18:見えない殺人者 2

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18:見えない殺人者 2

 信夫は怒っていた。  いや、怒っていると思っていた。  手配した救急車両に乗り込み、病院へ到着するまでの僅かな時間、電話で信夫と話した。言い訳する気など最初からなかった。しかし僕がどれだけ事細かに状況を伝えても信夫は、 「そんなわけがない」  と事実を否定した。 「そんなわけない、」  信夫はそう繰り返した。僕は最初、僕自身の不甲斐なさを責められていると思った。新開水留がそばに付いていながらパン・華だけが傷を負うのはおかしいじゃないか、そう言われていると思ったのだ。だが、どんな風に伝えても信夫は華ちゃんの負傷そのものを否定し続けた。僕は信夫がどうして事実を認めようとしないのか分からなくなって、 「何を言ってるんだよさっきから」  思わずそう口を滑らせた。だが信夫は怒る所か、さらに強情に同じ言葉を繰り返したのだ。 「新開くん聞いてくれ、華がそんなことになる筈がないんだ」 「だから何をいって……」 「華は霊能者だ。いわばみたいな力を持ってる」 「……は?」  優れた危機感知能力によってどんな危険をも回避する、と信夫は華ちゃんの持つ力を説明した。それはまるで飛んで来る弾丸を避けるのではなく、華ちゃんの前では弾丸の方が自ら進路を変える、そういった能力に近いのだという。 「そんなバカなことあるわけないだろう」  もちろん僕はそう答えたが、それでも信夫は譲らなかった。 「うち(チョウジ)で導入してる霊能識別検査を覚えてますか。私がチョウジに入った時、どこの馬の骨かも分からん奴と背中合わせで現場に立つのはごめんだと言って無理やりあんたに受けてもらったあの適正試験です」 「もちろん覚えてるよ」 「華はあの検査で、Sマイナ判定を取りました」 「……S?」 「分かるでしょう新開くんなら。測定不能と言われた西荻文乃(にしおぎふみの)を除いて、かつてS判定を出したのは史上唯一Sプラを取った三神幻子さんと、Sを取った新開くん、あんただけなんだ。華がSマイナを取った凄さがあんたなら分かるでしょう」 「いや、だからって」 「を覚えてますか」 「あ、ああ、覚えてる」  正式には、『紅符十二畳、その四、ランダム』という名前がついた適性試験の派生系である。試験にはそのイチからヨンまであって、イチは三畳間、二が六畳間、サンが八畳間、ヨンは十二畳間、さらにプラスして五つ目の試験としてランダム要素が加わる。これらは段階的に各々の広さの部屋で行われ、被験者には見えないように畳の下に赤色の呪符(紅符)を敷く。その枚数は畳の数の半数、三畳であれば一枚、六畳であれば三枚、八畳であれば四枚、十二畳であれば六枚の呪符が敷かれることになる。この呪符が敷かれた畳の上を歩くとその場で強烈な呪いを受けるのだが、被験者は目隠しをしたまま呪符をかわしつつ安全な畳を全て踏む、という試験である。最後まで紅符を踏まなければ最高得点であるA判定を取れる。ただ、この試験は意外と簡単だった。僕は怯えながらもA判定を取り、ランダム要素として十二枚全ての畳の下に符を敷き、どれが本物の呪符であるかはチョウジ側も分からない、という条件下で再試験が追加された。しかし、僕はこれをもパスした。通過出来てしまったのだ。そしてAプラスを取った。するとチョウジ側はさらに正確な測定をすると言い出し、呪符の真上さえ踏まなければいいという条件付きで、合計百八十八枚の呪符をばら撒いた。これが信夫の言う、爆雷である。僕はこの爆雷をクリアし、S判定を取った。 「華は、の爆雷をパスしました」 「……ろ?」  僕が通過した試験と同じ紅符が使用された場合、呪符一枚のサイズは縦30×横10センチだ。一般的な畳のサイズは182×91センチと言われているから、一枚の畳に整然と並べて置ける呪符の限界枚数は五十四。十二畳だとその数、六百四十八。つまり華ちゃんは、敷き詰められた呪符の中でたった一枚分だけ空いている安全地帯を狙い、その一ヶ所に向かって飛んだことになる。 「目を瞑ったまま地雷原をジグザグに走るより悪条件の試験ですよ、それでもあいつは全ての呪符を回避して唯一安全な箇所を踏んだんです。人手不足だからって泣く泣く現場に出してるわけじゃありません。華だからこそ信用して任せたんです。そりゃあ経験不足は否めない、だから新開くんを頼った。頭が回らない分あんたの経験と発想力に頼ろうとしたのは認めます、ただ、華が、霊障を受けるなんてことは絶対にありえないんですよ!」  もし信夫の言ったことが本当なら、パン・華にチョウジ調査員としての適性が十二分に備わっていることは間違いない。  霊性、耐性、応用性、感度、オリジナリティの五項目で測定される適性検査のうち、チョウジが最も重要視したのは耐性であると言われている。それは霊障の正体がおよそ目に見えるものではない、という前提に起因している。霊障とは直接的な物理攻撃ではなく、本人が気づかぬ内に怖気などに触れて体調を崩す場合が殆どだ。これはすなわち見えない力による精神的なダメージや、魂に傷を入れられる現象であり、常人には未然に防ぎようがない。目に見える相手ならファイティングポーズが取れるし、心構えも取れる。構えが取れるなら、ダメージを軽減できる。だからこそ、この世ならざる者を相手取るには霊的事象に対する耐性がなくては始まらないのだ。特にチョウジのような職場では必要不可欠と言っていい。  霊性とは、霊能力を使役する規模を測る際に用いられる指標を表すことが多い。ただし、生身の人間が空を飛ぶ、能動的に生霊を飛ばす、空間をつなげるなどの超常現象を引き起こす超高位の霊性を持つ三神幻子などは、自然の摂理から零れ出たイレギュラーとして認識されてしまう。チョウジにおいてはこの霊性の高さは有益とされず、どちらかと言えば霊性が高ければ高い程監視の対象となるケースが多い。  そして感度。これはずばり、霊的なる存在に対する感知能力だ。視覚以外の感覚機能でどれだけ霊障の出所を追えるのか、という点が測定される。僕や華ちゃんが経験した「爆雷」試験がこれにあたる。  オリジナリティとは個性である。霊能者は一般的に混同されやすい超能力者と違って個体差が大きい。霊能者全員が画一的な力を持っているかと言えばそうではなく、除霊に長けた人間もいれば傷を癒せる人間もいる。車の運転が得意な人間やスポーツの得意な人間がいるように、霊能力者にも得意不得意な分野がある、そう考えてもらえると分かりやすいだろう。チョウジの適性検査では端的に言って、「どんな事象を起こせるのか」という点を見られるわけだ。  では、これらの適性検査、試験を踏まえてSマイナスを取るとはどういうことなのか。基本的には成績優秀者(と言っていいと思う)に与えられる最高得点はA判定である。設定されたクリア条件を満たせば総合A判定となる。だがさらにその上の判定を得るには、より厳しい条件下で結果を出すことが求められる。つまりチョウジで優先される耐性、応用性、感度、この三つの適性値が大幅に条件を上回っていること。感度は爆雷で試され、華ちゃんは信夫に絶対回避と言わせるだけの結果を示して見せた。では耐性と応用性はどうか。総合判定Sマイナスということは、どちらかがAプラス判定を受けてもう片方がS判定、もしくはどちらか片方がSプラス判定を取ってもう片方がA判定だった場合である。何にせよ華ちゃんが優れた調査員であることは言うまでもないが、応用性に関して言えば経験値が物を言う。僕は大学卒業前にそれなりの場数を踏んできたという自負があるが、経験不足は否めないと言われた華ちゃんにそこまでの実績はなかったのだろう。だが逆に言えば、その分耐性に優れているということだ。チョウジが最も優先する条件をSまたはSプラス判定で通過した霊能者が、僕をかばったとはいえ肉体的な損傷を受けたのである。室長である信夫が事実を認めたがらない理由が、ここへ来てようやく理解出来た。 「新開くん教えて欲しい、何をすれば華にダメージを負わせられるんです? どんな奴が相手なんですか?」  信夫に問われ、僕はストレッチャーでうつ伏せのまま眠っている華ちゃんを見つめ、考えた。 「華はそもそも影響力の強い地縛霊のいるスポットには立ち入ろうとしない」  と信夫は続ける。「新開くんと一緒に事件現場に立ったんなら、二人いれば何とかなる程度の存在しか感じられなかったか、そもそもそこに地縛霊なんていないか、このどちらかです」 「だけど得体の知れないものに攻撃を受けたことは間違いない」 「見たんですね?」 「いや、見えなかった」 「新開くんにも!?」 「見えなかったんだ」 「そんな……」  武道を極めた達人は自分よりも強大な敵には近づくことが出来ない、という話を聞いたことがある。華ちゃんの持つ危機回避力はそれに近いのかもしれない。相手を退ける力が強いのではなく、最初から近付かない。だが、盲点はここにあるのではないかと思われた。 「華でも感知出来ない、新開くんにも見えないような奴が二人に襲い掛かったって言うんですか?」 「実際その通りだよ信夫」 「何だそれ……」 「考えてみるよ、何となく、分かりそうな気がする」 「本当に!?」 「ああ、もうすぐ病院へ到着する。幸い華ちゃ……華さんの傷は深くないそうだ。バイタルも安定しているみたいだし命に別状はないと思う。一応これで君から頼まれたチョウジの現場巡りは完了だ。後は僕なりの考察を纏めて提出して終わり。このまましばらく病院に留まって今夜のことを考えてみるよ」  言うと、信夫は安堵の溜息を吐き出した後、 「いや」  と低い声を出した。「まだですよ、新開くん」  嫌な予感がした。 「何がまだなんだい?」 「まだ、見て欲しい現場があとひとつ残ってます」 「いや?」  残っていない筈だ。  高品くんが担当する「口を閉ざした少女」。  北城くんが担当する「訪ねてくる女」。  近藤さんが担当する「土葬村事件」。  陣之内さんが担当する「開けると死ぬ箱」。  そして華ちゃんが担当する「見えない殺人者」だ。  きっちり頼まれた全員分の事案をこの目で見て回った。 「……柊木さんか?」  彼女が担当する「教団教祖失踪事件」について言っているなら、確かに現場を見たとは言えない。だが僕が彼女の現場に首を突っ込むなどおこがましいにも程がある。そんな依頼は引き受けられない。柊木さんから直接頼まれでもしない限りは。 「私です」 「……はい?」 「私の現場も見てほしい。新開くん直々に」 「何を言ってるんだ、君は室長だろ!?」 「だからこそですよ。事件を解決するためには手段なんて選んでられない。私は自分の手柄が欲しくてチョウジに入ったわけじゃないんだ。あんただろうと天二だろうと利用出来るものは利用する。それで事件解決が早まるんならそれに越したことはないんでね」 「信夫」 「これから私たちが相手にするかもしれない強大な悪の前に、その他の事件はとっとと片付けてしまうに限ります。そうでしょ?」  黒井七永のことを言っているとすぐに分かった。 「明日、ご自宅まで迎えに行きますので」 「待てって、僕には僕の仕事があるんだぞ」 「一日、いや半日で済みます」 「その間蟹江さんの警護はどうなる」 「あんたが手配してくれた心強い助っ人に相談しました。新開くんが了解出すならかまわない、と」 「本当に? なら名前を言えるかい?」 「上杉さんですよね」 「……」  悔しいがあっている。 「心配なら別に蟹江さんと一緒に来てくれたっていい」 「何を言ってるんだ。一般人が足を踏み入れる事の出来る現場なんてあるわけないだろう」 「近寄るだけなら誰だって可能ですよ、ある一定の距離までならね?」 「……どういう?」 「私なんかよりもよっぽど新開くんの方が馴染み深い現場ですから」 「保育園のことを言ってるのか?」 「ただの保育園じゃない」 「何だよ」 「F区第5保育園です」 「は!」  教団教祖失踪事件だ。柊木夜行の担当する大鎌崇宣教が運営する保育園である。信夫の担当する事案は、F区第5保育園に勤める保育士が引き起こす、無限自殺事件だったのだ。 「どうですか新開くん。面白くなってきましたねぇ?」  言われ、 「お」  面白いもんか!  危うくそう叫びそうになって僕は必死に手で口を押さえた。  正直、吐きそうだった。  
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