26:出処不明の呪 2

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26:出処不明の呪 2

「ひとまずこの木箱をどうするか、という点に関して言えば、そこまで難しい問題ではありません」  ほとんど死人に近しいような顔色だった怜菜さんと三吉さんを励ます意味で、僕は軽い口調でそう言ってのけた。背後で柊木さんが呆れるような吐息を漏らしたが、聞こえない振りをした。 「なんとか、なるんですか」  三吉さんが震える声を出した。 「なんとかします」  と僕は答えた。「小難しい話をしてもよく分からないと思いますので大雑把に言いますね。僕は、こういった案件の専門家です。先程武市くんを止めてくれた、こちらの女性や陣之内さんもそうです。ですから、この木箱に関しても全く意味が分からないということはありません。多少なりとも、今の時点でお話し出来ることはあるんです。ただし、確証を得るに至っていない、という条件付きでなら」 「こ」  この箱は、何ですか。  聞いたのは怜菜さんだった。  怜菜さんはこの骨箱が何であるかを一つも理解しないまま、蓋の開いた箱から転げ出た息子の頭をひと目見て、これは危険なものだと判断した。そして家族の反感を買いながらもずっと自室に引きこもり、箱を抱きしめて離さなかった。悲しみと不安と恐怖に、じわじわと縊り殺されるような時間を過ごしたに違いない。怜菜さんの勇気と愛情に僕は感服していたし、見習いたいとさえ思っていた。 「しゃくめいばこ、と言います。文献には一尺一寸の尺、めいは冥府の冥に、そして箱と書かれていますが、本来の意味は……命を、借りる、箱です。借命箱」 「借命、箱」  どういうものですか、それは。  三吉さんの問いを受け、僕は木箱を手に取り膝の上に置いた。 「むろんまだそうと決まったわけではありませんが、見たことがあります。とある地方の山奥にN地区という集落があって、その村を収める家の地下深くの部屋に……」  僕は手で十センチ四方の箱を表現して見せ、「これくらいの、箱がたくさん眠っているんです」と言った。  地下の部屋には箪笥が置いてあって、引き出しの中にはその小さな箱がたくさん入っている。箱の中身は乾燥した小さな肉片で、一見して何だかよく分からない。 「分からないって、実際には何なんですか、それ」  と怜菜さんが聞いた。 「心臓です」  と僕は答えた。「その村では秘術によって住民の心臓を抜き取り、箱に入れて地下深くの部屋に眠らせておくんです」 「な、何の為に?」 「そうするとですね、心臓を別の場所で保管された人間は死なないんですよ。いや、死んでも戻ってくるというべきでしょうか。心臓が無事な間は、という条件付きですが」  怜菜さんの目が僕の膝の上に吸い寄せられた。  そもそもからして箱の大きさが全く違う。僕が当初、「開けたら死ぬ箱」と聞いて想像していたよりも、西田家のそれは遥に大きな箱だった。この時点で本当は、僕がN地区と呼んだ新井原(にいはら)地区の人蔵(ひとくら)家地下にあるソレとはまるで別物なのだと分かっていた。だが、可能性のひとつとして選択肢に入れておく必要はあった。形や大きさが違うからといって、そのくらいの差異は土地や文化の違いでどうとでも変わってくるものだからだ。むろん、人蔵家のことを知っている人間ならば、あの集落が単に異質な土着文化を持った土地である、と安易に考えるわけがないのだけれど(参考資料、『夜から生まれし獣』)。 「怜菜さんはよくご存知のように、こちらの木箱の中にも人体の一部が入っています。それが、箱の持ち主と強く引き合う作用を持っていることで武市くんはまるで人が変わったようになってしまった。ただ、N地区の借命箱と違い、この箱がどういった結果を生むのか分からない以上、やはり箱の蓋は開けるべきではないんです。今日は、どういった経緯で?」  僕の問いに対し、 「実は」  と怜菜さんが項垂れた。  突如西田家に戻って来たこの骨箱に取り乱し、怜菜さんが箱を抱えたまま武市くんの様子を見に行ってしまったという。その途端武市くんが豹変し、怜菜さんの手から箱を叩き落としたそうだ。陣之内さんが西田家を訪れてなければどのような結果を招いていたのか、想像するだけで恐ろしかった。 「分かりました。とにかく今はこの箱を皆さんの前から遠ざけつつ、一刻も早く解決できるよう努めます」  そう言うと、怜菜さんと三吉さんは顔を見合わせた。その顔は相変わらず白いままだった。言いたいことは分かる。前回僕がこの家を訪れた時も、同じことをした。箱に血判を押して引き取った、しかし、箱はまた西田家に戻って来たのだ。 「僕の知っている借命箱であれば、箱が自ら開こうとしたり、契りを結んだ主を引き寄せるといった力などはなかった。そこを今から調べてみます。何故この家に現れたのか、何故この箱が武市くんのものになったのか、その点についても」 「あの」  言いにくそうに怜菜さんが口を開いた。「もしまた、箱が戻ってきたら……」 「そうはさせません。僕がずっと目の届く所に置いておきます」  新開さん、と柊木さんが抑え気味の声で僕を呼んだ。安請け合いするな、という忠告の意味だろう。ただでさえ人手が足りずチョウジ案件に天正堂から人を送り出しており、現状僕自身も別の案件を抱えている。その上で謎の骨箱を肌身離さず持ち続けるなど、全くもってどうかしている……。柊木さんは言わなかったが、言われなくても分かっていた。信夫の手前ということもあるが、それでも僕は陣之内さんが担当する現場に足を踏み入れたのだ。関わってしまった以上、僕は忙しいのでこれ以上無理ですなどと言えるだろうか。三神さんなら、そんな風に依頼人を突き放すだろうか? 「御心配には及びません」  僕は柊木さんや陣之内さんにも聞こえるように、はっきりとそう答えた。 「さすがですね」  と言われた。  西田家の前に停めてあった二台の車に別れて乗り込む、その直前の事だった。陣之内さんは自分の乗ってきた車の運転席側に立ち、僕と柊木さんに声をかけてきた。 「しゃくめいばこ、ですか。初めて聞きました。さすが新開さんです」  目を輝かせて褒め称えるかつての部下を、柊木さんは呆れ顔で見つめ返した。そして僕を見やり、溜息をついて助手席のドアを開けて先に車に乗り込んだ。僕は彼女と同じ車の運転席側に立って、こめかみを指で掻いた。 「噓だよ」  と言った。 「……へ、何がですか」  と陣之内さんが目を丸くする。 「借命箱というのは噓だよ。そんな物はないんだ、僕がついさっき考えた出鱈目だよ」 「……」  え、と叫んで陣之内さんは自分の口を手で押さえた。「でも、N地区って、新井原のことですよね」 「人蔵家の箱の話は本当だよ。でも借命箱なんて名前はついてないし、西田家の箱とも無関係だろうね」 「でも、それじゃあどうして?」 「あの二人を見たろ。もう限界なのさ。正体不明の恐怖に魂がずたずたに傷つけられている。だからそこにきちんと名前を付けて心構えを取らせることで、少しばかり抵抗力を持たせた。それだけの意味しかない」 「で、でも、だって、それなのに新開さん……」  陣之内さんが指さす先には、僕が右脇に抱えた例の骨箱がある。 「うん。大至急こいつの出所を探らなくちゃいけない。実際蓋さえ開かなければどうという事はないんだけど、開いてしまうと実に厄介なシロモノのようだ。このままでは完全に武市くんと切り離すことは難しい、だから陣之内さん」 「は、はい!」 「君にも色々と動いてもらうよ」 「は、もちろんです!」  その時僕の耳には、すでに車の助手席に収まっている柊木さんの溜息がはっきりと聞こえた気がした。 「え? それだけ?」  うん、うん……分かった、そう言って柊木さんは通話を終え、高速道路を飛ばす僕の横顔を睨みつけた。怒っているのかと思ったが、ちらりと横目で確認した限りではそんな風には感じなかった。 「北城の話では」 「はい」 「扉を開けようとすると走って逃げたんだそうです、例の女」 「逃げる?自分から訪ねて来るくせに?」  その女は、北城くんが矢沢誠二さん宅の玄関扉を開けると、一瞬にして身を翻して逃げたのだそうだ。北城くんは走り去る女の後ろ姿を見たと言うが、やはり追いかけることは出来なかった。もちろん矢沢さんが酷く怯えるから、である。実際、逃げたように見せかけて、北城くんが追いかける間に別のルートから部屋に侵入してくる可能性があるわけで、なかなか一人ではカバー出来ない状況なのは致し方ない。 「とりあえず北城には依頼人宅に張り付いてるように言いました。食料の調達やなんかも別の人間に手配させるようにと……別の人間て誰ですか、って言われちゃいましたけどね」 「あはは」  と笑って返し、また睨まれた。「でもその女、何が目的なんですかね。顔が……七永なのも気になりますけど、でも、矢沢さんとも面識はないそうですし、何がしたいのやら」 「さあ」  柊木さんは短く答え、後部席を振り返った。後部席には、足元に骨箱を置いている。「これ、どうします?」 「どうしようかな」 「新開さんが借りてる例の仕事部屋に置いてても駄目だったんですよね。大福ちゃん、無事だといいですけど」 「血判では抑えきれない呪詛がかかってるみたいなんで、効力が切れた瞬間部屋から消滅するんだと思います。武市くんのもとに帰ろうとして。であれば、大福でも追えなかったんでしょうね。その場でこの箱が大暴れでもしてくれれば、まだ何とかなったんでしょうけど」 「相性が悪かったですね」 「ええ」 「で?」 「……で?」 「今これ高速乗ってますけど、もしかしてこのままY県まで行くつもりですか」 「あー、そうですよね、まずいですよね。じゃあ途中で一旦下道に下りますね」 「いや私の話ではありませんよ! 新開さん、あなた一体いつ眠ってるんですか? ちゃんと休憩取ってますか?」 「……え?」  突然の話で驚いたが、柊木さんの話では僕の妻から連絡を受けたそうなのだ。仕事で家に戻らないのはいい、慣れっこだから今更いい、ただしお願いだからきちんと休憩や睡眠をとらせてほしい、でなければ……。 「で、でなければ? 妻が、柊木さんにそんな言い方を?」 「ええ。気になったんで代表にも確認しましたが、向こうにも同じ連絡が行ってるそうですよ」 「ええ」 「新開さん、あなた何やってるんですか?」 「……すみません」 「これは惚気話の類ではないんですよ!」  がっつり怒られた。まさか妻が僕の知らない所で方々電話して回っていたなど知る由もなかったが、その理由を聞いた柊木さんや土井代表はかなり深刻に受け止めたようだった。  ――― でなければ新開水留は、おそらく自分が死ぬまで走る事をやめないと思います。何なら、死んだことにも気が付かないくらいに。 「ぞっとしましたよ。土井代表も同じ反応だったそうです。妻に身体のことを心配される夫、ただそれだけの話では済まない奥深い恐怖を感じたって」 「言い過ぎですよ柊木さん、本人がこうして目の前にいるってのに!」 「そうは思えませんねえ。西田家での対応を後ろから見ていて肝が冷えましたよ。奥さんが心配する理由がはっきりと分かりました。師である三神三歳氏が引退し、鬼神と呼ばれた坂東美千流が現役を退いた。やや時期は違えど、天正堂階位・第三の位置に就いたあなたに、無理をするなという方が間違っているんでしょう。それは信夫を見ていても分かりますし、チョウジの現場を渡り歩いてもらった我々にも責任はあります。だけど新開さん、ちょっとひとりで抱え込みすぎじゃないですか?」 「……」  首を傾げた僕を見て、柊木さんは顔を真っ赤にして怒った。  正直なことを言えば、今さら何を言うんだ、という思いしか浮かんでこなかったのだ。それは何も、仕事を振って来たのはそっち(チョウジ)じゃないか、と言いたいわけではない。確かに僕は、いわゆる天三という立場に就いたからと言って仕事量をセーブしたりなどしなかった。僕は自分が偉くなったなどとは微塵にも思わないし、先達が退いた分の穴埋めをすべく可能な範囲で動いているにすぎない。天正堂に籍を置く拝み屋たちともなるだけ連携を取って、高品くんたちが抱える事案のフォローに回れるよう人員の派遣にも努めている。妻が、僕の体力を心配していることは知っている。家族との時間をもっと取って欲しいと、本心では願っていることも知っている。だけども僕は、全てを自分一人で抱え込もうと思ったこともなければ、ましてや怒られるような生き方をしているつもりもなかったのだ。  困惑し、答えに詰まる僕の携帯電話が良いタイミングで鳴った。ナビを操作し、ハンズフリーにて電話に出ると、 「新開か?」  相手は双蛇村の近藤さんだった。 「はい、新開です。偶然ですね」 「はあ?」 「僕たちも今から、そちらへ向かおうと思っていたんです」 「僕、たち?」 「隣に柊木さんがいます。あと一時間もすれば到着出来ると思います」 「どうしてお前らがこっちに?」 「ちょっと、ご相談したいことがあって」 「俺にか?」 「いえ」  僕はちらりと助手席を見やり、顔を赤くしたまま窓の外を向いている柊木さんを盗み見た。「……六代目に」  
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