22:すれちがい

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22:すれちがい

「山田が、戦線離脱」  電話口の向こう側で息を呑む柊木さんの声に、僕は責められたわけでもないのに小さく縮こまるような心持ちになった。救急搬送された信夫は病院に運び込まれた段階ですでに覚醒しており、骨折と打撲によるダメージは深刻ながら、幸い命に関わる程の重傷ではないと診断された。だが、もちろんすぐに現場に立つことなど許されない。  僕は柊木さんを始め現チョウジの実働隊全員に連絡を入れ、信夫の負傷を伝えた。皆口々に驚きの声を上げ、真っ先に信夫の容態を案じた。だがその中でも事の重大さを最も真摯に受け止めたのは、柊木さんと、チョウジの室長補佐である高品くんだった。彼は責任感のある男である。信夫が動けなくなった今、各メンバーがそれぞれ抱えている事案に対し、目を配らせる役目が自分に回って来たことを憂いた。高品くん自身、自分の担当する案件にかなり手こずっている。その上、後輩である陣之内萌の動向を気にかけながら、信夫よりも先に背中を負傷したパン・華の現場を兼任する必要性をも感じていた。到底、無茶な話である。むろん、僕の方で何とか手を回してみると提案した。しかし高品くんは北城くんと違い、なかなか自分の責務を他人の手に委ねようとはしない男だった。 「……ですので、柊木さんからも上手いこと言って高品くんの気持ちを収めてもらえる助かります」 「分かりました。分かりましたが新開さん、かなり面倒なことになって来ましたね」 「確かに」 「いくら天正堂とは言っても、そんなすぐに人の手配が間に合いますか」 「何とかしますよ。何とか……しなくちゃ」  信夫が運び込まれた病院の廊下、備え付けの電話を使って話をする僕の側に、パジャマ姿の華ちゃんが心配そうな顔で立っている。彼女の背中の傷は深い部分には到達していなかった。本人は必ず一週間以内に現場復帰しますと宣言している。だが僕はそれすらどうかと考えていた。適性の話だ。信夫の話からパン・華がかなり高い数値の霊感と耐性を持っていることは分かった。しかしそんな彼女でさえ、敵からの正体不明の攻撃を回避できなかったのだ。仮に今すぐ現場に戻れた所で、同じ結果になることは目に見えていた。  僕は顔を上げて微笑み掛け、 「大丈夫だよ」  華ちゃんにそう頷いて見せた。  だが、全くもって大丈夫ではなかったのだ。  顔見知りの医師に無理を言って、遺体安置室に入れてもらった。冷たい寝台の上で横たわる木虎祥子の側に椅子を置いて腰かけ、何をするでもなく時間を浪費した。考える時間が必要だった。だが、何をどう考えてよいのか頭の中が纏まらなかった。  木虎さんの死因は頸椎損傷と頭部への強打撲。信夫の身体が下敷きになったおかげでその他の損傷は免れたが、頭を強く打ったせいでそれが致命傷となったようだ。信夫が身を挺して守ろうとしたにも関わらず、彼の負った右手右足の骨折は文字通り骨折り損となったわけで、検死を担当した職員も顔をしかめて「やりきれんね」と愚痴をこぼした。  だが、僕には分かっていた。信夫が庇った結果、木虎さんは首の骨を折った程度で済んだのだ。あえなく命を落としはしたが、僕らの共通認識通りであれば、彼女はすぐに跳ね返す筈である。 「首吊りで三日、飛び降りで五日、練炭だと半日で……」  飛び降りと言っても死因は様々で、自殺志願者がどの程度の高さから飛ぶかによって変わってくる。高層ビルの屋上ともなれば死因は間違いなく頭部と内臓の破裂、肉体損傷に伴う出血ということになる。全身の骨が砕け、身体のパーツが捩れてしまう場合も多い。それらの修復にかかる期間が五日間なのだとすれば、今回のように二階の屋根から飛んで頸椎の骨折で死んだ場合はもっと短期間で戻ってくるだろうと踏んでいた。早ければ明日にも……  ピリリリリ、ピリリリリ 「……っくりした」  自分の携帯電話なのによく驚かされる。懐から出して耳に当てるも、相手は何もしゃべらなかった。 「新開」  言うも、それでも声は返ってこない。地下にいるせいかもと思ったが、着信があったのだから話せるはずで、電波状況が不安定でも細切れの声やノイズやなんかは聞こえてくるはずだった。 「何故何も言わないんだ?」 「……」  驚いて反射的に応答したせいで、また相手を確認するのを忘れてしまった。僕は自分自身に溜息をついて、 「誰でもいいさ。でも今はやめてくれ」  そう言って電話を切った。チョウジでないことくらいは分かる。ならば急ぎの電話ということもあるまい。そこまで考えた瞬間、背中に落雷を受けたような衝撃が走る。  ――― 何をやってるんだ、どうして切ったんだ、蟹江さんかもしれないのに……!  慌てて電話を見返すと、着信履歴の画面に表示された名前は、 「京町泰人」  だった。掛け直してもつながらない。怒らせたかもしれない。相手は京町泰人の携帯番号だったが、掛けて来たのはおそらく蟹江さんだ。自分のスマホの充電が切れたか、故障したのかもしれない。重要な理由があってわざと京町泰人の番号からかけて来た可能性もある。  立ち上がって上の階に戻ろうとしたその瞬間、視界の隅で何かが動いた。 「 ――― ッ!」  白いシーツだった。  木虎祥子の遺体にかけられた白いシーツが動いている。仰臥している彼女の丁度右手のあたりが持ち上がり、衣擦れの音を立てて体側へとずれ動いていく。 「き……ッ」  遺体の顔が覗いた。  とても綺麗な顔だった。  瞼が開き、黒目のない濁った灰色の眼球が僕を見ていた。 「そんな気がした」  声のした方を見やると、戸口に立って信夫が僕たちを見ていた。右腕には三角巾、右足にはギブスである。一人で歩いて地下霊安室まで下りて来たことが信じられない程の重症患者だ。だが僕には驚きなどなかった。信夫程精神的にタフな男なら、生きているうちには何を仕出かしても驚かない。だから、死んでしまったはずの木虎祥子が蘇る瞬間を目撃した僕の驚きを上回ることはなかった。 「信夫」 「新開くん、あんまり見ないでもらえませんか、先生は今、裸なんで」 「そんなこと気にしてる場合か。だって」 「だってもくそもあるか。男なら気を使えっての」 「あ、いや」  信夫は左足と折れた右足の踵を器用に使って歩いて来ると、仰向けに横たわったままの木虎先生にシーツを掛けなおした。 「見たんですね」  と信夫が言う。裸の話ではあるまい。 「たった今だよ、こんなに早いとは思わなかった」 「何とか誤魔化せませんかねえ」 「……え?」 「保育園。木虎先生さえ生きて動いてれば、嘘だって何だって突き通すことが出来るんじゃありませんかね。例えば屋上から人形が落ちるのを人と見間違って私が落ちてしまった……だとか」 「園児や親御さんたちには通用しても、他の先生たちがそんな世迷言を受け入れないさ」 「世迷言でもいいじゃありませんか。子どもたちにはそう言って事故だと思ってもらいましょうよ。うちで根回ししますんで、新開くんも口裏合わせてくださいよ」 「どうしてそこまでする。それはつまり彼女に現場復帰させたいって意味だろ。無茶だろうどう考えたって」 「だったらどうすりゃいいんだ!」 「……」 「あんたは一度も先生と面と向かって話をしてないじゃないか。木虎先生がどれだけいい先生なのかあんた知らないじゃないか!」 「信夫。君はひょっとして」 「違う」 「君はこの木虎先生とナカニシ先生を重ね過ぎてやしないか」 「……そんなんじゃないって」  シーツの下からすすり泣く声が聞こえて来た。  衝撃だった。ほんのついさっきまで遺体だった人間が、今は僕たちの会話を耳にして泣いているのだ。死因が自殺と断定されたため解剖はされなかった。だが、百パーセント木虎祥子は死んでいた。黒井一族でもない彼女が、僕の目の前で生き返ったのである。  信夫は寝台に左手をついてうなだれたまま、 「すみませんでした」  と詫びの言葉を口にした。それが僕ではなく、木虎先生に向けられた謝罪であることは明白だった。「また、あなたの命を守れなかった」 「いいんです」  小さな声がそう言った。若く、少し掠れた女性の声だった。「私は頭がおかしいから、山田さんが責任を感じることではないんです。私の頭も、身体も、魂さえも、きっと生まれた時から呪われているんです」 「そんなことはない」 「お願いがあります」 「……なんでしょう」 「今日私が着ていたジャージのポケットに、〇〇ちゃんのご両親あてに書いたお手紙が折り畳まれて入っています。お帳面に入れて渡すはずだったお手紙です。〇〇ちゃんが、お友達と喧嘩をしてしまって、ひどいことを言われたといって悩んでいるのを知って親御さんから相談を持ち掛けられたんです。そのお返事を、手紙に書きました。どうか、そのお手紙だけでも、〇〇ちゃんのご両親に渡していただけたらと思います」  寝台に着いていた信夫の左手が拳に変わる。 「私は、第5保育園を辞めます」 「先生、何とかそうならないように……」 「よく分かったんです。こんな私が子どもたちの側にいていいわけがありませんでした。本当は山田さんにご相談するようなことじゃなかったんですよね。もっと早くに諦めて田舎に帰るべきでした」 「先生」 「……ひとつだけいいですか」  そう問うと、シーツの下で息を呑む音が聞こえた。僕の存在を知らなかったわけではないだろうが、話しかけてくるとは思わなかったのだろう。信夫が睨み上げるようにして僕を見ていた。 「新開水留といいます。拝み屋です。ひとつだけ先生にお伺いしたことがあります。木虎先生は今日の、あの瞬間の出来事を今でも覚えていらっしゃいますか?」  あんたなあ、と信夫が片手で僕の襟元を掴み上げた。だがいかせん体幹が不安定で威力がない。 「覚えて、います」  シーツの下で、木虎先生は答えた。 「あの瞬間先生はどうして死を選んだのでしょうか。あの時見た僕の目には、先生は園児たちと一緒にとても楽し気にしておられた。あの時着ていたジャージのポケットには親御さん宛ての手紙まで入っていた。それなのにどうして、先生は自ら死を選んだんです?」  信夫が渾身の力で僕を突き飛ばした。バランスを崩した信夫は木虎先生が横たわる寝台にぶつかり、僕はよろけて壁際のロッカーに背中を打ちつけられた。だが痛くもないし、やり返そうとも思わなかった。僕だってこんな質問、したくてしているわけじゃない。 「選択肢は二つあります」  と僕は続けた。「どうしても死にたいと思ったか、頭の中で死ねと誰かに命令されるのような声を聞いたか。子どもの未来の導き手であるあなたに、一体何が起きていたのでしょう」  すると木虎先生はしばし考え、やがてこう答えた。 「と……強く、そう思ったのを覚えています」  僕と信夫の視線が交錯した。僕が提示した選択肢に当てはまらない、第三の理由が浮かび上がって来た。死にたいではなく、死ななくてはいけない……? 「どういう意味でしょうか」  問うと、やや間を置いた後、木虎先生はこう言った。 「私は生きていてはいけない人間なんだと、そう、強く信じている自分がいます」 「何故?」 「……分かりません。気がついた時にはその感情に支配され、自殺を実行に移していましたから」  ――― では何故、あなたは何度死んでも蘇ってくるのですか。  僕はその質問をぐっと飲み込み、正直に答えてくださったことに礼を述べると、そのまま信夫と木虎先生を残して安置室を出た。  木虎祥子の内なる自殺衝動の謎、そして何度死んでも蘇る肉体の謎を解明する究極の答えを、本人の口から聞き出すことは出来ないと思った。もしそれが可能なら信夫がとっくにやっている。だから僕は、これ以上このケースに首を突っ込むべきではないと判断した。現場を見てくれと言われはしたが、担当してくれと言われたわけじゃない。請われれば、こんな頭で良ければいくらでも貸す。だが今は、信夫が納得できるまで自分の道を突き進むべき時なのだろう。そして僕には僕の事件があり、ひとつの場所でじっと足踏みしている暇などなかったのだ。  何度折り返しても、京町泰人の電話は繋がらなかった。  僕は蟹江彩子の警護に当たっている上杉奉禅に連絡を取り、今からそちらに向かうことを伝えた。上杉さんは特に変わった出来事も起きていないため忙しいなら来なくていいと気を使ってくれたが、気持ち的にそういうわけにもいかなかった。  木虎先生に対する信夫の熱い思いを見たからもしれない。他人の熱意に感化されてしまうなど、僕もまだまだ若いなと思った。  しかし、結論から言えばこの日、僕は蟹江彩子に会えなかった。彼女の自宅兼仕事場には向かったし、上杉さんからも僕がいない間の報告を受け取った。確かに別段変わった様子もないようだったが、何度呼び鈴を押しても蟹江彩子は部屋から出て来ず、いくら名前を呼んでも、 「帰って」  玄関扉の向こう側でそう言うばかりで、最後まで顔を見せてくれることはなかったのだ。
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