14:土葬村事件 2

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14:土葬村事件 2

 僕たちは畳敷きの居間に通され、食卓を挟んで向かい合った。  僕の右隣には近藤さん、正面には六代目 飯綱瑞兆が座った。長い黒髪を白いリボンで後ろに結い、真白い袴を身に纏う様には、若いながらも神々しさが漂っている。自然、近藤さんの正面には湯呑を四つ盆に乗せて戻ってきた年嵩の女性が腰を下ろす。 「こちらが依頼人の古井さんだ。古井トキさん」 「古井です」  近藤さんの紹介を受けて、年嵩の女性が頭を下げた。 「新開です」 「大まかな事情は俺から説明しよう」  そう切り出して、近藤さんが話し始めた。  この双蛇村では死人が出ると必ず土葬にて送る習わしがある。都心部から遠く離れた山間の集落であり、古くから伝わるその習わしに異を唱える住民はいない。だが近藤さん曰く、古来から続くその因習が他所の土地とは少しばかり食い違っている事に、今頃になって恐れを抱き始めた。 「……と、こちらの古井さんが、そう仰っている」 「よその風習とは何が違うんですか?」  率直に問うも、古井さんは下を向いたまま体をもぞもぞさせ、何となく言いにくそうにしながら隣の若い女の子をちらりと見やった。 「……?」  何ですか、と僕がさらに聞いても古井さんは答えず、顔も上げなかった。そのままじっと彼女を見ていると、はあ、と溜息をついて飯綱瑞兆が湯気の立ち昇る熱いお茶を啜った。 「新開」  と近藤さんが僕を呼ぶ。 「はい」 「俺よりもお前の方がそっち系には詳しいと信じて聞くんだけどよ」 「はあ」 「この子を見て、違和感ねえか?」 「え?」  近藤さんは本人を目の前にしてはっきり違和感と言った。僕はその事にまず驚いたのだが、当の飯綱さんは別段怒った様子もなく湯呑の茶をじっと見ている。ただし、最初からどこか不機嫌そうではあった。 「違和感というか、だから、どうしてこの若さで導師なのかなって、それは思いましたよ。見た感じ僧侶にも思えないし……あ、ご実家がお寺さんですか?」  僕が問うと、飯綱さんは真顔で首を横に振った。  六代目 飯綱姓として「吉兆」を名乗るあたりただの一般人ではないことは察しがつくが、前提として土葬導師という専門の職を僕は聞いたことがない。何度も言うが、儀式の正しい手順や意味を習得している住職がその時々によって兼任する、という認識なのである。 「花屋です」  突然、飯綱さんがそう言った。「実家は花屋です」  やはり見た目通りの、若々しい女の子の声だった。だがどこか出会った頃の幻子を思わせる、凛とした気高さも感じられる。 「この村の付近にはもう寺がないんだ」  と近藤さんが言う。「導師を呼ぼうにも伝手がない。隣組もない。そこで何年か前から、こちらの飯綱家を頼ることになったんだそうだ。綻びは、その時から始まったと言っていいな」 「花屋さんが、導師を?」  問うと、飯綱さんは湯呑を卓に置いて、 「今は、と言いませんでしたか?」  と聞き返して来た。 「あ、いや」 「導師は本業ではありません」 「はあ」 「花屋を営みながら、依頼を受けて死者の霊を送る渡し守を行っています。渡し守としての屋号が飯綱で、私で六代目になります」  近藤さんが僕に顔を寄せ、 「十七歳にして三途の河の渡し守だ、カローンってとこだ」  と小声で囁いた。 「成程。それで、土葬導師も兼ねておられるんですね」  僕は頭を下げて自分の無知を詫びた。……ということはつまり、この子は霊能者なのか? むろんそうでもなくとも導師は務まるが、違和感はないかと近藤さんが聞いたのはその為だろうと思った。だが上目でそっと盗み見るも、飯綱さんにそれらしい雰囲気はなかった。 「新開さん、でしたか」 「はい」  飯綱さんの目が僕をじっと見据える。 「葬列の順序、分かりますか」 「……」  来たぁ、と近藤さんが嘆いて下を向いた。同じ質問をされたようだが、彼の反応を見る限り、飯綱さんの期待に添える答えを披露出来なかったらしい。 「野辺送りの葬列のことです。分かりませんか」  尚も聞かれ、僕は背筋を伸ばして頷いた。 「村によって文化の違いがあるように、絶対にこれと決まっているわけではありません。しかしまず先頭は、花籠で良いのかと。夜であれば松明です」  言った瞬間近藤さんが顔を上げて僕を見た。 「次に提灯、これが先頭でも変じゃない。次いで龍辰、生花、盛龍、導師、施主花、香炉、御膳、御写真、位牌 、名旗、天蓋、棺 、日がくし……その後に遺族、のはずです」  途中から、飯綱さんの両目が大きく見開かれていた。意外性を感じつつも、やっと話の出来る奴が来た、との思いもあったのだろう。 だがこれしきの事はさすがに僕の頭にも入っている。伊達に天正堂の拝み屋として先達からしごかれてはいない。 「それが?」  問うと、飯綱さんは隣の古井さんにやや気を使う表情を浮かべながら、こう答えた。 「飯綱は野辺送りだけに特化した渡し守ではありませんが、どこかから噂を聞きつけたこの村の住人から依頼が入り、五代目瑞兆の頃よりお世話をするようになりました。五代目は私の母です」 「偶然ですか? それとも瑞兆の名を継承するのは女性であると決まっているのですか?」 「女性でなければなりません」 「……そうですか」  聞きたいことは他にもあったが、ここは敢えて突っ込まずに引き下がった。「すみません、それから」 「五代目からは、名を受け継ぐ時になってようやくこの村の土葬の風習について聞きました。それまでは一度も、依頼側の情報を家の中で口にすることはありませんでしたから」 「失礼ですが、お母様は」 「亡くなりました」 「すみません」 「いえ。最初から私の若さを気にされていましたもんね。そのうち聞かれるだろうなとは思っていました」 「はあ……」 「十七ではいけませんか」 「そ、そんなことは全く」 「こちらの古井さんが村の風習に疑問を持ち始めたのは、その五代目の頃だったと言います。ですが母は極端に無口な人でしたから、家の中はもちろん外でも必要以上の事は喋りたがらない。なので古井さんの中に生じた迷いも、村人たちの手前大っぴらに聞くに聞けず、またその機会もないまま五代目が他界した。そうしてやって来たのが、六代目である私です」 「よく分かりました」  頭を下げて答えながら、やはりここに集束するのだな、と考えていた。双蛇村に伝わる土葬の風習が孕んでいるという、他所の土地との相違。それも首を傾げる程度の小さな違和感ではなく、慣れ親しんだ筈の村人が恐れを抱き、己の内に迷いを生じさせる程の。 「今年の春、古井さんの御主人がお亡くなりになられました」  飯綱さんは続ける。「これまで通り飯綱が呼ばれ、葬儀屋から葬具を手に入れて村に入りました。実を言えば、私がこの村で土葬を行うのはその時が初めてでした。他所の土地で一度だけ経験があったのですが、その時は五代目が存命中に補佐役として立ち会った程度です。そもそも日本では土葬の件数が極端に少ないですから」  分かります、と僕は答えて古井さんを見た。相変わらず下を向いて会話に参加してこようとしない。 「なので」  と、飯綱さんが僅かに声を張った。「私の方でも、変だなとは思っていました」 「変?」 「ええ。変だな、と。ですが依頼人の前で改めて儀式の手順を問うことに躊躇いを感じました。飯綱の歴史は古いですが、双蛇村の土葬の歴史も同様です。何より亡くなられた方のご冥福を祈る立場の私は、見かけではなく心と魂の有り様を重視したのです」 「つまり」  話が見えて来た、と思った。  飯綱さんはこう言いたいのだ。双蛇村で求められた野辺送りの儀式は、これまで飯綱家が執り行って来た葬列とは異なる、全くの別物だったのだ、と。 「新開さん」  飯綱さんの声色が更に真剣味を帯びる。「野辺送りの経験はおありですか?」 「いえ、僕は拝み屋です。生きた人間を相手にする職業なので」 「でもある程度の知識はお持ちですよね?」 「知識だけなら」 「ならばお尋ねします。提灯は、何の為にありますか?」 「野辺送りの話ですよね。なら、故人の居場所を照らす為、です」 「そうです。なら、龍辰」 「その龍に乗って天に還る為です」 「施主花」 「極楽浄土」 「香炉」 「うーん、まあ、お線香ですよね」 「目的は」 「目的? 目的はー……成仏してください、とか」 「そうです。じゃあ天蓋」 「ああ、それは魔除けです」 「古井さんの御主人には」 「は?」  ザワ、と胸の奥が得も言われぬ恐怖に波打った。  ――― 全部、ないだって? 「私が自分の家から持って来た四花さえ採用されませんでした」  四花はシケ、またはシカと読む。葬列にて棺の四方に立てる白蓮華である。実家が花屋である飯綱さんはそれを造花でなく生花で持参した。その心遣いをも無視されたと言うのである。僕は無意識に近藤さんを見ていた。彼は僕とともに古井さん宅を訪れる直前、こう言っている。  …… この村は土に遺体を埋めた後、死者が戻って来るのを待っていやがるんだ。 「な、ないってどういう意味ですか。採用されないとはつまり?」  問うと、飯綱さんは古井さんを見やりつつ、 「もちろん、私は全て用意しました」  と答えた。「ですがいざその時になってみると、穴掘り役の村人が数名で葬具を片付け始めたんです。慌てて訳を問うと、持ち手の都合がつかないんだ、と言われました」  持ち手とはそのものずばり、先程僕たちが列挙した装具を持って葬列に参加する役割のことを言う。彼らは故人と同じ村出身の住民ではあるが、葬儀に参列する弔問客ではない。野辺送りという儀式をの人間である。本来正式な儀式に必要な数は、二十人を超える。 「高齢者ばかりの村です」  と飯綱さんは続ける。「棺の担ぎ手などは仮に四名で行うにしても大変だろうと思います。ですが古井さんの御主人の葬列には、花輪、生花、御前、位牌、日がくし……たったこれだけしか用いられなかった。写真さえなかった、それなのに、こちらの古井さんは何一つ文句を言わなかったんです。それに」 「それに?」 「異を唱えた私に対し、穴掘り役の村人はこう言いました。あんたの母親は黙って俺たちの希望通りにやってくれた……と」  つまり五代目である飯綱さんのお母様は、すでに双蛇村の野辺送りが通常とは異なる風習として伝わっている事に気が付いていたのだ。だがあえて村人たちの望む通りに葬列を取り仕切っていた、というのである。 「故人の成仏と安寧を祈る葬列の筈が、そこだけをすっぽりと抜き取られている。まるで、死者に安眠なんかしてほしくないと言わんばかりに」  う、ううん。  飯綱さんの言葉を遮るように、近藤さんがわざとらしい咳払いで喉を鳴らした。 「どういう意図があるにせよだ」  近藤さんは言う。「この村の風習は一般的なそれとは違ったわけだ。そこでこの飯綱瑞兆さんは古井トキさんに向かってこう尋ねる。何故、正しい形でご主人を送ってさしあげないのか、と」  すると古井さんはこう答えたそうだ。  これが双蛇村のやり方でございます。愛する人に戻って来て欲しいと願うことは、間違っていますでしょうか? 「そ」  言葉を失う僕の前で、古井さんは両手で顔を覆った。泣いているらしかった。僕たちは誰一人として彼女を責めてなどいなかったが、この家に集う四人の内、この場所では古井さんこそがマイノリティだった。何十年と見て来た村の風習が、外から来た人間には全く通用しなかったのだ。その驚きが、古井さんの胸に恐怖を芽生えさせた。 「新開さん」  飯綱さんが言う。「この村での土葬で用いられる桶は全て横棺です」 「山間部ではそうでしょうね。平地よりはどうしたって土地が固い事があるでしょうから、縦棺用の穴を掘るのも、なかなか」 「その横棺ですが、埋葬の際、釘打ちされませんでした」 「それは……?」  火葬は別にして、野辺送りで棺に釘打ちが行われる理由は二つある。ひとつは葬列に際して運びやすくする為、すなわち遺体が零れ出ないようにする為だ。二つ目は、穢れの忌避。感染症を防ぐ意味合いと、精神衛生上を理由に死を遠ざける意味で釘打ちは行われる。根本的な目的は同じく、死者が棺から出て来れないようにする為、という部分に変わりはない。だが、双蛇村ではその釘打ちをしないという。 「それって、、ですか」  言うと、飯綱さんは古井さんを慈悲深い目で見つめ、 「そうです」  と答え頷いた。「ですがそれだけではないんです」 「というと?」  問うと、飯綱さんの視線が近藤さんへ移動した。 「本当に戻ってくるんだ」  と近藤さんが言った。僕の目が、近藤さんの指紋だらけの眼鏡に吸い寄せられる。 「死者がですか?」 「ああ。戻ってくるんだ」 「馬鹿な」 「馬鹿でもなんでもない。それが双蛇村にとっては正しい野辺送りなんだ。今この村でそれを異なるものとして捉えているのは、この古井さんだけだ」 「じ、じゃあ」  これまではどうだったんだ。  五代目飯綱瑞兆は黙認した。しかし六代目は見過ごせなかった。ここへ来て確かに流れは変わりつつある。だがこれまでの歴史上、この双蛇村で死んだ人間は皆、土に埋葬された後全員生き返って来たとでもいうのだろうか? ならば死者は生き返ってどうなる? どこへ行くんだ? 「だが」  近藤さんは僕の疑問を遮るように、遣る瀬無いと言わんばかりの顔と口調でこう告げた。「古井さんは、旦那さんを、きちんとお見送りされたよ。泣くな古井さん。あんたは間違ってなんかないよ」    この村は一体、何なんだ……?  
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