15:開けると死ぬ箱 1

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15:開けると死ぬ箱 1

 双蛇村から東京に戻ってすぐ、蟹江さんに電話連絡を入れた。あれから謎の男は現れていないと言い、幸い京町少年 ――― もはや少年ではないと知れた為呼び方に困るのだが、そちらも出現してはいないそうだ。却って僕や信夫が側に居ない方が霊能者同士の干渉を受けずに済み、案外平穏無事な日常を過ごせるのかもしれない。だが、 「会って話しがしたい」  そう言われ、僕たちは都内の某ファミレスチェーン店で落ち合う事にした。待ち合わせた時間は、午後七時。当たり前だが、現れた蟹江さんには信夫も付いてきた。だが己の仕事に徹しているのか、僕の姿を見止めても以前のような浮ついた態度で話しかけて来ることをせず、僕と蟹江さんが座ったボックス席とは少し離れた席で一人、やたら大きなフードメニューと睨めっこしている。信夫の左耳にワイヤレスイヤホンが挿さっているのが見えた。どうやら蟹江さんは手持ちの鞄か衣服にマイクを仕掛けられているらしい。 「お疲れさまです」  信夫の動向が気になりそちらばかり見ていた僕に、蟹江さんの方から話しかけて来た。僕は少なからず驚いて、 「え」  と気のない返事をしてしまい、「あ、ああ、お疲れさま」と遅れて答えた。すると蟹江さんはやや不機嫌そうな目でメニューを手に取り、 「ふー」  とマスク越しに溜息を吐き出した。相変わらず灰色のウィッグに黒マスクを着用している。入店時にヘッドホンは外したが、首にかけたままである。黒いオーバーサイズパーカーにグレーの太いパンツ。一見して服装の色味は男の子っぽいが、ほとんど肌の露出がないにも関わらず店内中の人目を引いた。僕たちの年齢の開き具合から見て、よからぬ想像をされているのだろうなとピンと来た。 「肩の具合はどうですか」  視線を下げたままの蟹江さんに問われ、 「うん、もう平気」  と答えた。「……あのさ」 「うん?」  視線がぴょんと跳ね上がり、青い瞳と目が合う。 「会う人会う人に肩どうしたって聞かれるんだけど、僕そんなに不自然な動きしてる?」  問うと、蟹江さんはしばしじっと僕の目を見て、 「気付いてないの?」  と言った。 「……何が?」 「新開さんの右肩に、ずっと女の人の手が乗ってるんだよ」 「え!?」  ぎょっとして立ち上がり、左手で右肩を抑えた。突然の事に驚いた様子で、信夫も立ち上がってこちらを見ていた。 「ど、どこ、え? え?」  蟹江さんは慌てふためく僕を見上げると、両目を綺麗なアーチに変えて笑った。パフパフパフ、と長い袖に覆われた両手が乾いた音を立てる。 「う、噓なの?」 「ちょーうけるー」  冷静に考えてみれば分かった筈である。自分の肩に霊体の手が乗っていて気付かない程鈍感じゃない。幻子にしても近藤さんにしても、女の手を見ていながらそれを僕に黙っていることなどありえない。僕は着席し、 「勘弁してくれよ」  蟹江さんに顔を近づけ、奥歯を噛んでそう苦言を呈した。 「笑ったらお腹減ったなー……ねえ、ここおごり?」  言われ、僕はこちらを睨んでいる信夫を指さした。  それから僕たちは夕食をとりながら蟹江さんの近況について話をした。彼女は普段自宅でデザインの仕事をしており、その気になれば一歩も部屋から出ずに一日を過ごすことも可能なのだそうだ。だが、自分がデザインした洋服を着てモデルを務め、広告塔としてSNSに写真をアップすることも大切な仕事である為、事件が解決するまで引きこもるという選択肢はないとのことだった。  あれから謎の男は現れていないという。ただし気になる事がある、と蟹江さんはデザートのパフェをスプーンで突っつきながらそう言った。 「実は、ずっと、来ないの……」 「え?」  聞き耳を立てていた信夫が立ち上がる。 「え?」  驚いて僕がそちらを見やると、 「ち、違う」  間違えたー、と嘆いて蟹江さんがテーブルに突っ伏した。僕は一瞬何のことだか分からず、真っ赤な顔で鬼のような形相をした信夫を見てようやく理解した。僕が蟹江さんに手を出したと勘違いしたらしい。 「あの子が姿を見せないの、私の前に」  顔を伏せたまま蟹江さんはそう言った。声がくぐもって聞き取り辛かったが、 「京町泰人かい?」  僕の問いに彼女はやや間を置いて、頭をコクコクと頷かせた。 「いいことじゃないか。出て来てほしいのかい?」 「何がいいの。当たり前でしょ。こんなこと今までなかったのに」 「……」  ――― 出て来てしいのか。  意外ではあった。僕としてはドッペルゲンガーに会いたいという意見は予想外だ。しかし幻子に指摘された通り、僕が蟹江さんに呼ばれた理由はについての相談ではない。あくまでも謎の男による接触がその依頼内容なのだ。  僕の視線を受けて信夫も頷いた。彼も本当に京町くんを見ていないらしい。実際には蟹江さんと京町くんの顔は全く同じである為、蟹江さんが意識して服装やウィッグ等で差別化を図らなければ見分けはつかない。むろんそんな事くらい信夫なら分かっていると思うが、見ていないからと言って出現していないとは断言できない筈だ。あるいは、 「眠ってる時はどうだい? さっきの話じゃないけど……」 「うん。大丈夫」  身に覚えのないセックスの痕跡も今の所ない、ということだ。 「良かったじゃないか」 「うん。でも」 「でも?」 「これで終わり?」 「え?」 「事件、もう終わった?」 「いや。残念だけど終わりじゃないよ」 「私、あいつに何されたの?」  あいつとは蟹江さんを襲った男の事だ。何、というのはもちろん、口の中に押し込まれた赤っぽい土の塊に見えたものの事だろう。検査の結果、人肉と判明している。しかし僕はまだ、今日の段階では真実を打ち明けるべきではないと思っていた。側ではイヤホンを通して信夫が話を聞いているし、全てを隠し通すことは不可能だろうという思いもあるにはあった。それでも、 「所謂、呪物だと思う」  そう言う他なかった。  蟹江さんが顔を上げ、信夫の真剣な目が僕を見た。 「じゅぶ……?」 「あの男が何者か分からない以上目的もはっきりとしない。ただ、単なるストーカーでないことは間違いないよ。君が口の中に押し込まれた物は一般人に用意できるシロモノじゃなかった」 「何? 何だったの?」 「今は言えない。だけどもしかしたら、京町くんが現れなくなったことと無関係ではないのかもしれないね」 「私が何かを飲み込まされたからってこと?」 「あるいはね」 「そ……」  放心したような顔で蟹江さんは頭を振り、首に引っかけたヘッドホンがぐらぐらと揺れた。 「大丈夫。公言通り、信夫がじきに奴を捕まえてくれる。そしたら目的をはっきりさせることは出来るだろうし、何故君に付きまとうのか、何が目的なのか、全部クリアになると思う」 「……うん」 「だけどそれまでは、いくら京町くんの出現がないままだとしても、そのことで事件が解決したと見なす事は出来ない」  蟹江さんは上気した顔で僕を見つめている。マスクがずれ、鼻先が外に出ている。今の蟹江さんは、普段より少しだけ京町くんに似ている。大きくて丸い額、形の良い、やや目尻の下がった眼。幻子はこの蟹江彩子が噓をついている、と判断した。千里眼を持ち、予知夢を見る彼女の言葉に反論は出来ない。だが……。  蟹江さんの出した依頼が、実在しない人間=ドッペルゲンガー京町泰人を消してくれ、だったなら話の筋は単純だった。だが蟹江さん意識は最初からそこになく、謎の男を取り逃がしたまま何一つ答えが出ていない今、ここで依頼を終わらせる気は毛頭なかった。例え蟹江彩子が嘘つきだったとしても、である。 「もう少し様子を見よう。君を襲った男のことも含めて、まだ何も終わってなんかいないからね」  言うと、 「……良かった」  吐き出すようにそう呟き、蟹江さんは溶け始めたパフェをぐるぐるとスプーンで掻き回した。    どういう意味ですか?  問うと、電話の向こうで陣之内萌は同じセリフを繰り返した。 「その箱を開けたら、死ぬんだそうです」 「箱を開けたら、死ぬ?」  蟹江彩子が素性の分からない男に襲われた日、入院先の病院で一晩だけ警護に当たってくれた陣之内さんから、僕は彼女が担当している事案について少しだけ話を聞いた。その時も確かに、陣之内さんは箱の話をしていた。新しく他所へ転居したばかりの依頼人家族が、屋根裏で見つけた古めかしい箱に怯えている、確かそんな話だったと記憶している。  箱は、転居先に住んでいた前の住人が忘れていった物だろうと思われた。依頼人家族の中に感の鋭い子どもがいて、 「酷く怯えて困っているから処分したい」  そう言って子どもの母親が地元交番に持ち込んだそうだ。当然、警官は困惑する。燃えるゴミの日に指定の場所へ捨てなさいと指導するも、 「もう何度も捨てました!」  母親はかなりの剣幕でそう訴えたそうだ。  ――― 何度捨てても戻って来るんです!  警官はそれでも、交番に持ち込まれても困ると言って箱を預かってはくれなかったし、薄気味悪がって中身が何なのかも聞いてこなかった。代わりに、次の指定日に一緒に捨てに行ってあげると約束したそうだ。そして当日、母親と警官は収集車がゴミ置き場に現れるのを待って、トラックの中に直接箱を捨てた。誰かのイタズラで捨てた箱が戻って来るのであれば、これでその心配はなくなるから、という警官の提案だった。だがその日の夜、箱は戻って来た。  母親は半狂乱になって交番へ駈け込み、件の警官に箱を投げつけた。すると箱は警官の足元に落ちて、蓋が取れて少しだけ開いたそうだ。その途端、警官は母親の見ている前で崩れ落ちた。 「警官は、亡くなりました」  陣之内さんは言う。「死因は心不全です。今年で三十二歳になる巡査長で、持病もなく、七月に行われた健康診断でも問題はなかったそうです」  母親はその場で箱の蓋を閉じ、決して開かないように両手で抱きしめた。その時からずっと、決して箱を手放そうとしなくなったそうだ。警察の取り調べにはきちんと応じたものの、箱を取り上げようとすると狂ったように抵抗する。ご飯を食べる時も、トイレに行く時も箱を手放さず、帰宅後も子どもが怯えるからと言って部屋に閉じこもり、当然風呂にも入っていない。この段階になって、ようやくチョウジに相談が持ちかけられた。  公安の上層部から連絡を受けた信夫は、 「もっと早く持って来いよォッ!」  怒りを抑えきれずに電話口で叫びまくったという。陣之内さんの手に回って来た段階で、この事案には既に人死にが出ていたのだ。誰にも止められなかったとは言え、部下の命を預かる信夫の立場を思えば、犠牲者が出る前に現場に臨みたかったというのが偽らざる本音だろう。その為にチョウジは存在していると言っても過言ではないのだから。 「分かりました、今から向かいます。詳しい話はそちらに着いてからという事に」  そう伝えて電話を切ると、 「今から?」  驚いて妻が声を上げた。手にはたった今淹れてくれたばかりのホットコーヒー。時刻は既に夜中の1時半である。夕食は外で済ませて来たが、双蛇村から戻ってすぐファミレスで蟹江さんたちと会い、ようやく自分の家に戻って来たばかりだった。一日が二十四時間なんてのは嘘だ。どこにも落ち着く暇がない。 「先輩は先に寝ててください。コーヒー、いただきます」 「無茶だよ、寝てないでしょ」 「東京なんで平気です」 「戻ったばかりなのに」 「平気ですよこれくらい。酷い時は、もっと酷かった」 「そりゃそうだけどさ」 「平気てす」 「私に手伝えることがあれば言ってね」 「分かりました」  ふう、と大きな溜息をつき、「なら、よし」と妻は笑って頷いてくれた。妻は、僕の仕事がどういう性質のものであるかを知ってくれている。そしてまた、僕が頑固で人の意見を聞き入れない愚か者であることも知っているのだ。 「先輩がこの家で、僕を待っていてくれることが一番の励ましです」  そう言うと、 「都合のいいこと言うな。いつか君をほっぽって出ていっちゃうぞ」  両手を腰に添え、しかし朗らかな笑顔で妻はそう答えた。 「そうならないうちに早めに戻ってきます」  背中を向けると、妻が僕の両肩に手を乗せた。一瞬右肩がズキンと痛んだが、すぐにじんわりと温もりが広がった。 「行ってらっしゃい」 「行ってきます」  陣之内さんから聞いた現場は、自宅から車で一時間もかからない距離だった。だが不思議なことに、仕事でも遊びでもその町を訪れた記憶がない。その為、ラインで送られて来た地名をカーナビに打ち込んでも全く土地勘が働かなかった。やがて静かに眠る町並みが眼前に広がり始めると、なんとも形容しがたい不安がじわじわと胸に押し寄せて来た。  ……さっきまで家にいたのに。先輩の淹れてくれた温かいコーヒーを飲んでいたはずなのに。今はこんなにも寂しく、心許ない。 「嫌な予感がするなぁ」  大通りを脇道に逸れ、広場のような芝生公園を右手に見ながら林沿いを走ること五分少々、目的の家が現れた。二階建て、灰色のコンクリート外壁、門扉の前に赤い子供用自転車が止まっている家。  車を停めて門扉の前に立ち、表札を確認する。『西田』とある。呼び出しブザーを押そうとした時、玄関扉が開いた。 「新開さんですか?」  室内照明の逆光を浴びた黒いシルエットが僕の名を呼んだ。陣之内萌さんだった。深夜にも関わらす、僕は努めて明るい声でこう答えた。 「お待たせしました。拝み屋です」  
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