8:教団教祖失踪事件

1/1
前へ
/109ページ
次へ

8:教団教祖失踪事件

   信夫と別れてすぐ、柊木さんと落ち合った。場所はコンビニの駐車場。お互いの現場へと移動を開始する前の、僅かな時間の合間を利用した。  柊木さんは僕と同じ年齢だが、新米の頃から足を使って現場を走り回っている為か、実年齢よりも見た目が若く健康的である。妻から老けたねと揶揄われる僕と居並ぶと、彼女の方が五つも六つも年下に見えてしまう。やや赤みがかった茶色い髪、昔から変わらないショートヘア、皺ひとつない上品なスーツ。坂東イズムを受け継いだ公安スタイルを今でも崩さないその立ち姿だけを見れば、とても現役の拝み屋だとは思えない。 「新開さん、本当にバナナだけで良かったですか?」 「すみませんわざわざ僕の分まで」 「ついでですから。あ、ミルクも」  柊木さんがF区の小売店従業員から得た情報によれば、ひと月程前に突然大鎌崇宣教の信徒が店を訪れ、チラシの掲示に協力してもらえないかとの申し出を受けたとの事だった。証言によると、地元住民のほとんどが、情報提供を呼び掛けるこのカラーチラシによって大鎌相鉄氏の失踪を知ったのではないか、という。相鉄氏は教団の代表でありながら運営を家族に一任している為、ここ数年表に顔を出す機会が極端に減っていたそうだ。 「表……というと、 教団内部の行事関係という意味ですか?」  問うと、 「それもあります」  と柊木さんは眉根を寄せた。「大鎌一族が本体から独立して以降の話になりますが、どうやら地域密着型の宗教法人として地元住民に親しまれていたようです。私も今回初めて知ったんですが、彼ら、保育園を持ってます。F区第5保育園、というそうです」 「ああ、なるほど」  宗教法人が保育園を運営する事自体は特に珍しい話ではない。柊木さんが先程使った「表」という言葉の意味はどうやら、教団内ではなくその保育園を表しているらしかった。 「園長が大鎌姓です。行事にも必ず列席していますし、運動会や音楽発表会などの式には大鎌家の誰かが挨拶をするそうです。ただ……しばらく前から相鉄は姿を見せなくなっていた、と。地元民の間では、すでに亡くなっていると思っていた、そんな声もあるくらいなので」 「ご高齢ですからね、まあ、あり得ない話ではないだけに、何とも……」 「一応チラシ持って来ました」  そう言って、柊木さんは四つ折りに畳んであったカラーチラシを開いて見せた。顔写真入りで、相鉄氏の失踪時の服装や特徴などが明記されている。年齢の横に、 「耳は遠いが、肩に手を添えて話しかければ会話は可能。稀に信号無視をしてしまう為、横断歩道付近で見かけた時は要注意」  と書かれてある。肩に手を添えて、という部分が少し気になった。至近距離から話しかけるだけでは駄目なのだろうか。 「こういう事を大っぴらに言うもんではありませんが」  と柊木さんは声を落として言う。「地元でも特別必死になって探し回っている感じではないそうです。小売店の従業員たちも、もちろん街中で見かけたら電話をかけるくらいのことは協力するが、じゃあ例えば休日を使って足で捜索をかけるかといえばそんなわけはない……と」 「うん……でも教団の人間はもちろん探し歩いているんですよね?」 「教団の人間はもちろん、そう答えますよね」 「実際は……違う?」 「地元でそういった光景を目にすることはないそうです。あくまで小売店を回って話を聞いただけですが」  気まずそうに答えながら、柊木さんは梅おにぎりを頬張った。僕は無言でバナナを食べながら考えた。 「うーん……」 「どうされました?」  問われ、率直に答える。 「カラーチラシ……何で配り回ってるんですかね」 「……」  柊木さんは黙った。おそらく彼女も僕と同じ疑問を抱いているのだ。  大鎌相鉄はここ数年表に顔を出していない。教団が運営する保育園の行事にも参加していない。地元住民が既に死んだと思う程度には忘れ去られていたわけで、もし、そもそも相鉄氏の失踪を表沙汰にする理由はない。翻って、実際には殺人事件など起きておらず、本当に相鉄氏が失踪してしまったのであれば、もっと教団全体を上げて必死に探しまくるはずだ。それこそ小売店にカラーチラシを配る程度ではなく、信徒を総動員してローラ―作戦を敷くくらいのことはやってしかるべきだろう。だが、そんな光景は目撃されていない。 「何がしたいんでしょう?」  と、柊木さんが僕に問うた。 「相鉄さんがいなくなったことは公にしたい。だけど本気で探す気はない。チョウジに目を付けられるような超事象の目撃証言が出たのは想定外だったとしても、元をただせば相鉄さんの失踪を公にしなければ済んだ話なわけで……」  僕の答えとも言えない返事に、 「そうですよねえ」  柊木さんは頷きながら二つ目の梅おにぎりを食べ終えた。僕は同じタイミングでようやくバナナを食べ終えた。 「所で、その超事象の目撃の方ですけど」  問うと、 「はいはい」  柊木さんは上着のポケットから手帳を取り出してページをめくった。「時間は決まっていないそうですが、夜中に相鉄の目撃例が数件寄せられています。主に教団本部建物の近くに住んでいる住民からの情報ですが、相談を受けて巡回を行った最寄りの交番からは警邏中にオバケを見た、という話は出ませんでした」 「も、もうそこまで調べたんですか?」 「え? ええ」  チョウジを辞めない方が良かったのでは、と言いかけて、僕は自分の右頬を叩いた。 「何ですかいきなり!?」 「いえ、凄いな、と思って」 「何がですか?」 「いえいえ……でも変ですね」 「そうですか? オバケなんて、見える人と見えない人がいますから、交番の報告はそこまで重要じゃないのかもしれませんよ」 「いや、そっちじゃなくて」 「……住民ですか?」 「ええ」  細長いパックのミルクを一息で飲み干し、僕は頷いて答えた。「実際どれだけの人数が見たのか分かりませんが、失踪中の相鉄さんを夜中に見ちゃったわけですよね。恐らく、オバケとして」 「ええ」 「もっと騒ぎになりませんか。それが誰だか分かんない人物の幽霊を見るだけでも怖いのに、住民には親しみのある教団の代表だと判別出来たわけですよね。しかも遠く離れた場所で見たのじゃなく、教団建物を出入りする所を見られている。普通それ、もっと大事になりませんか」 「……確かに」 「十月には確か、色んな保育園で運動会が行われます。崇宣教のその、第5保育園が例外じゃないなら、近々一族の誰かが表に出て来る筈です。いきなり教団本部には入れないでしょうから、まずはそこから当たってみましょうか」  提案すると、柊木さんは大きく頷いた後、 「……っはは」  と笑った。 「おかしいですか?」 「いえ、失礼しました。坂東さんが以前仰ってたのを思い出したんです。『新開の判断力の早さは俺がチョウジで鍛えたもんだ』って」 「え?」 「だから新開を褒めるな、褒めるなら俺を褒めろ!って」 「何ですかそれ!」  眉をひそめながらも、堪え切れなくなり僕も吹き出して笑った。  その後、少しだけ黒井七永の話をした。電話で僕が口走ったことが気になり、父親であり「天正堂」代表でもある土井零落に問い質したそうだ。柊木さん自身は「黒井七永事件」に関与はしていないが、チョウジ出身の彼女は直属の上司である坂東さんや土井さんから、七永の脅威についてトラウマになる程教え込まれていた。七永の復活にまだ実感はないとのことだが、原因不明の不安感と震えに夜眠れないそうだ。 「ああそうだ、山田から報告受けました。天正堂、チョウジの助っ人に動かすそうですね」  改めて柊木さんに言われ、僕は些か居心地の悪さを感じながら、 「まあ、はい」  とこめかみを指で掻いた。「なんか、偉そうですよねぇ」 「何言ってるんですか、階位第三のあなたが陣頭指揮をとらなくて誰が取るんですか」 「嫌ですよ僕はそういうの」 「相変わらずですねえ。でも山田の声が明るかったですから、何にせよ私は感謝してます。所で、新開さん自身が今請け負っている事案て、どういうものなんですか?」 「それがですねえ」 「はい」 「わっけ分かんないんですよ!」  柊木さんと別れ、車を発進させてすぐに携帯電話が鳴った。路肩に寄せて停車し、応答する。 「新開」  来た!  ……来た来た来た来た来た来たッ!  新開さん!来た!来た!来たッ! 「ちょちょ、ちょ、落ち着いて!京町くんか!?」  前方を向いたまま電話に出た為相手を確認する暇がなかったが、突如鼓膜を連打したのは京町少年の声であり、それは絶叫というよりはエンドレスに囁く悲鳴に近かった。 「男が現れたんだね? 蟹江さんも一緒かい?」 「どうしよどうしよどうしよどうしよどうしよ、新開さん、どうしよ助けて助けて」 「今すぐ向かう。人の多い場所へ逃げるんだ」 「まだ見つかってないよ。なのにまっすぐ近付いてくるの。逃げても追いかけて来るの!」 「距離があっても向こうは君たちの居場所が分かるんだ。隠れちゃいけない、姿を見られてもいい、人の多い場所へ移れ!」 「人なんてどこにもいないよ!」 「それでもなるべく多い場所を目指せ!」 「しんか」  突如電話が切れた。切ったのか切れたのか分からないが、激しい呼吸やノイズからして京町少年が走って移動していることだけは分かった。この事案を引き受けた時、蟹江彩子、京町泰人両名のスマホ情報を入手させてもらった。GPSを辿れば彼女らが今いる場所は特定出来るが、問題は距離だった。二人が繁華街などの離れた場所にいたり、パニックのあまり地下に潜ったりすれば駆け付けるのが困難になる。  だが、そんな心配は杞憂に終わった。  スマホの画面で二人の位置情報を確認した僕は愕然となった。路肩に車を停めた僕と彼女ら二人の位置は、地図上の同じ画面に表示されていたのだ。それ所か、二人は猛スピードで僕のいる場所目掛けて近付いて来るではないか。その距離はおそらく、二百メートルもない。  僕は慌てて車を降りた。  今いる場所は住宅街である。平日の午後、人気はない。京町少年が人なんかいないと訴えたのも納得である。むろん最短距離を走れば人の足でも十分あれば大通りに出られる。しかしただ走ればいいわけではない。接近する「男」から逆方向に逃げながらでは、ほとんど選択の余地などないだろう。二人は、僕のいる住宅街の中心部へ向かって追い込まれていた。 「……」  だが、不思議な現象が起きた。 「……どこだ」  スマホの画面上では二人との位置が目視できる程の距離に近付いた筈なのに、僕の目には誰の姿も映らないのだ。蟹江彩子も、京町泰人も、二人を追いかけて来る謎の男も。地図上で二人の依頼人を指し示す赤いピンは、僕から見てやや左側で停止している。おそらくそこは他人の民家で、庭などの敷地に侵入して身を潜めているのかもしれないとも思えた。だが男はどこだ。もしまだ男が二人の姿を見つけていないのであれば、道路の向こう側からを歩いてやってくるはずだ。もしくは走って。 「……なんだよ」  しかし、誰もいない。  目の前は真っすぐに伸びる往来が一本。そして二十メートル程先に、右側へと折れる曲がり角。その先は集合住宅である。マップ上では二人の依頼人が辿って来たルートは目の前の往来である。しかし姿はなく、彼女らを追って来た男もいない。 「……」  僕は試しに、京町少年へと電話をかけてみた。 (プルルルルル) (プルルルルル) (プルルルルル) (プルルルルル)  スマホは手に持ったまま、近くで着信音が鳴らないか聞き耳を立てた。だが、どこからも音は聞こえてこなかった。その内発信が強制的に停止され、京町少年が留守である旨のメッセージが流れた。 「どういうことだよ」  振り返り、往来の反対側を向いて目を凝らす。しかし、やはり人の姿はどこにも見当たらなかった。 「……」  その瞬間僕は踵を返し、全力で走った。  
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

609人が本棚に入れています
本棚に追加