開さん。早くCD聞いてくださいね!」  ヨーコちゃんは最後にそう付け加えて仕事に戻って行った。彼女は本当は、僕がCDを未聴だったことにひとつも腹を立ててなどいなかったし、バンドの家族として、ファンとして、最高の音楽を僕に勧めてくれたに過ぎない。  僕は正直に言って自分が恥ずかしかったし、情けなかった。むろんそれはCDを聞いていないことが理由なんじゃなくて、自分自身の生き方についてだった。遠く海の向こう側まで行ってしまった友人たちに、今また頭をぶん殴られた気がしたのだ。そして同時に、僕を叱り飛ばしてくれた柊木さんや土井代表の言葉までもが思い出され、 「新開さん、あなた何やってるんですか?」 「君はいつからそんな風に一人きりで歩くようになっていたんだ?」  猛烈に自分が恥ずかしかった。  僕一人で出来ることなんて何ひとつだってありはしないのに。  ――― やるのはいい。そんなのは全然かまわない……。 「馬鹿なのか僕は。僕は、死んでもいいと考えていたのか?成留を残して?先輩を残して?」  危うく涙が出る所だった。  ということは。  その答えを彼らから教わった。それなのに、僕は無謀な計画を一人で遂行することに悦に浸っているだけだった。確実な成果を上げてこの先も生き抜くためには、決して諦めないことが大切なんだと分かっていた筈なのに。 「ヨーコちゃん!」  僕の上げた声に、ヨーコちゃんのみならず他のお客さんまでもが一斉に振り向いた。「電話を一本、かけてもいいでしょうか!」 「え?」  ヨーコちゃんはカウンターの向こうで目を丸くして、どうぞ、と答えた。僕が何を言い出したのか、何を考えているのか分からない様子だった。申し訳ないことをした。だが僕は本当は、彼女にありがとうと言いたかったのだ。 「ヨーコちゃん。たった今、決心がつきました!」  ヨーコちゃんはトレーを胸に抱いて身を低く屈めながら僕の側へ戻ってくると、大きな声を出さないで下さい、と泣きそうな顔で言った。だが、ヨーコちゃんよりも早い段階で、もう僕は泣いてしまっていた。 「ヨーコちゃん、今日、必ずCD聴きますね」 「は、はい」 「ありがとう」 「新開さん……大丈夫ですか?」 「大丈夫です」 「良い感じですか?」 「はい」 「本当に良い感じですか?」 「大分と良い感じです」 「なら、私も良い感じです」  僕の中から迷いは消えた。  そしてその場で電話をかけ、と話をした。  ずっと、そうすべきではないのだろうと自分を戒めて来た。だがを頼るなら、もう、今しかないと思ったのだ。 「なぜあんなことになってしまったのか、それは、私にも分かりません」  北城省吾はそう証言し、柊木夜行によって手錠を嵌められた段になってようやくその場に崩れ落ちた。カチャリと軽い音が手首を一周する瞬間が訪れるまで、北城くんは自分が犯した罪の意味を理解出来ていなかった。  その夜、青南さんとの打ち合わせを済ませた北城くんは、矢沢誠二さんが自宅から持ち出す着替えを鞄に詰めるのを手伝っていた。なるべく雰囲気が昏くならないよう世間話も交えながら、と同時にすぐに準備が終わってしまわぬよう時間稼ぎもしながら、その時を今か今かと待ちわびていた。  青南さんは同時刻、数日振りに玄関前の廊下から場所を映してリビングのソファに座り直し、やがて来るその瞬間に備えて感覚を研ぎ澄ませていたそうだ。目を閉じ、呼吸を整え、聴覚と直感を部屋の外に置いてアンテナを張り巡らせた。だがその霊能者特有の索敵行為が、灯台下暗し、すぐ隣の部屋にいた北城くんと矢沢さんの異変に気付くことを妨げたのだ。  計画では、訪ねて来る女の気配を感知しても、それをそのまま矢沢さんには伝えない方針だった。ギリギリまで引き付けて女を捕獲する、そしてストーカー行為の真意を確認した後、警察に引き渡す。相手が強い霊能を備えた特別な人種であったとしても、ここ数日の駆け引きを経験した青南さんには自信しかなかった。ましてや今は側に北城省吾もいる。確かに、依頼人である矢沢さんに黙ったまま決行するという一点にのみ不安要素はあった。人は突然どんな行動に出るか分からない。思いもよらぬ咄嗟の動きが、致命的な危険を招くことだって十分にあり得る。だが不安要素も織り込み済みで、それでも青南さんには自信があった。懸念するとすれば確保後、訪ねて来る女とまともな会話が成立するだろうか、という部分だけだった。あの女が持つ異常なまでの執着心は、一般人の精神的タフネスを遥に越えていると感じたし、何なら、言葉の代わりに超攻撃的手段で暴れ狂うという可能性もある。  青南さんは携帯電話を傍らに置いて、すぐにマンション周辺で警邏中の警察官を呼べるようにセッティングを済ませた。あとは、いつも通り女が訪ねて来るのを待つばかりだった。 「曽我部。冷蔵に残ってる食料も少し持って行こうと思うんだけどね、君が自分で購入してまだ食べてないものとか残ってない?」  北城くんがそう言いながら、隣の部屋から廊下へ出て来た。手には矢沢さんの着替えが入った黒のボストンバッグを持っている。 「あるわけがありませんわ。何故、ひと様の冷蔵庫に私が自分の食べ物を入れるとお考えなの?」  青南さんが目を開けた、その瞬間だった。  バキ!  という音が聞こえたそうだ。  青南さんは目を丸くさせ、北城くんは素早い瞬きを繰り返して二人は見つめ合った。二人ともが同じ音を聞いた。だがそれが何の音であるかは分からなかった。そこへ、矢沢さんが部屋から出て来た。彼もまた手には色違いのボストンバッグを持っており、廊下に出た所でリビングの青南さんを見やって、 「……え」  そう驚きの声を発してバッグを落とした。  ドン、という重たいバッグの落ちる音に続き、  バキャ!  先程とよく似た音が聞こえた。  北城くんの身体が傾き、 「?」  北城くんはぐっと力を込めて踏ん張った。「……い!」  矢沢さんが廊下に尻もちをつき、そして大声で悲鳴を上げた。  北城くんはそんな矢沢さんを見下ろし、そしてソファに腰かけたままの青南さんを見つめた。 「曽我部……きみ……腕」  そして、 「北城さん……あなた、足が」  青南さんはそう答えた。 「う、うあ!うわあああ!」  矢沢さんは叫び続けた。  北城くんから見た青南さんは、左腕の肘が逆側に折り畳まれていた。そして青南さんから見た北城くんは、右膝から下が90度の角度で前に突き出していた。先程聞こえた音は、両者の骨がへし折れた音だったのだ。 「ぐう、ぐおお!」  だが北城くんは膝を押さえ、「うううう!」、気でも狂ったのか、なんと自分の手で反対方向へという。ガタイの良い彼の膂力だから出来た行為だろう、だがそれでも並大抵の我慢強さじゃない。 「くううう!」  そして青南さんも同様、手は使わずに己の霊力だけで折られた左腕を元に戻した。二人は滝のように流れる脂汗を滴らせながら見つめ合った。 「」  訪ねて来る女はいつの間にか、矢沢誠二さん宅の玄関前までやって来ていた、という。気配は一切感じなかった。骨を折り畳まれるまでは。 「矢沢さん、部屋に戻って!」  北城くんは咄嗟に計画を変更しようとした。彼らが今までいた部屋よりも、当初計画していた避難場所であるトイレの方が玄関に近い。このままトイレに逃げ込ませるには不安要素が多すぎたのだ。だが、 「いけません!計画通りに!」  青南さんが口走ってしまった。 「な、何だよ計画って……あんたらまさか」  矢沢さんが気付いてしまった。  二人が黙って女を誘き寄せようとしたことに、感付いてしまったのだ。だが、女の出現は北城くんたちが描いていた計画を何段階もすっ飛ばしていた。突然部屋の真ん前に現れるなど思いもよらず、実際ここまで近くに接近を許したことは、青南さんが現場入りして以降なかったことなのだ。 「いけませんわ」  と、青南さんが言った。 「何だ」  と北城くんが聞いた。 「彼女、相当怒っているようですわ。ああ、この私が……あれ程までに怒らせてしまった原因なのでしょうねえ」  そう言って、曽我部青南は微笑んだそうである。
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