11:口を閉ざした少女

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11:口を閉ざした少女

 翌日の朝。  蟹江彩子の入院する病院へ向かった僕は、病室前で部下の陣之内さんと立ち話をしている山田信夫の姿を見つけて思わず足を止めた。 「どうして君がここにいる」  信夫はすぐに僕を見つけて近づいて来た。 「何で、自分の部下がいるんだから別におかしな話じゃないでしょう? 早朝会議は会議室じゃなくて現場でやる主義なんです」  余裕のある笑みを浮かべた顔で、信夫はそう答えた。 「あれ、右肩どうしました?」  脱臼した肩は九里先生に嵌めてもらったから三角巾で吊ってはいない。だが却って痛みによる不自然さが出ているようで、幻子はおろか陣之内さんや信夫にまで会った瞬間気付かれてしまった。 「……君には関係ないよ」  陣之内さんに蟹江彩子警護の礼を述べ、自分の担当する職場へと戻ってもらった。……が、それでも信夫は帰ろうとしなかった。蟹江さんの病室へ入ろうとした僕の背後にぴたりとついて、 「何だよ」  そう言葉で突き放しても信夫は微笑を浮かべたまま、 「いやなに、後学のために貴重な現場を経験しておこうかと思いまして」  などと白々しいことを言う。 「陣之内さんに何か聞いたの?」 「はあ、上司なんで」 「彼女の上司は高品くんだろ」 「知りませんでした? 私こう見えて室長なんです」 「自分の現場はいいのかい?」 「そのことも含めて、まあ、ご相談もあります」 「後にしてくれ」  捨て台詞のつもりで僕は病室の扉をノックし、中へ入った。だが信夫は僕の後に続き、当たり前のような顔をして病室に足を踏み入れた。 「何やってるんだ」 「あ、どうもー」  信夫は怒る僕を無視し、既に支度を終えて待っていた蟹江さんに人懐っこい笑顔で歩み寄った。「どうもどうも、私、山田信夫と申します」 「は?」  当然蟹江さんは目を白黒させて後退る。昨日突然謎の男に襲わればかりで、翌日また得体の知れない男が現れたのだ、怖くないわけがなかった。所がだ。 「こう見えて警視庁のエリート職員なんですー」  と信夫が絶妙な自己紹介を口にした瞬間、 「若っ!」  と蟹江さんが高い声で突っ込みを入れた。「千葉雄大!?」 「そうでしょー、昔から似てると言われるんですー」  信夫は気を良くした様子で、蟹江さんの目を見つめたままナチュラルに両手で握手を交わした。警戒されない程度の、ほんの微かな握力で。 「昨日は大変でしたねえ、いやねえ、男性の私がいきなり押しかけるのもどうかなあとは思ったんですが、こういう時代でしょう、万年人手不足はどこの世界も同じでしてねえ、こちらの新開もこれはこれで忙しい身だったりするもんですからぁ」 「……はい?」 「要は適材適所なんですよ、重要なのはね」 「はい」 「私ほらこう見えてものすごく優秀なんで、蟹江さんが遭遇したような事案も数多くこなしていることですし、こちらの新開に代わって蟹江さんを担当させていただなこうかなぁと思いまして」  信夫が言った瞬間、蟹江さんの目が僕を見やった。 「勝手なこと言うな!」  朝には似つかわしくない怒号が自分の口から飛び出した。「いい加減にしてくれよ、何のつもりなんだ?」  信夫が何を考えているのか分からないが、蟹江さんに誤解してほしくなかった。信夫と相談の上で担当を代わろうとしている、見放そうとしている、そんな風には毛程にも考えてほしくなかった。 「相談があるって言ったでしょ」  柔和な笑みを浮かべたまま信夫は僕に言い、どうです、と蟹江さんに向き直った。「ご存知かどうかわかりませんがこの新開、出来る男ではありますが別に刑事じゃない。そこ、結構重要じゃないですか?」 「……」  蟹江さんは答えない。重要もなにも、蟹江さんの方から僕を名指しで仕事の依頼を出して来たのだ。僕が拝み屋であることは蟹江さんも知っている。後から警視庁の人間が現れたからと言って、その気があるなら最初から警察に相談していたはずである。 「もし、山田さんがあの男の捜査を担当するとして、新開さんは、どうなるんですか?」  蟹江さんが問うと、信夫は首をすくめて、どうも、と答えた。 「協力体制を維持したまま、彼は彼で自分に適した現場を担当するだけです。もう一度言いますが彼は警察官じゃない。暴漢を捜査するのもあなたを警護するのも、それは我々の仕事です」 「でも」 「少々お待ちを」  くるりとその場で半転し、信夫は僕の前まで戻って来た。「新開くん頼むここは呑んでくれ」 「無理だ」 「数日でいい、その数日であんたには部下たちの現場を全て見て回ってもらいたいんだ」 「そ」 「自分が行けばいい、そう言いたいんだろ。だが私は、あんたの意見が聞きたいんだ」 「その為に蟹江さんを危険にさらせと言うのか。僕に現場を明け渡せと言うのか」 「その代わり、新開くんが戻ってくるまでは蟹江さんには誰も近付けさせないと約束する」 「君が担当してる事案はどうなる」  問うと、 「……今朝、また死んだ」  腹から絞り出すような声で信夫はそう言った。 「は?」 「マルガイがまでにおそらく三、四日ある。その間で何とか」 「本気で言ってるのか?」 「私の顔のどこに嘘がある」  信夫は僕よりも少しだけ背が低い。美形俳優と間違われる程の顔が今は歪み、僕を睨め上げる両目は赤く血走っている。恥を忍んでここへ来た。信夫の顔にはそう書いてあった。 「しかし……」 「あのー」  ベッド脇に立って僕たちを見ていた蟹江さんが割って入る。「別に私は良いですよ。でも、新開さんとはいつでも連絡を取れるようにしておいてください。何かあればまず新開さんに話をします。その上で、あの男の捜査に関して警察の方が適してるというなら、そこに関してはお任せします。私も仕事があるんで、まあ、警察に守ってもらえるんならそれはそれで、助かるというか……あの、別に新開さんが頼りないとかじゃないですよ」 「ええ、もちろん。でもまあ少なくとも、初日に右肩を負傷したりしない連中をごっそり警護につけますよ」  信夫の言葉に、蟹江さんは申し訳なさそうな顔で笑った。 「ほんのちょっと前までは普通によく喋る、よく笑う、明るくて元気な子だったんです」  そう言って、少女の母親はハンカチで顔を覆って泣いた。  この日僕が向かった先は、現在チョウジの室長補佐を務める高品春樹が担当する事案の依頼人、住友綾子(すみともあやこ)さんのご自宅である。依頼内容は、綾子さんと彼女のご主人である徳重(のりしげ)さん夫婦の長女、(しゅう)さんがある日突然ひと言も口を利かなくなってしまった、というものだった。  平日の午前十時半、朝の早い時間に訪れたにも関わらず、綾子さんは徳重さんが仕事で不在にしていることに対し、頭を下げて僕たちに詫びた。都合も考えず突然押しかけたのはこちらの方だと慌てて釈明するも、綾子さんはさらに頭を深く垂れて何度も謝罪の言葉を口にした。  忙しいところを娘のために申し訳ない。  夫が不在で申し訳ない。  朝早くから申し訳ない。  汚い家で申し訳ない。  あまりの卑屈さに驚いた。そっと高品くんを見やると、彼も閉口した様子で静かに頷いている。どうやら綾子さんはずっとこの調子らしい。  高品くんとて昨日今日チョウジに入ったわけではない。肩書が室長補佐であることから考えても、今や時期エースと言っていい手腕の持ち主だ。その彼が、依頼人を前にどうにも攻めあぐねているのがよく理解出来た。綾子さんの必要以上の卑屈さが、事象を正しく把握するための妨げになっている。普通に話をしようにも、何故か全て自分に責任があるかのような振る舞いで頭を下げ続けるのだ。これではこちらも困惑するしかない。  住友さんのご自宅はいわゆる市営の集合住宅で、確かに年季の入った団地の一室ではあった。それでも、初めて会った人間に「汚くて申し訳ない」と詫びねばならぬ程散らかしているわけでも汚れているわけでもない。どちらかと言えば清掃は行き届いている方だと思った。ただし、……。  垂水団地、26棟の502号室。棟の前で待ち合わせた僕と高品くんは、エレベーター前のホールで軽く話をした。ここへ向かう途中にも電話で事情を聞いたが、率直な僕の感想を述べるとするなら、高品くんが受け持った事案は何一つ進展していないと言えるだろう。そのことにまず、僕は驚いた。 「依頼人は、超事象の中心にいるという女の子のご両親、という話だったね」  問うと、 「まあ、ほとんど母親だけですけどね」  と高品くんは意味深な返事をした。「いや、父親はほとんど家にいないんですよ、仕事で。自分も何度かこの家には訪れていますが、最初だけでしたね、会って話をしたのは」 「周さん、だっけね。口を利かない、というのは専門医に任せても無駄という意味なの?」 「それは……」  高品くんはやや青ざめた顔で言い淀み、やがて、「実際に会ってもらった方が」そう言ってエレベーターのボタンを押した。  高品くんと僕の間には奇妙な縁がある。僕が世間から離れていた数年間、彼には本当に良くしてもらったから、依頼人の置かれた状況を改善することはもちろん、僕個人としては何とか高品くんの力にはなりたいと思っていた。二人きりで話をするのは久しぶりの筈だが、当の高品くんはそんな懐かしさなど微塵にも感じていない様子で小さな溜息を連発している。 「ほら」  僕はバンバンと彼の背中を叩き「顔を上げよう」そう言って励ました。すると高品くんはやや頬を赤くさせて、 「はい」  と力強く頷いた。「所で新開さん、肩、どうされたんです?」 「娘の、周です」  案内された部屋で、少女は椅子に座って窓の外を見ていた。華奢で長い黒髪の女の子だった。年は見た所十五、六歳。ベッドと大きめの本棚が壁際にある他は、年頃の女の子らしいグッズやインテリアなどは見受けられなかった。周さんは窓際にダイニング用の椅子を置いて座り、僕と高品くんが入室しても振り返ることなく外を眺めたままだった。恐らくだが、窓の外は市営団地の中庭か、角度によっては向かいの棟が見えるだけである。空を見上げるわけでもなく、案の定、周さんの顔には何の表情もなかった。 「おはようございます。僕は、名前を新開水留といいます。しがない拝み屋です。朝早くに申し訳ありません」  カーペットを敷いた畳の上に正座して、両手をついて頭を下げた。部屋の出入り口に立ってそれを見ていた綾子さんが小声で、とんでもございません、と深く頭を下げるのが分かった。 「高品くん」  背を向けたまま声をかけ、綾子さんと彼には席を外してもらった。部屋の戸は開け放している為警戒されるかどうかは人によると思うが、綾子さんが側にいては話が進まないと判断したからだ。 「少しだけお話を聞いてもらいたくてうかがいました」  相変わらず窓の外を向いたまま僕を見ようともしない周さんに、僕はなるべく小さな声で話しかけるように努めた。「僕の職業は先程も申しました通り、拝み屋です。本来の業務内容はいわゆる吉凶占い、依頼者の方々お一人お一人の未来を占い、より良い方向へ歩まれるためのお手伝いをしています。ただ、僕は少し、人とは違った分野で重宝がられています。ああ、自分で重宝されてるなんて言い方はおかしいですよね、失礼しました。分かり易く申せば、僕は……この世ならざる者を見る目を持っています」  その時、周さんの首筋がどくんと波打つのが見えた。あくまでも彼女は窓の外を向いたままで、僕には横顔しか見えない。唾を呑み込んだだけかもしれないし、僕の言葉に反応したのかもしれなかった。 「先程お母様と少しだけお話をさせていただきましたが、周さんは以前までとても快活なお人柄だったとお聞きしました。今も特にご病気などはされていないとの事ですが、周さんがお声を発さなくなったことでお母様はとても胸を痛めておいでです。もちろん、周さんご自身の苦しみもあろうかと思います。もし僕に出来ることであれば可能な限り、お力になれたらと考えています」  周さんは動かない。だがここまでは、これまでに何百回と繰り返して来た定型文である。僕は次に、小さくヒュイと息を吸い込んで、言った。 「例えば周さんはこの場所で、外から来る何かを見張っておいでである……だとか」  彼女の目玉が僕を睨んだ。いや、角度的には低い位置にいる僕を見やったせいで、睨んでいると見えただけかもしれない。だが首を固定されたように視線だけを動かす所作は、あまり品が良いとは感じなかった。 「他には……言葉を発する事で不利益が生じると分かって、あえて頑なに口を閉ざしている。そうですねえ……恐ろしいものに見つからないように息を殺している、であるとか?」  周さんの顔全体がゆっくりとこちらを向いた。表情はなく、彼女の瞳は僕を見ているようで見ていなかった。今ここに座っている僕ではなく、まるで僕の記憶を読んでいるかのようだった。  ――― 高品くんが怯えるはずだ。  この部屋と言わず家と言わず、垂水団地26棟のエレベーターホールに立った時から感じていた、辺り一帯の淀んだ空気。その発生源はどう見ても、僕の目の前に座っている住友周さんに間違いなかった。
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