13:土葬村事件 1

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13:土葬村事件 1

  「遠い。……遠すぎる」  この日僕が訪れたのは都内から高速道路に乗って車で二時間、日本一の山が望める地方の山間部である。信夫との約束で、彼の部下たちが各々抱えた案件を僕の目で見て考察する、そのことには確かに了承した。だがまさか、他府県へ駆り出されるとは想像もしていなかった。前日の晩になって、昔懐かしいかつての上司に連絡を入れた僕は、行き先を聞いて唖然とする。 「何でそんな所に……」  嘆く僕に電話の相手は豪快な笑い声を上げたが、同じように笑って返すことは出来なかった。ただ、 「まあ、お前も忙しいだろうから、気が向いたらで構わんよ。別にこっちは困ってるわけでもないしな」  と優しく気を使われてしまい、じゃあ行きません、とは言えなくなってしまった。  ノンストップで車を飛ばし、何とか午前中には最寄りの駅に到着した僕を、すでに現地入りして調査に当たっていたチョウジ職員、近藤護(こんどうまもる)が出迎えてくれた。 「お久しぶりです、近藤さん」 「おお、新開、遠いとこご苦労さん。……何だ、肩どしたぁ?」 「もおお」  いい加減にしてほしい。  近藤さんとの付き合いは長い。僕が坂東さんに連れられ、チョウジの臨時職員として右往左往していた頃からの知り合いだから、早くも十五年近い。当時から近藤さんは指紋だらけの丸眼鏡にぼっさぼさの寝起き髪で、いつもよれよれのジャケットを着ていたおかげでよく坂東さんに尻を蹴り上げられていた。やたらと身なりに気を使う鬼上司の下で、しかし近藤さんは決して自分のスタイルを変えることなく今日までやって来た。 「お久しぶりですね。お変わりなく」 「おう、そっちはしかし、いい面構えになったなぁ」 「本当ですか? 今だに童顔だなんて言われて揶揄われるんですけどね」 「おお、だがうちの信夫よりはマシじゃねえか?」 「あはは」  正面から向かい合って話をするのはどれくらい振りだろう。咄嗟に思いを馳せるも、正確な年月は出てこなかった。僕がチョウジで御厄介になり始めた当時から既に、近藤さんは中堅の職員だった。しかし今年で五十という年齢の筈だから、あの頃は今の僕よりも年下だった計算である。そう思うと感慨深い。 「ガソリン大丈夫か? この辺りにゃあスタンドが一軒しかなくてな、閉まるのも早い。今のうちに補給すっか?」 「そうですね、その方がいいかもしれません」 「俺が運転していいか」 「お願いします」  再び車に乗り込み、山間のガタガタ道をゆっくりと走った。 「坂東室長とは今でも会ってるのか?」  前を向いたまま、近藤さんが問う。 「ええ、頻繁にというわけではありませんが、たまに。近藤さんは連絡取ってないんですか?」 「取らんねえ、別に話すこともねえしな、今さら」 「でも今でも坂東と仰るんですね。信夫が聞いたら怒りそう」 「知るけえ!」 「うふふふ」 「あー、あの頃は良かったなぁ!」 「いきなり何なんですか!」  思わず笑ってしまう。マイペース、という言葉が本当に似合う人である。それでいて殆ど他人を巻き込まないから、見ていてとても楽しいのが近藤さんの特徴だ。暖簾に腕押し、いう表現はあまりポジティブな意味で用いられることはないと思うが、柳に風、という言葉なら近藤さんにとてもしっくりくる。 「懐古主義はお嫌いですかぁ? 天三」  近藤さんの言いように、僕はわざとらしく唖然とした表情を作って応戦する。天三とは「天正堂階位・第三」の略で、主にチョウジ側が僕ら天正堂の拝み屋を個別で呼ぶ際に使う別称である。 「未来志向なんで、僕」 「わははは、言うねえ、現役だねえ。ただよ、俺くらい長くやってるとよ、どうにも最近つまんねえんだ」 「そうなんですか?」 「張り合いがねえっつーかな」 「張り合い。ないことないでしょう?」 「いやぁ。……昔みたくよ、挨拶代わりに後頭部ぶん殴って来る坂東室長がいてよ、呆れた顔でそれを見てる有紀さんがいて、もっと言やぁ、その向こうには壱岐(いちき)課長が殺し屋みたいな目で睨みを効かせてる。年がそんなに離れてるわけもでねえし、当時はあの人らにムカついて仕方なかったんだけどな。けど、切れ者だったんだと思うよ、上の人らはやっぱりな。偉そうに言うだけの力があった。下の奴らをどうこう言いたいわけじゃねえが、時代かな、今じゃあ考えられんような武闘派集団が、俺ん中でのチョウジだったわけさ」 「ええ、分かりますよ。確かにその通りでしたものね」 「新開」 「はい」 「自分の目の前に、尊敬できる人間の背中があるって……いいことだよな?」  近藤さんのその言葉に、ふう、と魂から湧き上がって来るような、涙にも似た溜息が出た。 「まさに、仰る通り」 「だろ? それに前だけじゃねえ、そういう人らを見ながら這い上がって来た信夫世代の連中は何人残ってる? お前のいた頃から今でも現役張ってるやつ、どれだけいる?」 「……」 「ぎりぎり踏ん張ってる奴らも、みーんな傷だらけだよ」 「はい」 「目に見える傷なら、いつか癒える。だがこの世からおさらばしちまった連中が俺たちに残してった傷ってもんは……」 「癒えませんね」 「癒えんねえ。今でも俺ぁ、壱岐課長がてめえで頭吹っ飛ばす瞬間を夢に見て飛び起きる」 「近藤さん、あの時の現場にいらっしゃったんですものね」 「止めらんなかった。有紀さんの死も、斑鳩(いかるが)の死も、室田もそう。上も下も関係なく、皆転がり続けて、ある日突然消えてなくなった。あの頃は良かったよ。皆がいた、あの頃がよ」 「ええ」 「特に、こーんな鄙びた山奥の村で、こーんなピーカンに晴れた寒空の下歩いてっとよ。俺ぁここでひとりで何やってんだっけなって」 「分かります」 「なー」 「うちも微力ながら助太刀しますので、一刻も早く事案を解決に導きましょう。そして早いとこ東京に戻って来てください。僕も、そうそう何度もここへ来るのは嫌なんで」 「お前なぁ」 「遠いんですもん。だから東京で、一緒にご飯食べましょうよ。坂東さんも呼んで」 「おお、いいねえ、冬が来る前にそうしたいねえ」 「いやいや今月中に、いやいや今週中に」 「気が早えな」 「僕も色々動きますよ。皆で美味しいご飯食べたいんで」 「助かるよ。奥さん元気か、娘さんも」 「ええ、元気ですよ」 「連れてこいよ」 「もちろんです。柊木さんも?」 「おお、会いたいねえ」 「あと誰呼びましょうかね」 「……信夫わい」 「あいつはいいです」 「わはははは!」  その村の名前は、双蛇村(そうじゃむら)と言った。人口僅か50人未満、過半数を六十五歳以上の高齢者が占める超限界集落である。ガソリンスタントで補給を終えた僕たちは、そのまま近藤さんが担当している依頼人の自宅へと移動することにした。今回近藤さんがこの村の超事象に関わる事になった経緯を改めて聞くと、意外な事実が判明した。 「土葬? 今もですか?」 「ああ」 「村全体で?」 「そうだ」 「珍しいですね。宗教的な意味合いですか?」 「いや、俺の見立てではもっと根深い。人間の根源的な願望だとか、希望、そういった部分から来てるんだと思うね。廃仏主義でも儒教信仰でもない。なんというか……」 「根源的な願望って、何のことです?」 「そらまあ……まあ、実際村の連中と会って話してみてくれ」 「昨日電話で話をした時近藤さん、住民同士の揉め事みたいなもんだって仰ってませんでした? 随分毛色が違うじゃありませんか」 「だが噓は言ってねえぜ」 「はあー……」   世界的に見れば、遺体をそのまま土に埋葬する行為は珍しくもなんともない。だがこと日本に関しては別である。調べによれば現在、日本における埋葬法のうち一般的とされる火葬の占める割合は、実に99%以上なのだそうだ。  土葬に関して設けられたいくつかの制約のうち、最もクリアするのが困難とされているのが衛生面と土地の確保である。現代でも土葬という風習が残っている村の場合、当該地域及び村全体が同一の埋葬法を用いることが多い、という事実が要因として挙げられる(絶対ではないが)。その根拠としてはずばり、「昔ながらの因習」という言葉で言い尽くせてしまう。いわゆる村民感情の一致に拠るものだ。風習に課せられた制約を前に、村民感情の一致こそが伝統の継続に待ったをかけてしまうのだ。何故ならば、限られた土地内で際限なく遺体を埋め続けることなど出来ないからである。  しかし僕たちが訪れた山間の村、双蛇村に関して言えば、埋葬地のスペース確保は全く障害になっていないという。過疎化が進んだ村であるが故に、埋葬地の拡張が容易というのがその理由なのだそうだ。衛生面という角度で見ても、地下水などに影響しない配慮もきちんと行われている為、問題は起きない。つまり都市部では継続困難な条件を、労せずして難なくクリアしてしまっているのだ。  ただし、全国的に見て土葬が火葬に取って代わられた理由は、何も土地問題や衛生面だけが原因の全てではない。前述の村民感情が一致する根拠として用いた「昔ながらの因習」、実はこのという部分が、最も大きな障害となったのではないかと言われているのだ。 「新開、最近あんまり見る機会はねえと思うんだが、野辺送りを知ってるな?」 「もちろんです」  野辺とは埋葬を意味する。葬儀の後、死者と共に葬列を組んで墓地まで向かい、墓穴を掘り埋葬するのが野辺送りである。霊柩車の普及とともに、田舎の集落以外ではあまり本式を見かけることはなくなった。だが、実はこの野辺送りこそが土葬における最も重要な儀式であるとされ、昔ながらの形態を維持できなくなった村から順に埋葬法が近代化し、時代の流れと共に火葬へと移行していったと言われているのだ。特に高齢化が進んだ村では、棺を担ぐ役目が死者と同年代、などという笑えない冗談が現実に起きている。更には、埋葬後の墓地を永代管理する担い手が村からどんどん減っていくこともまた、火葬への移行に拍車をかけていた。 「それが?」 「ちーとばかし、この村の野辺送りには問題がある」 「問題?」 「依頼人に聞けば一発で分かる話だ。だがこれだけは事前に言っとくぞ。この村は土に遺体を埋めた後……死者が戻って来るのを待っていやがるんだ」 「も?」  ――― 死者が戻ってくる? 「待ってるって何ですか。どういう意味ですか?」  大切な人間が死んだ時、親愛なる者にまた会いたいと願うのは人間の純粋な性だ。近藤さんがそのことを言っているなら何も問題とは言えない。だが彼の言葉には仄暗い響きが含まれていた。決して美しい響きとは言えない、死者復活の祈願。それが、この双蛇村で行われる土葬の正体であるとでも言いたいのだろうか。 「さ、到着だ」  車が砂利道の上を旋回してバウンドする。  古民家の軒先が見えた。  縁側に座ってこちらを見ているふたつの人影も。 「近藤さん、話がまだ終わってませんよ」 「期待してっぜぇ……天正堂!」 「近藤さん!」  全身に真白い袴衣装をまとった若い女の子と、その横には年配の女性が控えるように立っていた。縁側で見かけた彼女らは、車が敷地内の駐車スペースに入って来るのを見止めて玄関まで出て来て下さった。  車を降りた僕は頭を下げつつ彼女らの前に立った。 「突然の訪問をお許しください。新開水留と言います。しがない拝み屋でございます」  名乗ると、 「そう畏まらんでいい、話は通してある」  僕の後ろから近藤さんがそう声をかけてきた。頭の位置を下げたまま ――― 家人だろうか、目の前の二人の顔色を伺うと、年嵩の女性は背筋を伸ばして自分の足元を見つめたままで、隣に立つ若い白装束の女の子だけが僕をじっと見ていた。 「六代目 飯綱瑞兆(いいづなずいちょう)です。今は……土葬導師としてここにいます」 「は」  吸い込んだ息を吐き出せなかった。  瑞兆とは、吉兆のことである。とてつもなく縁起のいい名前であることは間違いない。だがそれよりも、どう見て十六、七にしか見えない目の前の少女は自分を土葬導師だと言った。読んで字のごとく野辺送りに必要不可欠な導師である。だが普通、一般的にその立ち位置には村の住職が立つ。むろん女性であっても僧侶にはなれるし数は少ないが住職だっている。だが十七歳では無理である。いや、未成年では無理なのだ。  そこで僕は思わず、隣のご婦人に視線を向けた。 「こちらの方がですか?」  問うと、飯綱瑞兆を名乗った女の子は眉間を曇らせ、僕の背後を睨んだ。つまり、近藤さんをである。 「新開、お前も頭硬いね。俺と全く同じ反応だったぞ。もう少し柔軟性のある切れ者が来るって吹いて回った俺の顔が丸潰れだ馬鹿野郎」 「え、ええ? だって、だってそんなのって」  狼狽える僕を見て、ようやく女性陣の顔がほんの少しだけ綻んだ。 「まあ、中で話そうや」  近藤さんの提案で、僕たちは家の中に入った。  玄関へ向かう途中、家の左側、庭に面した部屋の窓が一枚割れているのが自然と目についた。段ボールで塞いであったが、これからの寒くなる時期には不便だろうな、と思った。
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