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23:柊木夜行の報告
「あの女が来ました」
北城くんからの連絡を受けた。
サンシャインパレスの807号室、矢沢誠二さんの部屋に例の女が訪ねて来たのである。
「カメラを仕掛けたんですね」
と北城くんは言う。「今これ自分の電話で話してるんですぐには無理なんですけど、後でその映像を送りますね」
「送るって、北城くんのスマホを仕掛けたのかい?」
「ええ」
無茶をする、と思った。
「他にも撮影機器を持ち込んでたんですけど不自然なくらい皆壊れてしまいまして、手持ちが自分の携帯電話しかなかったんですね。でも、バッチリ撮れました」
エレベーターから出て来た女が、矢沢さんの部屋の前まで歩いてくる光景を撮影する事が出来た、という。ただし夜の廊下、玄関前の足元にゴミ箱を置いてその影に仕掛けたものだから、映像は酷く昏く、鮮明に顔を認識出来るとは言い難いそうだ。それでも、女の存在が明らかになったのだから大したものである。以前検問中に撮影出来た防犯カメラの映像と照合した所、同一人物で間違いないそうだ。
「犯人が人間であるという説に真実味が増してきたね」
そう言って僕も喜んだ。だが北城くんは今一つ浮かない声で、
「ええ」
とだけ。
「どうしたの?」
聞くと、北城くんはこう答えた。
「何となく見覚えあるんですよねえ」
――― え?
新開さん、出てきました。
声をかけられ、
「こ、こちらから折り返すよ。映像だけ頼む」
僕は慌てて北城くんとの通話を終えた。……見覚えがあるだって? どういう事なんだ。
この時僕は、柊木さんとともに大鎌崇宣教本部のあるF区の住宅地を訪れていた。柊木さんの現場に自ら首を突っ込むような真似はしたくなかったが、昨夜気になる報告受けて居ても立ってもいられなくなったのだ。
その日柊木さんは、天正堂からの助っ人であるベテランの拝み屋、兎谷虹鱒と二人して崇宣教本部に向かった。同日、同じ区内にある第5保育園では運動会が催され、件の教団支配者と目される大鎌大河や園長の理子らは表の行事に参列することになっていた。つまり、教団幹部が手薄な時をあえて狙って来訪したわけだ。
「相手の納得を得られぬまま、こちらサイドの理由だけで建物内を捜索するのは無理だと判断しました。そこで、新開さんがお願いして来て下さった兎谷さんのお力を借りる事にしたんです」
柊木さんはある計画を用意していた。具体的には、教団本部建物周辺で目撃されているという大鎌相鉄氏の霊体を呼び出そうという試みである。実を言えば、この事自体は僕も手段のひとつとして考えていた。相鉄氏の遺体を足で捜索出来ないなら、肉体ではなく霊体を呼び出せば良い、という発想だ。この計画が実行可能なのは、天正堂内にも兎谷虹鱒ただひとりしかいない。まさに適材適所だ。その上で、柊木さんはさらに驚くべき行動に出た。
「……とは言っても、全く教団の人間を相手にしないのも負けた気がして癪ですから、私は私で本部の扉を叩きました。兎谷さんには、その裏側で動いてもらいやすいようにと」
つまり、柊木さんが言葉の綾だと言った「突撃」を彼女は実行に移したのである。
訪れた時間は早朝。大河と理子の住まいは本部建物から徒歩十分圏内にあるが、朝早くから園の行事へ参加する為、この日は本部には立ち寄らなかったそうだ。しばらく前から張り付いて車の出入りを確認していた柊木さんは、F区第5保育園の運動会プログラムが開始される時間を待って、本部建物の玄関前に立った。
教団本部は「一季小神殿」と言う名の鉄筋建造物で、神仏を崇めない大鎌崇宣教の象徴でもある。敷地は第5保育園の児童たちが通う散策路と、参拝客用の庭園を併設する広大な土地で、基本的には部外者の立ち入りを禁じている。入ったからと言って警備員が飛んで来ることはないが、地域住民向けに公園として開かれているわけでもないらしい。柊木さんが足を踏み入れた時には人影もなく、静寂さの中にある種の緊張感が漂っていたそうだ。防犯カメラが設置されている可能性を考慮し、兎谷さんとは敷地に入る前から別れて行動を開始するという徹底振りだった。そんな柊木さんの報告は、以下のようなものだった。
「受付には年配の女性がひとり詰めているだけで、普段からそこまで人を配置している雰囲気はありませんでしたね。怖いくらい静かで、だけどやたらと大きな施設なもんですから、さすがに少し気遅れしました」
一階部分は信徒を集めて集会(と呼ぶのかは分からないが)を開くためのホールのような造りで、玄関から入って右手すぐの場所にある受付とその脇にお手洗いがある以外は、これといって見るべきもののない大伽藍だったそうだ。
「警視庁から参りました、柊木と申します。今日は、こちらの代表者の方はいらっしゃいますか」
大鎌大河不在を知りつつそう尋ねると、ガラスの向こう側から眠そうな顔を覗かせて、
「今日は園の運動会ですから」
と、年配の女性が小声で答えた。
「ああ、そうでしたね。では、他にはどなたか?」
「どういったご用件で?」
「大鎌相鉄氏の行方が分からなくなっている件で、情報を整理させていただきたくお話を伺いたいのと、あと……」
「……はい?」
「最近、おかしな噂が出回っているそうなので、そちらについても」
「はあ。噂」
知らなそうだな、と柊木さんは思ったそうだ。受付の女性にはいかにも惚けるような素振りがなく、本当に柊木さんの話を理解していない様子だった。
「聞いたことありませんか、この辺りで、夜な夜な相鉄氏の姿が目撃されている……そういう噂です」
柊木さんはある部分を秘密にしたまま、直球を放り投げた。
受付の女性が教団内でどの程度内部事情を知っている立場なのか分からないが、少なくとも本部に詰めている人間である以上、相鉄氏の失踪を把握していなければ変である。その上で、地域住民から相鉄氏の目撃情報が出ているという噂を聞いては、心中穏やかでいられるはずがなかった。柊木さんは自分が警察であることを最初に名乗っている。公的機関が宗教法人の代表を捜索し、教団本部周辺から目撃情報が出ていると打ち明けたのだ。だが柊木さんは、その目撃の内容が相鉄氏の霊体であるとは言わなかった。
仮に教団側にやましいことがひとつもなければ、新たなに浮上した情報に喜んで飛びつく筈である。だがもし教団が相鉄氏の失踪に直接関与している場合、
「これはひょっとして疑われているのか?」
常人ならばそう連想するはずであった。
「ご存知ありませんか?」
柊木さんが問うと、受付の女性は首を傾げて、
「さあ」
と答えた。目を細め、困り顔で頭を振る。本当に何も知らないか、アカデミー賞ものの芝居を打っているか、そのどちらかだった。その時、
「何の御用でしょうか」
背後から声をかけられ、柊木さんは振り返った。
「あ」
現れたのは髪の毛を短く刈り上げたスーツ姿の男性で、年の頃は四十代。細面で、塩顔の男前。だが見た瞬間、柊木さんはその男が堅気ではないと直感したそうだ。見た目にそれらしき情報が表れていたわけではないが、柊木さんは確信に近いものを感じたという。
「おはようございます」
動じず、柊木さんは視線を男に定めたまま頭を低くした。「警視庁から来ました、柊木といいます」
「今は困ります」
と、男は答えたそうだ。名前を名乗ろうともしなかった。
「はい?」
怪訝な顔を作って柊木さんが問うと、
「今は話の出来る人間が出払ってますんで、お引き取りを」
と男は答えた。
「……では、あなたは?」
そういうあなたは、誰なんだ。
「答える必要はありません」
「何ですって?」
「私が誰かなんてあんたに関係ないと言ったんだ」
「いや、あの、私はこちらの代表である大鎌相鉄さんの捜索を行っています。あなたが教団の関係者であるならもう少し」
「捜索願など出していないと聞いてるぞ?」
「は? ここいらの小売店にチラシを配り回っておいて?」
「教団が自分たちで探すというそれが意志の表れじゃないか。教団のことを少しは勉強してから来るべきだ。教団が最も大切にしているものが何なんのかを知っていれば、そんな馬鹿げた話などするものか」
「託宣。……ご神託ですよね」
「……」
「神様に聞くから警察の手は借りないと? そう言いたいわけですか」
「何だそのふざけた言い草は。あんた本当に警察か?」
「確認をとりたければどうぞ。そもそも警察の捜査に協力しないと言い張る態度がどういう印象を与えるのかお分かりですよね」
「関係ない。あんたらの世話にはならない」
「目撃情報が寄せられている以上教団だけの問題ではありませんから、名無しの権兵衛さんがどれだけ突き放した所で警察はまた来ますよ。私以外にも、わんさと」
「……」
男は眼を細め、柊木さんをじっと見た。凄むような威圧的な睨みではなく、心の内側を覗き込んでくるかのような恐ろしい視線だったそうだ。
「とにかく、今日の所は帰ってくれ。また来るなら好きにしたらいいが、今度は大鎌大河がいる時を狙って来てくれ。他の者では何も話にならないからな」
「そのようですね。そうすることにします」
柊木さんは受付の女性に笑顔で会釈し、踵を返した。「……所で」
「何だよ」
立ち止まって振り返った柊木さんに、男は煩わしそうに言った。
「あなたの他のお友達、園の親御さんたちから苦情が出てるんで、あまり園児たちの周りでうろうろしないでくださいね」
「……」
大鎌大河が個人的に雇っている用心棒のことを虚実織り交ぜて指摘した。その男の顔は第5保育園で見た中にはなかったが、おそらくその筋の関係者であることは間違いなさそうだった。柊木さんはそのまま立ち去る振りをして、再び立ち止まった。
「そうだった」
「おい、馬鹿にしてるのか」
「あと、あなた」
「……何だ」
「教団の人間じゃありませんよね。ここで何してるんです?」
去り際、受付の女性に向かって会釈した瞬間、彼女は怯えた顔で小さく首を横に振ったそうだ。柊木さんはスーツの右裾を跳ね上げ、腰に差したホルスターから拳銃を抜き取った。
「……」
だがそこに拳銃はない。柊木夜行はすでに、チョウジの調査員ではないからだ。
「何だ。携帯でもなくしたのか」
「……いえ?」
「それともピストルか?」
「……」
「ドジめ。刑事がピストル忘れて来るかよ」
「名前を言いなさい」
「調べろよ。得意だろ?」
「大鎌相鉄の失踪について何か知ってることは?」
「っは!」
男は気を吐いて一笑に付すと、いかにも力の抜けたリラックスした態度で柊木さんに向かって歩み寄った。そしてそのまま彼女の横を通り過ぎ、
「じゃあな」
と言って建物を出て行ったそうだ。
――― 追うことも出来ました。
と柊木さんは言った。だがあえて追わなかったそうだ。正直、思い付きで飛び込んだ割には想像以上の進展が見られたことで、現状に満足していたという心境も大きい。加えて、この日の柊木さんは単独行動ではなかった。持ち場を離れること自体にはそれほどの障害はないが、このまま一人で男を追って、兎谷虹鱒の援護に回れなくなるのは問題だろうと判断したのである。あくまでも兎谷さんは助っ人である。現場を彼一人に任せるわけにはいかなかった。条件反射で拳銃を掴もうとした自分のミスに柊木さんは落ち込んだ。しかし、それ以外の部分では彼女は最後まで冷静だった。
立ち去った男の素性については、受付の女性も知らないと答えたそうだ。初めて見る男で、いきなり建物内部の奥から現れたことで泥棒だと勘違いしたらしい。ただ、柊木さんは当然その男が教団にとって全くの無関係であるとは考えていない。少なくとも大鎌大河の関係者であることは間違いないわけだから、その線から男の情報に探りを入れてみる、と柊木さんは自身の報告を締めくくった。
だが、この日彼女らが描いた計画は実の所、ここからが本番だったのだ。
兎谷虹鱒、六十歳、男性。天正堂所属の拝み屋で、現在階位はもっていない。年齢的にもベテランの域に達する経験豊かな人物ながら、彼はこれまで表立って仕事をしてこなかった。理由はいくつかあるが、あまり仕事に対して前向きな性格ではないのと、彼自身が持つ特技が関係していた。
趣味の釣り好きが高じて「釣り師」というあだ名で呼ばれているが、兎谷さんは実際、自身の霊力を餌に亡くなった人間の魂を地の底から引っ張り上げる事が出来る。ひと言で言えば、死者を呼べるのである。だが結論から言えばこの日、兎谷さんは大鎌相鉄氏の魂を呼び出すことに失敗した。柊木さんから報告を受けた僕は居てもたってもいられなくなって、急遽大鎌崇宣教本部へと駆けつけた。
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