24:崇宣教を束ねる男

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24:崇宣教を束ねる男

 兎谷虹鱒(とがいにじます)の力は言うなればイタコに近い性質を持っている。  イタコとはいわゆる口寄せで、亡くなった人間の霊を己の肉体に憑依させて言葉を伝えるシャーマンである。東北地方に多く存在し、土地によってはイタコのことを拝み屋と呼んだりもするから、現場次第で僕たちと混同されることもままあった。どちらかと言えば天正堂は霊障の源を祓う側であり、イタコは霊を呼ぶ立場にいる為棲み分けは出来ているが、土着文化や民間信仰との関わり合いは、とかく慎重にならざるを得ない。  ただし天正堂の拝み屋である兎谷虹鱒は、自身の身体に霊魂を降ろすことをしない。やっていることは死者を呼び寄せる点で口寄せと同じだが、彼は釣り竿で魚を釣るように、地の底から霊魂を引っ張り上げるのだ。初めて見た時は僕も何かの冗談かと思った。イタコは厳しい修行の末に会得する職業能力と言って良いと思うが、兎谷さんのそれはまさに天賦の才だった。彼にしか起こせない奇跡である。兎谷さんはその人物が死んだ場所に立つことさえ出来れば、木の棒と麻糸を釣り竿に見立てて構えるだけで、早い時には五分とかからず霊体を呼び寄せることが出来た。制約はただ一つ、故人が亡くなった現場に立つという条件だけである。  かつて天正堂代表の座を長らく勤め上げた大英傑・二神七権(ふたがみしちけん)は、ほとんど何の制約も受けずに死者を生き返らせることが出来た ――― 実際には細かな点で制約はあった。同時に複数の人間は不可、死後時間の経ち過ぎた人間は不可など。しかしその他物理的な面で、例えば己の血肉を触媒にするとか呪物が必須であるとか、手の込んだ儀式を必要とするなどといった限定条件は何もなかった。これがいかに凄まじい力であったかは改めて考えるまでもないだろう ――― その原理は、この世に留まり浮遊している死者の魂を捕まえて強制的に肉体に戻す、というものだったらしい。科学的には解明しようのない事象であり、「どうやらそういうことらしい」と人伝に聞いただけなので真実は定かでない。しかし兎谷さんの能力は、死後経過した時間によって結果が左右されることがないという点において、二神さんをも上回っていると思う。ただし、兎谷さんは死者を蘇らせることは出来ない。霊体を強制的に地上に戻す、それだけである。死者と意思疎通を図ることは出来ないし、何故特定の故人を呼び戻すことが可能なのかという理由についても、 「昔から出来た」  としか兎谷さん自身にも答えようがないそうだ。  だがこれまで人間違いをしたことも、死亡現場が分かっていて失敗したことも、ただの一度だってないそうだ。僕はその事を事前に知っていたから、大鎌相鉄氏の霊体を呼び出せなかったと聞いて激しく狼狽えた。 「建物の屋上に陣取って貰ったんです」  と柊木さんは言う。「一季小神殿へ私が踏み込む前には移動を開始してもらっていましたから、例の男が現れた時にはすでに屋上に辿り着いていらしたと思います。妨害を受けたとか、他に誰か人がいたとかではないそうです。それでも」  大鎌相鉄氏の霊魂は釣れなかった。兎谷さんはその理由として二つの可能性を述べたという。 「死んだのがこの場所でないか、あるいはまだだ」  と。  死者がこの世に未練を残して現世から離れられない状態、つまり地縛霊となった場合は、死亡現場に留まり続けるのが基本である。時には生者に憑りつき移動する業の深い魂も存在するが、極稀である。闘病の末入院先の大学病院で亡くなった人間は、遺族の夢枕に立つことはあっても住んでいた家に幽霊として帰って来ることはない。同病院内を徘徊するか、亡くなった部屋の隅で苦し気に泣くことしか許されないのだ。  同じく大鎌相鉄氏の場合でも、亡くなった場所が本部建物でないなら、一季小神殿に出て来ることはまずない。あるいは本当にこの場所で死んでいるなら、兎谷虹鱒が釣りあげられない理由がない。以上のことから、、という答えが導き出されるのだ。 「新開さん、出て来ました」  柊木さんに呼ばれ、僕は慌てて北城くんとの通話を終えた。  振り返ると、本部建物玄関の自動ドアが開いて、中からお付きの男性を一人従えた背の高い人物が現れた。濃茶色の三つ揃いのスーツ。朝だというのに、ぎらりと光るような活力に溢れた精悍な顔付き。自信に満ち溢れた歩き方と堂々たる歩調。随分と前からこうして客が待っていると分かっていて尚、その歩調はあくまでもゆったりとして嫌味な程優雅だった。  ――― まるで朝の散歩にでも行くみたいだな。僕たちの姿なんて見えてやしないんじゃないのか。 「あれが例の男ですか」  お付きの男を目で追いながら小声で問うと、 「いえ。園で見た用心棒の中にいた顔です」  僕の前に立って前を向いたまま、柊木さんはそう答えた。  少し前に兎谷さんの居場所を尋ねると、 「他にすることがないなら釣りに行く、だそうです」  と柊木さんは力なく答えた。……人材選びをミスったかもしれない、とやや悲しくなるような返答だった。 「おはようございます!」  静かな庭園に、低く朗々たる大河の声が響き渡った。「遅くなってしまい申し訳ありませんでした。色々とあったもので」  大河に続いて、僕も頭を下げつつ名を名乗る。お付きの男は口を開かなかったが、僕たちの会釈には同じように頭を下げて応じた。すると大河は潤んだ大きな目で僕を見据え、 「ほほう、あなたが新開さんですか」  と意味深なことを言った。 「僕をご存知なんですか?」 「もちろん」  大河は短く答え、「先日はどうも」と言ってさっさと柊木さんへ視線を移した。 「度々申し訳ありません。少し、あなたの耳に入れておいた方がいいお話があったものですから」  柊木さんの言葉に大河は驚いた様子で顎を引き、 「何でしょう」  とわざとらしく眉根を寄せた。 「地元住民から相鉄氏の目撃情報が出ているというお話を、先日もさせてもらいましたね」 「ええ」 「交番勤務の巡査からも報告を受けていますし、このまま何もしないでいるのは職務怠慢ですから、お話だけでもお伺いしたいと思って園の方へもお邪魔させていただたのですが」 「そうでしたね、先日は失礼いたしました。急ぎの用があったものですから、満足にお相手出来なかったことを心苦しく思っておりました」 「いえ。ですが私どもとしても、一旦ここは身を引いた方が得策かと思い直したものですから」  柊木さんの申し出に大河の表情が曇った。解せない、という顔だった。芝居には見えなかった。 「それはまた、何故?」 「お聞き及びだとは思いますが、私は昨日もこちらを訪れています。その際こちらにいらした男性から、相鉄氏の失踪に関して警察の手を借りる気は一切ないと豪語されてしまったものですから。……お名前は頂戴出来ませんでしたが」 「ほお」  視線を空中に走らせながら大河が背筋を伸ばした。確かに話は聞いている、しかし、少しばかり内容が違うぞ……そんな風に感じている様子だった。  柊木さんは続ける。 「目撃情報とは言いましても、相鉄氏の捜索に有益とは言えない性質の話でもありますし、捜索願が出ていない以上私どもが出しゃばり過ぎるのは却ってご迷惑にもなりますから」 「ふむ、確かに、捜索願は出していませんが……いやしかし、ご迷惑だろうなどと言われてしまうと何ともきまりが悪いなあ。別に我らはあなた方警察を毛嫌いしているわけでもありませんから」 「そう言っていただけると有難いのですが」  柊木さんも大鎌大河も、なかなかお互いの本心を言葉にして打ち合おうとはしなかった。見ていて少しはらはらしたが、実際大河から「じゃあ今すぐ帰れ」、と言われた所で困らぬだけの算段は付けられているのだろうし、ここは元公安職員である柊木さんに任す方が良いと判断した。  大河が僕の名前を知っている事は、考えればいくつか理由が思いつく。僕が失踪前の相鉄氏と面識があったからだ。ここの親子関係がどうだったかは知らないが、父親から僕の名前を聞いていてもおかしくはない。そして僕が天正堂の階位・第三の席に座った時も、業界内が少しだけざわついた。歴代最年少というわけでもなかったが、開祖の血も引かず、名門一族の出でもない完全なる新参者が現場責任者についたわけだから、外野の反応はさもありなんといった所だった。何なら僕の血筋は、天正堂にとっては天敵とも言っても過言ではないのだから。 「ただ、一応お伺いはしておきたいのですが」  控えめな口調で柊木さんが問うと、 「なんでしょう」  大河は大きな目を更に見開いた。 「今後、大鎌崇宣教はどうなっていく予定なんですか?」  何か迫力のある効果音でも聞こえてきそうな程、真に迫った質問だった。むろん、柊木さんは教団の趨勢になど興味はない。相鉄氏の失踪に秘められた裏の事情と、そこを踏まえて、教団を支配する大河に見えている展望こそが知りたいのだ。 「うーん」  と大河は唸った。さすがにどう答えるかで迷っているらしい。お付きの男は何も言わなかったが、いつでも前に出ますという気概だけは感じられた。 「それはつまり、神示の内容を教えろ、という話ですか? 信徒ではないあなたに?」  大河の問いに、 「いえ」  と一瞬引いた柊木さんへ、 「それは無理な相談です」  大河は即座に切って捨てた。 「いえ、私が知りたいのは」 「柊木さん、でしたねえ」 「はい」 「こう言ってはなんだが、この件はあなたには恐らく荷が重いでしょう」 「……はい?」 「あなたには事の全容がまだ見えていないのではありませんか?」 「どういう意味でしょう。全容とは何から始まりどこへ続く事象を表しているんですか? 勿体ぶった表現はやめてください」 「あはは」  笑った大河の後ろで、お付きの男も笑った。柊木さんが睨む。 「いいですか柊木さん。まだあなたには何も見えていないから、今だに父の失踪がどうだとか、教団の神示が何を伝えようとしているだとか、そんな所で足踏みしているんだと言ってるんです。この私の言葉が理解出来ないうちは、あなたに何を話した所で無意味なんですよ」 「話してみないと分かりませんよ。知らない振りをしているだけかも」 「ほう」  負けじと言い返す柊木さんを見据えた大河は、やがてその視線を僕へと滑らせた。 「新開さん」 「はい」 「あなたはよい部下をお持ちのようだ」 「……」  僕は首を斜めに倒し、「部下ではありませんが」と答えた。僕はこの春天正堂入りした柊木夜行を部下だと思ったことは一度もないし、彼女は今公安職員の立場でここにいる。僕が浮かれて礼を言うとでも思ったのだろうか。 「ただ正直に申し上げて、私には、あなたでさえ何も見えていないと思っているんですよ」  大河が言うなり、 「失敬な!」  と柊木さんが声を張り上げた。大河のお付きが、ぐいっと前に出ようとした。大河はそれを右腕で軽く押し返し、やめなさい、と窘めた。僕は僕で柊木さんの隣に並んで、動揺する彼女に微笑み返した。 「いかがです?」  更に問われ、僕は鼻の頭を指で掻いた。 「どうでしょうかね」 「と、言いますと?」 「僕は神示を受け取る側ではないのでピンと来ないのですが、今は別に、そんな大袈裟な話をしに来たわけじゃないんですよね」  大河の目が僕をぐっと睨んだ。僕の腰が引けていると見て、怒っているのだ。自分に喰って掛かる血気盛んな女よりも上に立っているお前が、その程度の弱腰でどうする……そう言いたいのだろう。そこで僕はこう言い放つ。 「でも結局、相鉄さんが見つからなくても教団側は何も困らないんですよね?」 「やれ」  大河がそっぽを向いて僕たちの前から歩き去ろうとした。お付きの男が前に出て僕に襲い掛かる。だがそれよりも素早い体裁きで柊木さんがお付きの男を投げ飛ばした。地面の玉砂利が弾けて僕の脛に当たった。天罰が下ったのだろうか。 「失礼しました。失言でしたね」  僕は痛みに耐えつつ、大河の背中に声をかけた。「崇宣教の神示は読み手が全てだ……僕は以前相鉄さんからそう教わりましたよ」  大河が振り返る。先程までとは違い、彼の顔に浮かんでいるのは突き放すような冷たさである。「何を?」 「この敷地を出て前の道を左向きに歩くと薬局がありますね。その筋を今度は右手に曲がると昔ながらのラーメン屋があって、店構えがとにかく汚いが、まぁべらぼうに美味い。思い出したら、一度是非」  大河は完全に僕の方へと向き直り、じっと僕を見据えて黙りこくった。 「……今のが崇宣教における神託です」 「……」 「お言葉を受けて筆記する教主の癖もあるのでしょうが、一見しただけは意味筋が通らない託宣をどう読み解くかで教えの内容が様変わりする。先程のラーメン屋のくだりはそれこそ、相鉄さんが僕に教えてくれた言葉そのままです。なんてことのない日常会話の中にこそ大切な心は隠されていて、もちろん教団が受け取る神示はさらに難解だろうからラーメンなんて単語が出て来る筈もないでしょうが、だからこそ読み手の解釈が重要になるわけです」  大河がニヤリと嗤う。 「私に崇宣教の在り方を説いているんですか?」 「僕たちと同じではありませんか」  と僕は言う。「何が見えているかなど関係ないんです。今あなたは全てを見ているつもりでも、本当に見なくちゃいけないものこそ……見えていないのかもしれませんよ?」    
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