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20:保育士ループスーサイド 1
職員専用駐車場に車を停めた所で、路地を挟んだ向かい側に立つF区第5保育園の通用門から出て来る柊木夜行の姿が目にとまった。僕と信夫は慌てて車を降り、入れ違いにならぬよう足早に駆け寄った。
柊木さんは驚いた様子で僕たちを交互に見やり、
「何と声をかけたらいいのか……おはようございます」
と僕に向かって頭を下げた。
僕と信夫が犬猿の仲であることを当然柊木さんも知っているわけで、その二人が朝早くから並んで立つ光景の意味する所を即座には理解出来ない様子だった。しかしそこはやはり感の良い人だ。
「木虎さん?」
柊木さんがそう小声で尋ねると、
「す」
と信夫が会釈で返した。今は属している団体が違えど、助っ人としてチョウジの事案を担当する柊木さんもまた、信夫の抱える事件を多少なりとも知っている様子だった。
昔から、職員間での情報共有がチョウジにおいて必須だった。他人の担当する事案については何も知らない、そういった事態に陥らぬよう連絡を密にかわすのが彼らのやり方である。
「見ましたか、今日」
と信夫が問うと、
「見たよ、元気そうだった」
と柊木さんは答えた。だがそういう彼女の表情にはあまり元気が見られなかった。
「進捗具合はどうですか」
僕がそう尋ねると、やはり柊木さんは頭を振って、「ちょっと」と僕たちに腕を回して駐車場へと戻った。
『教団教祖失踪事件』を担当する柊木さんに対し、大鎌崇宣教本部建物への接触を前に一度F区第5保育園の方から当たってみては、と提案したのはこの僕である。もし崇宣教側に何かしらやましい部分がある場合、令状もなしに調査を進めること自体難しいのではいか、と思ったからだ。だが、F区第5保育園の方は教団が運営する一般施設である。理事長を始め運営関係者に幹部が名を連ねており、大物との接触を測るにはこちらの方が容易いはずだった。
だが、柊木さんは頭を振って、
「ちょっと下調べが足りませんでした」
と自分を責めた。「地域に根付いた団体で地元に園も運営している……ここだけを見れば穏やかな印象を抱いていたんですが」
「違いましたか?」
意外に思いそう問うと、
「どういった理由でかは分かりませんが、キナ臭い匂いのする連中が建物の外に陣取ってますね」
そう言って柊木さんは建物を振り返った。
二階建ての大きな保育園である。玄関部分がピロティになっており、近代的な外観と建物の規模からしてかなり大人数の園児を抱えているのが分かる。一族経営から想像するイメージとは違い、所謂マンモス園と呼ばれる部類に入るだろう。
「外というと、園が外部からの侵入者を懸念して人を配置している、とかですか」
問うと、
「もっと個人的な印象が強いですね」
と柊木さんは答えた。
「個人で用心棒抱えてるんですか? え、誰がすか」
信夫が問う。保育園関係者にそんな物騒な人間がいるだなんて聞いたことはないが、宗教団体でもあるという特性を考慮すれば何となく嫌な気配を感じてしまう。
「失踪しているのは崇宣教の代表大鎌相鉄。園を任されてるのは相鉄の妻で園長の理子。その下に事務員という肩書で息子の大河という男がいる。この大河が実質園の支配者で、彼が用心棒を雇ってるっぽいね。それが園でなのか崇宣教でなのかまでは分からないけど」
「支配者?」
訝る僕たちに柊木さんは声を潜める。
「理子は今年七十九歳で、常に園の中にはいますが実際には何もしていません。大河も園の雑務をこなす優しい用務員さんとして親しまれてはいますが、彼こそが今崇宣教を動かしてる人物なわけです。大鎌相鉄の失踪に関してはほとんど通り一遍のテンプレしか解答しないばかりか、あまり突っ込んだ質問をしようとすると取り巻きを呼んで見せつけられました。このあと集まりがあるので失礼、とか言ってましたけど、結構露骨だったんで驚きましたね」
「どんな男なんです?」
問うと、
「男前でした」
と柊木さんは即答した。「今しがた会った時は作業着のようなものを着ていましたが、普段はバシッとしたブランド物のスーツなんかを着ている印象です。精悍な顔つきでしたね、六十近いと思うんですけど、イケイケな雰囲気でした。ちょっと苦手なタイプです」
「ヒー様」
と信夫が愛称で呼ぶ。
「ヒー様呼びはやめてって」
柊木さんが顔を曇らせる。
「どっちで名乗ったんすか。うちか、拝み屋か」
大鎌大河という人物に対する、柊木さんの自己紹介の仕方を聞いているのだ。今彼女の立場は、少しばかりややこしい。
「辞めておいて今更悪いとは思ったけど、公安職員として行った。確認されても椎名部長ならなんとか機転を利かせてくれるだろうし、そもそも天正堂の名前はこちらからは明かせないしね。相鉄の失踪に関して話を聞こうにも、拝みを名乗ると途端に崇宣教の顔をされると思って」
「でもこっちが警察の顔して出て行って、それでも向こうは用心棒出して来たんですか。そんなゴリゴリの態度なんですか?」
「うん」
「うんて。……連中、本気で大鎌相鉄を探してほしくないようですね」
信夫の言葉に僕と柊木さんは頷いて返す。僕たちが懸念していた通りに事が進み始めた。こうなって来ると、信夫の言う通りますます崇宣教が怪しい。失踪した相鉄氏はやはり亡くなっており、遺体を教団本部が隠しているという可能性が濃厚である。実際相鉄氏の霊体が本部建物の周辺で目撃されているのだから、大河や理子園長が全くの無関係であるとは考え難い。大河が雇っている用心棒がどういった理由から来るものなのか、そこだけはまだ分からないが、全体的にかなり黒に近いグレーであると感じる。
ふと目をやると、僕たちが車を停めた職員専用駐車場や、隣接する運動場、通用門から玄関ピロティまで、かなり派手な飾り付けが施されていた。僕にも見覚えがある。やはり、運動会か近いらしい。
「明日です」
僕の視線を察して柊木さんが言った。「おそらく明日は園長や大河もこっちにべったりでしょうから、逆に私たちは本部に突撃することにしますよ。当たって砕けろです」
「突撃って柊木さん」
「言葉の綾です。さっき連絡があって、私の方へもうちから助っ人が来てもらえるそうなんで、二人で様子見て来ますね」
僕が手配した、天正堂本部からの応援のことである。誰すか、と信夫が僕たち二人の顔を交互に見る。
「トガイさん」
柊木さんが言うと、
「釣り師ですか」
と信夫が意外そうな顔をして見せた。「珍しいですね、現場出るなんて」
僕としては適材適所な人選だと思うが、実際どう転ぶかは出たとこ勝負に近い。別れ際、信夫が柊木さんに木虎祥子の印象を尋ねた。すると柊木さんは嫌悪感の浮かんだ顔で首を横に振り、
「引く」
と短く答えた。
「え?」
「引く。あんな可愛い顔して他所では死にたいとか言ってるんでしょ。正直引くよ。自分の子どもをここに入れるんならあの人には絶対担任になってほしくないね、悪いけど」
しばらく職員専用駐車場で園の外側を様子見していたが、柊木さんが言うような用心棒らしい人物の姿は見受けられなかった。朝一番で運動場に出て来る園児や保育士の賑やかな光景以外は、街の住人が自転車や徒歩で園の側を通りすがるのみで不審人物もいなかった。F区の治安はかなり良さそうである。
「行きますか」
信夫切っ掛けでようやく園の中に入った。玄関ホールのすぐ脇に職員室があって、
「こんちわー」
慣れた口調で信夫が入り口から声をかけた。真っ先に大河に会えるかどうかの確認を取ってみる。先程柊木さんが尋ねたばかりで不審がられるかと思ったが、個人的にかなり興味があったのだ。相鉄氏の失踪事件に関しては、息子である大河をどれだけ早く突き崩すかによって解決に要する時間が変わってくると確信していた。それに、僕自身相鉄氏とは知らぬ間柄ではない。直接会って何度か話をしたこともあるのだ。もし彼の死に息子が関わっているなら、会ってその顔を見ておきたかった。
「あいにく所用で不在にしておりますが、お急ぎでしたら連絡をとりましょうか?」
職員の返答に、信夫は人懐っこい笑顔で、
「大丈夫です。ありがとうございます」
と答えた。「所で、今日は、木虎先生は」
彼がそう尋ねた瞬間、職員の顔色が変わった。視線を走らせると、職員室内の空気が一変するのが目で見て分かる程だった。クラス担任はすでに担当教室に向かい数名しか残っていないにも関わらず、広い職員室内の空気がビシッと音を立てて凍り付いた。
「あー、ええーと……ええ、も、もうあの、自分のクラスに向かいましたが、すみません、保育中の呼び出しは出来ない決まりですので」
青ざめた顔で取り繕う職員がそう言うも、
「ですよねー」
と信夫は笑顔を崩さない。
おや、と思う。
職員の対応に差が出た。
すでに席を外して園からいなくなった大鎌大河相手には連絡を取ろうかと提案するくせに、園内にいると分かっている木虎祥子には会わせまいとする。元々の教職員ルールがある為理由に不自然な点はない。だが、普通に考えて、山田信夫に仕事を依頼して来たのがF区第5保育園ならこういう対応にはならないはずだ。少なくとも青ざめるいわれはない。何ならホッとした顔で、
「お待ちしてました」
と言われてしかるべきだろう。そう言えば、僕は信夫から彼の担当する事件の依頼人が誰であるかを聞いていなかった。
「信夫、ちょっと」
声をかけて彼の背中を摘み後ろへ下がらせる。「どういうことだい? 君は一体誰の依頼で動いてる?」
「あははー」
と信夫は白々しく乾いた笑い声を上げる。「決まってるじゃないですか」
「誰だよ」
信夫が振り返って僕を見た。真剣な目だった。そこには愛想の良い外面には決してない、仕事人としての熱意が浮かんでいた。
「木虎祥子先生本人ですよ」
「……そうきたかぁ」
信夫が初めて僕にこの事案の話をした時、彼はこう呟いた。
『だから解決出来ないんですよこれ』
木虎祥子さん本人にも、自責の念があると言っていた。自殺の原因も精神的な病であると自覚しており、追いつめられる所まで追いつめられた彼女は、心療内科を受診するより先に死を選んでしまうという話だった。つまり木虎さんは、死んでは生き返り死んでは生き返る、そんな自分を救いたくてチョウジを頼ったのだ。
「ヒー様の言葉はだから、私には正直どんな刃物より鋭利だったっすね。自分の依頼人がどういう立場にいるのかよく分かりましたよ」
「ひ」
柊木さんはそこまでの深い事情を知らずに、聞かれるがまま木虎さんの印象を語ったに過ぎない。彼女は無闇に人を傷つけたりなんかしない。
「分かってますよもちろん、上司だった人ですから。あの人が間違ってるわけじゃない。でも、だからこそですよ、新開くん。誰にも理解されずにずっと死ぬことを考えてる私の依頼人は、本当は誰よりも生きたいんじゃないでしょうか。少なくとも私はそう思うんです。彼女のその矛盾が心の病なら、専門の医者に罹って前向きに治療に励んでほしい。だけどそれ以上に依頼人の行く手を阻んでいるのは、死んでも生き返るという歪んだ現実です。この歪んだ現実があるせいで容易に自死を選択してしまっているなら、いつかそのまま本当に戻ってこれなくなるという恐れに一刻も早く気付いてほしい。馬鹿な選択肢を捨ててほしい。そう思ってるんですよ、私は」
「分かった」
僕は頷き、それ以上は何も聞かなかった。
本当は、分かったなんていう簡単は言葉では表現できない思いに胸がいっぱいになっていた。山田信夫は変わった、そんな驚きに感動していた。昔、あれだけ僕に突っかかって来た嫌味な男が、今はどうだろう。依頼人の心に寄り添うあまり、尊敬する上司の言葉にも深く傷ついている。こんな日が来るとは思わなかった。もしもこれが信夫の本当の姿で、僕といがみ合っていた頃の彼が若気の至りだというなら、ほんの僅かな歩み寄りで僕たちは仲違いなどせずにやってこれたのかもしれない。
「とりあえず、木虎先生の手が空く時間まで待ってみようか」
「新開くん、時間平気ですか」
「平気じゃないよ。でもここで帰れないだろう?」
今回の現場視察は半日で終わる筈だったが、やはりと言うべきか、予想通り終わる気配は見られない。僕は一旦連絡を入れ、天正堂の拝み屋であり現在蟹江彩子の警護に当たってくれている上杉奉禅に事情を説明した。同時に蟹江さんに関する報告を受けたが、今の所家から出ずに仕事を続けているとのことだった。
再び車に戻り、僕と信夫は駐車場からフェンス越しに運動場を見つめた。大人の男が朝っぱらから二人で園児を見ているのだから不自然極まりない。だが一度職員室に顔を出しているからだろう、通報されるような事態にはならなかった。やがてチラチラと、運動場内の保育士たちが僕らの方を見て警戒していることに気が付いた。気まずくなって僕は車に乗り込もうとしたのだが、
「新開くん私ね」
突然、信夫が話し始めた。
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